剣客商売三 陽炎の男 [#地から2字上げ]池波正太郎   目次  東海道・見付宿  赤い富士  陽炎の男  嘘の皮  兎と熊  婚礼の夜  深川十万坪   解説 常磐新平     東海道・見付宿《みつけじゅく》      一  その朝、いかにも春めいた雨が降りけむっていた。  秋山大治郎が、浅草・橋場《はしば》の料亭〔不二楼《ふじろう》〕の離れ屋に仮寓《かぐう》している父・小兵衛《こへえ》をおとずれたのは、五ツ(午前八時)を少しまわっていたろうか。  小兵衛は例のごとく、まだ朝寝をしていたけれども、おはる[#「おはる」に傍点]は起きていた。 「あれ、若先生。まだ、寝ているんですよう」 「おはるさん、いや母上……」 「母上は、いや[#「いや」に傍点]ですったらよう」 「だが母上は母上だ。父上と祝言《しゅうげん》をした人ゆえ」  このごろは大治郎も、これほどの冗談をいうようになってきたのである。  おはるは、前夜に小兵衛からいいつけられた用事で、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の元の隠宅の跡まで出かけるところであった。  浅草・聖天《しょうでん》町の大工の棟梁《とうりょう》・富治郎は、すでに隠宅の新築にとりかかっていたが、小兵衛は時折、いろいろなことをおもいついては図面を描き、富次郎へわたしたりする。今朝のおはるの用事もそれ[#「それ」に傍点]であった。  二人のはなし声を、二間つづきの〔離れ〕の奥の部屋できいて目ざめた秋山小兵衛が、 「大治郎か。入れ。おはるは行ってよいぞ」  と、声をかけてよこした。  おはるは出て行き、大治郎は父の寝間へ入った。 「春雨がけむる朝の寝坊は、こたえられぬよ。なんだか、この老体から、にょきにょき[#「にょきにょき」に傍点]と竹の子が生《は》えてきそうなおもいがするのう」  夜具に埋もれたまま、いつものように太平楽をならべた小兵衛の口調が、ちょっと変って、 「大よ。何やら、急ぎの用事らしいな?」  夜具から眼だけを出し、大治郎を凝《じっ》と見まもった。 「はい、実は……昨夜おそく、ふしぎなことがありまして……」 「夜狐《よぎつね》が若い女にでも化けて、お前のふとん[#「ふとん」に傍点]の中へでも、もぐりこんで来たのかえ?」 「実は、昨夜……」  昨夜の四ツ(午後十時)近くになってから、大治郎宅の裏の戸を叩《たた》きながら、 「こちらは、秋山大治郎さんのお宅でしょうかね?」  訪《おとな》う声がするので、寝床から出た大治郎が戸を開けると、旅姿の商人らしい男が入って来て、 「私は、下総《しもうさ》の松戸に住んでおります小間物屋の平吉と申します」  と、名乗った。  いかにも実直そうな中年男なのだが、大治郎には見おぼえがなかった。 「ごもっともさまで。私もあなたさまには、いま、はじめてお目にかかったのでございますよ」 「はて……?」  小間物屋の平吉の実姉は、三河の御油《ごゆ》の宿場の旅籠《はたご》〔ゑびすや〕に嫁いでい、それが病死をしたものだから、知らせをうけた平吉はすぐさま御油へおもむき、姉の葬式をすませて帰る途中、御油から十七里あまり、東海道を下った見付の宿《しゅく》に泊ったのが七日前のことであったという。  旅籠は〔なべ屋助左衛門〕方で、飯盛《めしも》り女にも酒にも用がなく、一時も早く、松戸に待っている女房や子のもとへ帰りたいおもいでいっぱいの平吉についた女中は、 「たしか、名をおさき[#「おさき」に傍点]とか申しましたが……」  中年の、おとなしやかな、落ちついた女中であったそうな。  しかし、入浴から夕飯まで、いろいろと世話をしてくれる間にも、その女中が平吉を見る目つきには、 「どうも妙な……いいえ、色気でも何でもない。つまり、何やら私の品定《しなさだ》めをしているような目つきでございましたが……」  と、平吉は語った。  そして翌朝早く、平吉が出立《しゅったつ》の仕度にかかっていると、女中のおさきが忍びやかにあらわれ、両手をつき、 「旦那《だんな》のお人柄をたよって、おねがいがございます」  真剣な眼《まな》ざしで、こういったものだ。 「何だね?」 「昨夜、下総の松戸へ、お帰りになると、うかがいましたが、それなら、江戸を通りますので?」 「ああ、そのつもりだが……」 「まことに、申しわけございませんが、この手紙を江戸まで、おとどけねがえませんでございましょうか?」 「手紙ならお前さん、飛脚を立てればいいじゃあないか」 「それが、そうはまいらないのでございます。わけが……深いわけが、ございまして……どうか、何もおききにならず、人助けとおもって、この手紙を……なんでも、浅草の外《はず》れの、真崎稲荷《まさきいなり》とやらいうお社《やしろ》の近くに、この宛名《あてな》の人が住んでおいでになるそうで」 「困ったね、どうも……」 「こ、これは、こころばかりの……おはずかしいほどの、せめての、お礼ごころなのでございます」  と、女中が顔を泪《なみだ》だらけにして平吉へ差し出したのが、銭《ぜに》ばかりで二両ほどあった。  女中・おさきの必死の様子は、退《の》っ引《ぴ》きならぬ迫力をもっていたらしい。  平吉は礼金をうけとらず、手紙を秋山大治郎のもとへとどけることを承知せざるを得なかった。 「もっと早く、おたずねをすればよかったのですが、あの女中の顔をおもい出すと、妙にその、気もちが急《せ》いてまいりまして、泊り泊りも半端《はんぱ》になってしまい、江戸へ入ったときには、もう夜で……それに、此処《ここ》をさがすのに、骨が折れましてね」  そういう平吉を、ともかく泊ってもらうことにし、大治郎は湯をわかし、食事の仕度をしてやった。  手紙の差出人の名には大治郎、たしかにおぼえがある。  だが、たどたどしい筆跡は、その人[#「その人」に傍点]のものではなかった。      二  小間物屋の平吉は、今朝、暗いうちに大治郎の家を出て、松戸へ帰って行った。 「ふうむ……これが、その手紙かえ」  秋山小兵衛は、寝床の上に半身を起し、大治郎から受け取った手紙を読み終えてから、 「お前は、その人の……いや、この浅田忠蔵という人の筆跡ではない、と、いうのだね?」 「はい。浅田さんは、まことに達筆でしたし、それに父上。この手紙は女文字のようです」 「ふうむ……で、どうする?」 「それを、うかがいに出ましたので」 「そうか、うむ……こりゃあ何だな、大治郎。お前、行って見ずばなるまい。わしはそうおもう」  と、小兵衛がいいきった。  その手紙の内容は、つぎのごとくである。 [#ここから1字下げ] 切羽《せっぱ》つまって、身うごきもならず。 おもいあまって、御助勢たのむ。 万事は、見付宿|旅籠《はたご》なべ屋方、女中おさきより、おきき取り下さるべく候《そうろう》。 たのむ、たのむ。 [#ここで字下げ終わり] [#地から2字上げ]浅田忠蔵   秋山大治郎殿  この手紙は、ほとんど仮名《かな》書きで、しかも、たどたどしい女の筆だったのである。 「なるほど。では、この手紙をたのまれた松戸の小間物屋さんについた女中のところへ行けば、様子がわかる、というわけか……」 「さようです」 「いつか前に、この浅田忠蔵という人のことを、お前からきいたことがあったのう」 「はい」  浅田忠蔵を、大治郎が知ったのは、数年前、剣術修行のため諸国をまわっていたときのことであった。  そのころ、浅田忠蔵は五十をこえていたが、遠州・浜松に、小さいながらも自分の道場をもっていた。  浜松は、井上|河内守《かわちのかみ》六万石の城下である。  忠蔵の道場は、城下の中心からすこし外れた諏訪大明神《すわだいみょうじん》の社の近くにあって、町人・百姓・武士の区別なく、剣術を教えていたものだ。  浅田忠蔵の流儀は〔小野派一刀流〕であった。  当時の忠蔵は妻も子もなく、小兵《こひょう》ながら、すばらしい筋肉によろわれた体躯《たいく》のもちぬしで、近辺の子どもたちが、 「だるま[#「だるま」に傍点]さん、だるまさん」  などとよんで、忠蔵に、よく懐《なつ》いていた。  なるほど、達磨大師《だるまだいし》の絵によく似ている、というよりも、無精髭《ぶしょうひげ》におおわれた忠蔵の顔には、むしろ玩具《おもちゃ》の達磨の愛敬《あいぎょう》があった。  折しも、浜松の城下へ入った秋山大治郎は、 「おもしろい道場がある」  と、うわさ[#「うわさ」に傍点]にきいて、浅田道場をおとずれ、 「浅田先生に、一手の御指南をねがいたく存じます」  礼儀正しく、申し入れると、 「さあ、どうぞ」  町人らしい門人が、にこにこと道場の中へ入れてくれた。 「わら[#「わら」に傍点]屋根の大きな道場で……さよう、四十坪もありましたか。以前は百姓家だったらしい。浅田さんは台所につづいた、せまい板の間で暮しておりました」  大治郎は小兵衛に、そう語った。  浅田忠蔵は、十人ほどの門人がいる前で、いささかも勿体《もったい》ぶるところがなかった。 「やあ、やあ。わざわざ、こんなところへ、よく来て下さった。秋山大治郎さんといわれる……はあ、私が浅田忠蔵です。それでは、さっそくにはじめますかな」  先《ま》ず、こんな調子なのであった。  立ち合ってみると、三本のうち、大治郎が二本とり、忠蔵が辛《かろ》うじて大治郎の小手を打つことができた。 「やあ、やあ、これはどうも……最後の一本は勝たせていただいたようなものだ。お強い。実に、お強いですなあ」  門人たちの前で、あまりにも素直きわまる態度で、 「これは、おもいがけなく、よい修行をさせていただいた。ありがとう、ありがとう」  いささかも屈託がないのである。  師匠が負けたのを見ていた門人たちの態度も、これまた変っている。  忠蔵と同じように、にこにこ顔で大治郎をながめていて、しかも師匠の忠蔵を軽《かろ》んずる様子がない。  師匠といっしょに、よい勉強をさせてもらった、とでもいいたげな顔つきであった。 「ほう、ほほう。なるほど、ふむ……そりゃ、おもしろいな」  秋山小兵衛は、前に、これほどくわしく、浅田忠蔵のことをきいてはいなかったので、大治郎が語りすすむにつれ、身を乗り出してきた。  浅田忠蔵は、大治郎に甚《いた》く好感を抱いてしまい、 「お急ぎでなくば、しばらく、この道場へおとどまりねがえぬか。私も、また門人たちも、いろいろと教えをうけたいのですがな」  と、いい出した。  大治郎も、この道場が、すっかり気に入ってしまったので、 「では、いっしょにやりましょう」  つい三ヵ月も浅田道場へ滞留することになったのだが、 「父上。それはもう、たのしい明け暮れでした」  と、いった。  門人には、百姓や町人が多いだけに、食べるものは、ほとんど買わないですむし、朝飯はともかく、夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》にのせる惣菜《そうざい》や酒などは、門人たちが、かわるがわる持ち運んで来てくれる。  そのかわり浅田忠蔵は、こうした門人から一文の謝礼もとらなかった。  浜松藩士の門人もいたが、これらの人びとも身分にこだわらず、百姓・町人の門人たちと共に道場を掃除をしたり、それはもう実に、 「和気藹々《わきあいあい》としたものでございました」  と、大治郎は語り終えた。  その後、諸国をまわりつづけている間も、大治郎は浅田忠蔵のことを折にふれて、懐《なつ》かしくおもいうかべたものであった。  やがて、江戸の父のもとへ帰り、父の助力で小さな道場をもつことになったとき、大治郎は浜松の忠蔵へ、手紙を出したが、このときは浅田忠蔵から、元気な返書をもらっている。  また去年。大和の芝村へ、嶋岡《しまおか》礼蔵の遺髪をとどけた帰途、浜松へ立ち寄り、忠蔵に会いたいとおもいはしたが、かの、後藤伊織にからむ敵討《かたきう》ち事件に巻きこまれ、道中が長引いてしまい、心|急《せ》くまま浜松を素通りし、父のもとへ帰ったのである。  秋山小兵衛は、浅田忠蔵の過去について、 「どのような生いたちをした仁《じん》なのだ?」  と、大治郎に問うた。 「さ、それが、浅田さんも語らず、私も別に、知りたいとはおもいませんでしたので」 「ふうむ。浜松城下から見付宿までは、たしか、四里ほどであったな」 「はい」 「もしやすると、浅田の忠さん[#「浅田の忠さん」に傍点]は見付の生れではなかろうか……」 「と、申されますのは?」 「どうも、お前のはなしをきいていると、忠さんは、侍《さむらい》の出ではないような気がする。そうした人柄。剣術をやりながらこだわりのない自在の暮しぶり。そうしたことを考えてみると……どうも、そのような気がしてならぬわえ」 「父上。ともあれ、それではこれより、見付へ行ってまいります」 「そうするか、よし。田沼様御屋敷の稽古《けいこ》は、わしが引き受けよう」 「かたじけなく存じます。実は父上。そのことのみが気がかりだったのです」      三  不二楼《ふじろう》から我が家へもどった秋山大治郎は、すぐさま仕度をして江戸を出立《しゅったつ》した。  江戸から遠州・見付まで六十里余。  江戸を発《た》ったのは遅かったが、大治郎は一気に十二里十二町を飛ばし、夜に入ってから、相州・藤沢へ入り、旅籠《はたご》〔ひたちや常右衛門〕方へ泊った。  翌朝は暗いうちに出立し、夕景に小田原城下をぬけ、箱根・湯元へ泊り、ここで、箱根の関所を裏側からぬける手筈《てはず》をととのえた。雨はあがり、晴天となった。  関所を通るための必要な身分証明をうける暇なく江戸を発した大治郎だが、そこは旅なれたもので、金を出してたのむと、関所役人と結託して、ひそかに関所の裏の山道を越えさせてくれる連中が、湯元や小田原にもいるし、また、箱根の向う側の三島にもいる。  この夜は、沼津泊りであった。  次の日は、長駆《ちょうく》して駿府《すんぷ》(静岡市)へ入った大治郎が、 (いよいよ、明日か明後日は見付に到着できる)  いささか昂奮《こうふん》せざるを得ない。  ここまでの泊り泊りに、浅田忠蔵の代筆の手紙を何度も読み返したが、いよいよ、 (ただごとではない……)  の、おもいは募るばかりだ。  忠蔵が自筆の手紙を書けぬ、ということは、いったい何を意味しているのだろう……。 (重病に罹《かか》っているのか……または、だれかに監禁でもされているのか?)  しかし、病気だというのなら、何も秘密めいて仰々《ぎょうぎょう》しく、旅籠の女中なぞを介して、見知らぬ旅の人に手紙をたのむことはない。見付の問屋|場《ば》から飛脚にたのんで大治郎のもとへ手紙を出せばよいのである。  そこが、異常であった。  浅田忠蔵は、おそらく見付宿か、その近くに住んでいると見てよい。  こうなってみると、三ヵ月を共に暮し、門人たちといっしょになって稽古《けいこ》にはげんだ浅田忠蔵の達磨顔《だるまがお》が、いやでも脳裡《のうり》からはなれない。 (あのような人の危難を、見逃すことはできぬ)  そのおもいに、大治郎は胸の内が燃えてくるのを感じている。  翌朝も、むろん、暗いうちに旅籠を出た。  よいあんばいに晴天つづきである。  駿府から見付までは、約十六里。  男の足でも二日の道のりだが、秋山大治郎は風を切って街道を突きすすむ。  大治郎ほどの男が全力をふりしぼっての、力走といってよい。  ついに、五ツ(午後八時)ごろ、大治郎は見付宿へ到着した。  東海道五十三次のうちでも、このあたりでは掛川とならんで大邑《だいゆう》とされている見付(現|磐田《いわた》市)は、天竜川の東一里のところにあって、相当に大きな宿場町である。  延享《えんきょう》三年の秋に、日本左衛門《にほんざえもん》という大盗賊が、江戸の火付盗賊|改方《あらためかた》に捕えられたのが、この見付宿であったそうな。  見付の町は、三本松から坂になって小さな川へ架《かか》った土橋をわたったところからはじまり、東坂町、西坂町を経て南へ曲る東海道の両側に、それから数町つづいている。  旅籠のなべ屋助左衛門は、本陣・脇本陣《わきほんじん》を通りすぎた西ノ小路へ入る角に在った。  見付の宿に在る三十余の旅籠の中でもなべ屋は大きいほうであった。  春の、しかも絶好の道中|日和《びより》ゆえ、夜に入ってからでは、 (ことわられるやも知れぬな……)  危ぶみつつなべ屋の前に立つと、 「お泊りでございますか。どうぞ、お入り下さいまし」  と、迎えられたので、大治郎は、ほっ[#「ほっ」に傍点]とした。  二階の裏側の部屋へ通された大治郎が、父・小兵衛から教えられたとおりに、茶を運んで来た若い女中へ、こころづけ[#「こころづけ」に傍点]をわたし、 「ここに、おさき[#「おさき」に傍点]という女中がいたなあ」 「はい。お客さんは、おさきさんを御存知なので?」 「前に、ここへ泊ったことがあってな。まだ、あの親切な女中はいるかね?」 「ええ、元気でおります。よんでまいりましょうか?」 「そうだな、会いたいものだ」  明るい大治郎の声であった。  先《ま》ず、風呂場《ふろば》へ行き、ざっと汗をながして部屋へもどると、間もなく、女中が膳《ぜん》を運んで来た。 「おさきさん、あとで、こちらへまいります」 「そうか」  なべ屋に泊っている客は多いらしかったが、時分《じぶん》どきをすぎているので、旅籠の中はしずまり返っている。なべ屋では客の色情にこたえる飯盛り女は置いていない。  若い女中が、大治郎の食事の給仕をしていると、外の廊下へ足音が近寄って来た。 「おさきさん、まいりましたよ」  若い女中がこういって、廊下へ出て行くと、入れちがいに小肥《こぶと》りの中年の女中が、たのみもせぬ酒を二本、盆にのせて、怖々《おずおず》と入って来たのである。  体は肥っているが、あさぐろくて引きしまった顔だちの女中は、四十歳前後に見えた。  障子をしめ、向き直って、 「いらっしゃいまし」  あたまを下げた女中へ、大治郎が、 「おさきさんだね?」 「はい」 「秋山大治郎だよ。浅田忠蔵さんからの手紙は、たしかに見た」  と、大治郎は、件《くだん》の手紙を出し、おさきの前へ置いた。  それまで、いくらか警戒の色をやどしていたおさきの、くろぐろとした双眸《そうぼう》が、にわかにかがやき、 「ああ……それでは、あのお客さんが、たしかにとどけて下さいましたので……」 「そうだ」 「あ、ありがとうござります、かたじけのうござります」  だれにともなく両手を合わせたおさきの両眼に、たちまち熱いものがふきあがってきた。      四  その夜。秋山大治郎は、いつまでも寝つけなかった。 (このようなときに、父がいてくれたら……)  このことであった。  いつものように、 (父ならば、どうするだろうか……?)  胸に問うてみたが、なかなかに答えが出てこない。  おさき[#「おさき」に傍点]から聞きとったことは、大治郎の杞憂《きゆう》を真実のものにした。  事態は、まことに、 (むずかしい……)  ものなのである。  ここは、江戸ではない。  東海道の宿駅としての町政が施《し》かれ、江戸をはなれること六十里余。これが江戸ならば、すぐさま、老中・田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》の威勢をたよることもできようが、いまの秋山大治郎は一介の剣客にすぎぬ。  明日にでも、江戸と連絡をつけるなり、自分が、もう一度、江戸へ、 (駆けもどって……)  とも考えたけれども、どうやら事態は、 (一日を争う……)  ようにおもえる。  浅田忠蔵のいのち[#「いのち」に傍点]が、であった。  忠蔵は、まさに、この見付にいる。  それもなべ屋からも近い場所に病みおとろえてい、その病体を、きびしく監禁されている。  浅田忠蔵は、なべ屋の横手の西ノ小路を入った突当りの〔玉屋伊兵衛〕という酒問屋に監禁されていると、女中おさきは大治郎に告げた。  玉屋は代々、〔亀《かめ》の泉《いずみ》〕という銘酒を造ってい、創業は元禄《げんろく》のころだそうな。  亀の泉という酒は、遠州から駿河《するが》・三河にかけて売りひろめられ、玉屋は、このあたりでもきこえた金持ちだという。  当代の主《あるじ》、伊兵衛は、先々代の弟だそうで、当年六十歳。若いころは草相撲《くさずもう》の大関だったそうで、身の丈《たけ》は六尺余の巨漢だと、おさきがいった。  見付の宿場町における玉屋伊兵衛の威勢というものは、このあたりの人びとが、 「飛ぶ鳥を落す勢い……」  だなぞと、評判をしているらしい。  ありあまる金にまかせ、宿場町の種々の利権をわがもの[#「わがもの」に傍点]としているし、宿場を運営する問屋場の年寄をつとめている。問屋場の名主《なぬし》は、本陣の主・浅屋三郎右衛門であるが、権力は、ほとんど玉屋伊兵衛がにぎっていた。  問屋場は、宿場町の中心である。  江戸幕府をひらいた初代将軍・徳川家康が、東海道の駅路《えきろ》を定めた折、各宿場には、人夫百人、伝馬《てんま》百匹の常備を命じ、これによって公用の貨客《かかく》の継立《つぎたて》を便ならしめた。  公用の駅逓《えきてい》はもちろんのこと、民間のそれ[#「それ」に傍点]も問屋場があつかうのである。  問屋場であつかう人馬の数は相当なものだが、これを、玉屋伊兵衛が一手に握っている。  それに……。  問屋場の裏手の、大見寺《だいけんじ》という寺の塀外の家が博奕場《ばくちば》になっていて、これも、玉屋伊兵衛が取りしきっている。  問屋場ではたらく人足どもに博奕を禁じると、 「人足が寄りあつまって来ないので、急場の間に合わないからでございます」  と、おさきが語った。  ずいぶん、諸国を旅して来た秋山大治郎であるが、このようなはなし[#「はなし」に傍点]をきくのは、はじめてであった。  先《ま》ず、こうしたわけで、見付宿では、造り酒屋の玉屋伊兵衛に、 「あたまをあげられるものは、一人もいない」  と、いってよい。  ところで……。  浅田忠蔵が、玉屋伊兵衛方の奥深くに監禁されていることを知るものは、玉屋伊兵衛方の人びとは別として、 「私と、私の父親だけでございましょう」  おさきは大治郎に、そういった。  おさきの父親・太作《たさく》は当年六十五歳で、玉屋の下男をしているそうだ。  ところで……。  浅田忠蔵は玉屋伊兵衛と、どのような関係にあるのか……というと、先々代・伊兵衛の長男に生れたのが、すなわち忠蔵なのである。  それならば、当代の玉屋伊兵衛は、忠蔵の、 「叔父」  と、いうことになるではないか。  その叔父の伊兵衛が、甥《おい》の忠蔵を監禁し、忠蔵はひそかに、下男の太作とおさき父娘《おやこ》の助けを得て、剣友・秋山大治郎へ、 「危急を告げた……」  ことになる。  浅田忠蔵は、いま、中風《ちゅうぶう》を病み、半身不随となっているそうだ。  それは、大治郎にもなっとく[#「なっとく」に傍点]がゆかぬでもない。  見るからに中風が出そうな体つきであったし、忠蔵が無類の酒好きだったことは、大治郎も、よく見知っていた。  女中おさきがいうには、 「忠蔵さまは、お若いころ、玉屋を出て、玉屋の跡つぎは弟の弥次郎《やじろう》さんにゆずられ、御自分は剣術のほうを……なにしろ忠蔵さまは、子供のころから剣術が大好きだったそうで、はじめは、この見付の宿外れに住んでいた剣術の先生に教えをうけ、そのうちに、なんでも駿府《すんぶ》へ行って、五年も六年も修行をなすったそうでございます」 「なるほど」 「そうなると、もう、おもしろくておもしろくてたまらなくなってしまい、とうとう、玉屋の跡つぎを弟さんに、ということで御自分は身を引き、それから諸国を経《へ》めぐり歩いて修行をなすったのだそうで……」 「おさきさんは、浅田忠蔵さんが浜松で道場をかまえていたことを、知っていたかな?」 「はい。父親が申しますには、十年ほど前、ようやくに、浜松へ落ちつきなさいましてから、二度ほど、玉屋へもお見えになったそうでございます」 「で、浅田さんの弟ごの弥次郎さんというのは、どうしている?」 「それが、十年ほど前に、亡《な》くなりまして……」  こういったとき、おさきが幅のひろい肩を烈《はげ》しく震わせ、口惜《くや》し泣きに泣いた。 (どうも何か、こみ入った事情《わけ》があるらしい)  大治郎は、そう看《み》た。  その、こみ入ったところまで、おさきは語りきれなかった。  いずれにせよ、弥次郎が亡くなったのち、忠蔵・弥次郎兄弟の叔父が跡をつぎ、玉屋伊兵衛になったわけだ。  そのときまで伊兵衛は、病身の弥次郎の〔後見人〕として、玉屋の商売を一手に切りまわしていたそうである。  弥次郎の妻も、夫に先立つ一年前に病死をしており、それを嘆き悲しむのあまり、弥次郎が病床につき、一年後に亡くなった……というふうに、見付の人びとはおもっている。  夫婦の間には、子が生れなかったので、後見人の叔父が玉屋の当主となったのだが、 「そのとき、長男の浅田忠蔵さんは、それ[#「それ」に傍点]を承知したのか?」  大治郎が問うと、おさきは、 「はい」  はっきりと、うなずいた。  忠蔵は、伊兵衛に、 「いまさら酒問屋にはなれぬ。わしは剣術を遣《つか》って一生を終るつもりゆえ、叔父さんが跡をついだらよい」  と、いい、その折、伊兵衛が、金高は知らぬが忠蔵にまとまった金を出した、と、おさきはきいている。 (では、その金で、浜松へ道場をかまえたのか……)  と、大治郎はおもったが、それにしては、あまりにも、あの浅田道場は見すぼらしかった。      五  翌朝、まんじり[#「まんじり」に傍点]ともせぬ一夜を明かした秋山大治郎は、若い女中へ、 「用事で出かけるが、今夜は、また此処《ここ》へ泊る。そのつもりでいてくれ」  といい、なべ屋を発して浜松城下へ向った。  見付を出るとき、大治郎は、酒問屋・玉屋伊兵衛方のまわりを、ざっと見とどけている。  西ノ小路の突当りにある玉屋の店の間口は約七間。北側の小川に沿った細道を入って行くと、そこに造り酒屋としての玉屋の入口があり、その入口の前を右へ曲ると、高い塀をめぐらした住居になる。  土蔵が、いくつもならび、大きな構えであった。  大治郎は、旅に出るときにかぶる塗笠《ぬりがさ》に面《おもて》を隠し、通りすがりの態《てい》で玉屋の外側を一巡したのだが、すぐに、玉屋の内部の異様な空気を直感した。  それは、玉屋の戸や塀の内側から、外を歩いている自分を凝視している人びとの眼を感じたのだ。  酒問屋としての店先などは、別に、変ったところも見えぬが、ちらちらと、店の奥や醸造場のあたりに見え隠れする人影の中には、どうも、玉屋の奉公人にしては、 (妙な……?)  男たちがいるようであった。  屈強の、目つきの白く鋭い男たちなのである。  そして、見付宿の人びとは、めったに玉屋のまわりへは近寄らぬらしいことも、よくわかった。 「つまらぬことに、かかわり合って、ひどい目にあっては……」  と、陰でささやき合っている宿の人びとの声が、大治郎の耳にきこえてくるようなおもいがする。  このような玉屋伊兵衛が、見付の町を制圧していれば、なるほど、なべ屋のおさき[#「おさき」に傍点]が女ひとりの胸三寸に計ってみて、ああした方法を咄嗟《とっさ》におもいついたのも、わかるような気がする。  なべ屋へ泊った小間物屋の平吉の実直で親切な人柄を、 (これなら……)  と、見きわめをつけたのは、亭主に死に別れてから、十七年もなべ屋ではたらいて来たおさきの眼のたしかさと、自信であったのだろう。  さて……。  見付を出た秋山大治郎は、花曇りの空の下を駆けるようにすすみ、昼前には浜松城下へ入った。  大治郎が、先《ま》ず訪ねたのは、浜松藩士・松永金之助の屋敷である。  松永金之助は百五十石の馬廻役《うままわりやく》をつとめてい、かつて浅田忠蔵の門人であり、大治郎が浅田道場に滞在していたとき、面識があった。中年の温厚な人物だと知っていたので、大治郎は先ず、ここをたよったのだ。  折よく、松永は非番で屋敷にいた。 「これは、秋山先生。お忘れなく、よくぞ、おたずね下さいましたな」  松永は、大よろこびで大治郎を迎えてくれた。  松永の居間へ通され、大治郎が、 「急ぎます。実は……」  と、これまでのことを手短かに語るや、松永金之助が驚愕《きょうがく》した。 「で、では、浅田忠蔵先生が、生きておられると申される……?」  その松永のことばに、今度は大治郎がおどろいた。 「では、こちらへは亡《な》くなったと……?」 「さよう。浅田先生が見付の実家へおもむかれたのは、二月《ふたつき》ほど前のことでござったが、十日ほどして、御実家の玉屋伊兵衛方の使いの者が道場へ見え、浅田先生が中風で急死なされたと申したそうでござる」 「ふうむ……」 「それをきいた門人一同が、すぐさま見付へ駆けつけ、通夜《つや》なり葬儀なりのお手つだいを、と申し出ましたところ……」  玉屋の番頭・松四郎という者が、 「忠蔵さまには、江戸に御新造《ごしんぞ》も子もいられますので、もう、お骨《こつ》を江戸へ送りましたから……」  そういったという。 「門人一同、それを、すっかり信じきって、それならば、もはや仕方もなしと、あきらめておりましたのでな」  と、松永金之助が、 「これは、容易ならぬことだ」  昂奮《こうふん》の色をうかべた。  そこで大治郎は、昨夜、見付のなべ屋でしたためておいた長い手紙を松永へさし出し、これを浜松藩の公文書のあつかいで、江戸の父のもとへ送ってはもらえまいか、と、たのんだ。  手紙は、秋山小兵衛へあてたものである。  さらに、つけ加えて、父も自分も、老中・田沼意次の愛顧《あいこ》をうけていることを語るや、松永は一も二もなく、 「それがし、身に替えましても、お引きうけいたす」  決然といった。  公文書のあつかいなら、継《つぎ》飛脚の至急便で、現代の時間に直すと三十三、四時間で江戸へ着くはずであった。  こういうところは、なかなかどうして、秋山大治郎の仕様も、 「堂に入ってきた……」  ようである。  昨夜、ほとんどねむらずに、大治郎は、 「ものごとは、すべて段取りというものが大切じゃ」  と、いつもよくいう小兵衛のことばを何度も胸に反芻《はんすう》しながら、今日の自分の行動を決定したのである。      六  松永金之助の屋敷を出た秋山大治郎は、まっすぐに、諏訪《すわ》大明神裏の、旧浅田道場へ駆けつけて行った。  道場は、その後、松永のような浜松藩士たちは別として、百姓や町人たちの門人がこれを維持し、剣術の稽古《けいこ》をつづけている。  道場には、折よく、増楽《ぞらく》村の百姓で源八という壮年の男がいて、若者たちへ稽古をつけているところであった。  百姓・源八は、浅田忠蔵にもっとも可愛《かわい》がられていた門人で、なまなか[#「なまなか」に傍点]の武士と立ち合っても退《ひ》けはとらぬほどの腕前だし、暇さえあれば道場へあらわれ、 「先生、先生……」  と、忠蔵に、よくつかえていたのを、大治郎は知っている。  道場の見所《けんぞ》には、浅田忠蔵が書いた〔和〕の一字が軸になって掛けられている。 「これは、これは、秋山先生……」  百姓・源八が抱きつかんばかりに大治郎を迎えた。  若者たちを帰し、二人きりになって、大治郎が語るのを聞き終えた源八は、 「そ、そんなことがあっていいものか……」  驚倒した。  源八がいうには……。  二ヵ月ほど前の夜に入ってから、道場へ、 「見付の太作というものでござります。忠蔵さまは、おいででござりますか?」  と、たずねて来た老爺《ろうや》を、ちょうど道場にいて、忠蔵の酒の相手をしていた源八が取りつぐと、浅田忠蔵は、 「ほほう……めずらしい爺《じい》が来たものだ」  と、いい、なつかしげに太作を迎えた。源八は、茶を出したり、台所の後片づけをしたりして、我が家へ帰って行ったのだが、そのとき、道場の見所で向い合って語っている浅田忠蔵と太作爺の声を、とぎれとぎれに耳へはさんでいる。 「へえ。その、太作さんという爺さんが、浅田先生に、泣き声でもってね……」  太作が、 「弥次郎《やじろう》さまの幽霊が……」  といったのを、忠蔵が、 「叱《し》っ」  たしなめたのを、源八はきいている。  太作が何やら、 「しきりに泪声《なみだごえ》で、先生へ、あやまっているようでござりましたよ」  源八は、そういった。  すでに、源八の眼の色が変っている。  太作は、翌朝早く道場を出て、見付へ帰って行ったらしい。そのときの様子は、我が家へ帰ってしまった後のことなので、源八は知らない。  それから七日ほどがすぎて……。  或《あ》る日の夕方近くに、源八が道場へ行くと、浅田忠蔵が、 「明日、見付の実家へ行くから、後をたのむ」  と、いい、翌日、道場を出発した。  そのつぎに、突然、見付の玉屋から浅田忠蔵の急死が知らされたのであるが、源八たち門人は、太作爺と玉屋とを、まったく、むすびつけて考えてはいなかった。 「見付から、よぼよぼの爺さんがやって来て、先生に身の上の相談をしたらしい」  などと、源八は女房に語っていたほどなのである。 「源八。これは、一時を争うのだ」 「はい、はい。おれたちは、先生のためなら、どんなことでもいたしますよ。浅田先生が、もし、ほんとうに生きていなさるというのなら、おれは死んでもいい」  とまで、源八はいった。 「よし。それなら、たのみがある」 「なんでござります?」 「お前たちのような、百姓や町人の門人で、いのちがけで浅田さんのためにはたらこうという者は、何人ほどあつまるかね?」 「さよう……へえ……」  源八は、慎重に指を折って数え、 「二十一人」  と、いいきった。 「よし。充分だ」  と、大治郎。  それから大治郎と源八は、夕闇《ゆうやみ》がせまるころまで、何やら相談をしていたが、 「では、たのむ」  大治郎は道場を出て、またしても全速力で、見付へ取って返した。  天竜川は渡し舟が絶えてしまったので、夜の闇の中を裸体となり、泳いでわたった。  見付へ着いたのは五ツ(午後八時)をまわっていたが、昨夜と同じ部屋がとってあった。  入浴、食事、就寝。  そして、夜ふけに、女中のおさき[#「おさき」に傍点]が大治郎の部屋へ忍んで来た。  大治郎は、おさきの指し示すところにしたがって、玉屋伊兵衛方の絵図面をつくり、空が白んでから、ぐっすりと、ねむりに入った。      七  いま、浅田忠蔵は、玉屋の奥庭にある小《こ》土蔵の二階へ押しこめられているらしい。  二ヵ月前のその日。浜松から見付へやって来た忠蔵は、すぐさま玉屋へおもむき、叔父の伊兵衛に会った。  これは、下男の太作から、何やら、 「打ち捨ててはおけぬ……」  重大なことをきいて、実家へあらわれたと見てよい。忠蔵が、わざと七日ほど日を置いてから玉屋へ出向いたのは、太作が玉屋伊兵衛からうたがい[#「うたがい」に傍点]をかけられるのを避けたのではあるまいか……。  浅田忠蔵は、玉屋伊兵衛と面談をしているうち、突如、中風《ちゅうぶう》の発作に倒れ、口もきけなくなり、半身不随となった。  これは、事実らしい。  すると伊兵衛は、すぐさま忠蔵を小土蔵の二階へ運びこみ、薬はあたえたが、軟禁状態にし、土蔵の入口には見張りをつけた。  忠蔵の身のまわりの世話は、太作の受けもちとなった。これは伊兵衛が、まだ太作に疑惑の眼を向けていないことを意味する。不幸中の幸いだったというべきであろう。  なればこそ、忠蔵は、件《くだん》の手紙を太作にたのむことができた。  忠蔵は、口がきけなくなっている。そこで太作が、いろは四十七文字を大きく書いた紙を忠蔵の前へ出し、忠蔵がふるえる手で、一字一字を指し示すのを書きとり、ようやくに、あの文面ができた。それを太作は、なべ屋ではたらいている娘のおさき[#「おさき」に傍点]へ、ひそかにたのんで書き直してもらった。これだけのことをするのに、 「半月もかかりました」  と、おさきは大治郎に語っている。  忠蔵は、秋山大治郎か、または浜松の門人の百姓・源八へ、その手紙をとどけてくれ、と、太作にたのんだそうな。むろん、これも、いちいち、いろはの一字一字を指し、自分のことばとしたのである。  太作とおさきは相談をした結果、大治郎をたのむことにした。  やはり、百姓・源八よりも、この場合は侍である秋山大治郎をたのむほうがよいと、決めたのであった。  飛脚便で出さなかったのは、玉屋伊兵衛の眼が、宿場町のすみずみまで光っていることを、父娘《おやこ》とも、よくよくわきまえていたからにちがいない。  さて翌日。  秋山大治郎が目ざめたのは、昼すぎになってからだ。  たっぷりと昼食を食べた大治郎がなべ屋を発《た》ったのは、八ツ半(午後三時)ごろである。  今度の大治郎の旅装は、袴《はかま》もつけているし、着物も平常のものだ。もっとも道を急ぐときは袴をぬいで道中用の小荷物と共に背負い、裾《すそ》を端折《はしょ》って歩む。  今日も、どんよりと曇っていた。  街道を、今日はゆっくりとした足どりですすむ大治郎の鼻先を、はらはらと白い蝶《ちょう》がたゆたっている。  万能《ばんのう》の村をすぎ、大治郎は街道を北へ外れ、しばらく行ってから田圃《たんぼ》道を右へ折れた。  木立をぬけ、畑道へ出た。  こうして大治郎が行き着いた場所は、天竜川の東岸である。  天竜川を見おろす高処《たかみ》の、松林の中に、小さなわら[#「わら」に傍点]屋根の家が一つある。  この家は、百姓・源八の伯父・茂左衛門夫婦の隠居所なのだ。 「秋山先生。ここでござります」  早くも、源八が到着してい、戸口へ出ていてくれた。 「おお。よく来てくれたな」 「私をふくめて二十一人でござります」  家の中へ入ると、茂左衛門夫婦が板敷きの間に切った炉へ大鍋《おおなべ》をかけ、雑炊の仕度をしているところであった。老夫婦とも、まるで童子・童女のようにあどけない顔をして、口はきかぬが大治郎をにこにこと見上げ、あたまをさげる。 「これは、これは。とんだ御厄介をおかけいたしまして」  秋山大治郎も、きちん[#「きちん」に傍点]とあいさつをした。  老夫婦が、びっくりした顔を見合せ、何度も、うなずき合っている。  ひと目で、大治郎の人柄がわかったと見える。  他の二十人のうち、五人ほどが、この家にあつまっていた。いずれも、浅田忠蔵門人で、百姓・町人の者たちばかりであった。 「秋山先生。このたびは、浅田先生のために、いろいろとありがとうございました」 「おれたち、一所懸命にやります」  彼らが、口々にいう。 「たのむ。いや、私ひとりで、出来るなら片をつけたかったのだが、どうも今度は、みんなに助けてもらわぬと……なんといっても、浅田さんを無事に救い出さなくてはならない。一人では、とても手がまわらぬし、それに事を急ぐのでね」  大治郎がいううちにも、二人、三人と同志があつまってくる。  みんな、足ごしらえを充分にして、それぞれの手には樫《かし》の棍棒《こんぼう》を持ち、腰には日ごろ遣《つか》いなれた木刀を帯びていた。  そのほかにも、大槌《おおつち》・斧《おの》・鶴嘴《つるはし》・細引きの縄・継梯子《つぎばしご》などを積みこんだ小さな荷車を用意してあった。  夜に入り、二十一人が全部そろったところで酒が出た。その後は鶏肉と葱《ねぎ》を叩《たた》きこんだ雑炊で腹ごしらえをし、一同、ぐっすりとねむった。  この間に、大治郎と源八は、玉屋方の絵図面を前に、種々の打合せをとげた。 「さ、そろそろ、仕度を……」  と、大治郎が声をかけたのは、四ツ(午後十時)ごろだ。  一同は、はね起き、身仕度をととのえた。  それから大治郎と源八が絵図面を見せて、玉屋伊兵衛方へ打ち込む作戦を説明し、それぞれの部署を定め、茂左衛門宅を出発した。  合わせて二十二名。これを三つに分け、裏道をえらび、三方から見付の宿へ入り、じわじわと玉屋へ接近して行ったのである。      八  ときに、九ツ半(午前一時)をまわっていた。  漆のような闇《やみ》の中を、先《ま》ず、秋山大治郎が三人をつれ、玉屋の店先へ近づいた。他の十八名は諸方へ散り、待機した。 「では、よいな?」  と、三尺ほどの棍棒《こんぼう》をつかみ直して大治郎が、三人へささやき、 「それ」  うなずいて見せた。  うなずき返した三人が、手に手に大槌《おおつち》や斧《おの》、鶴嘴《つるはし》を振るって表口の大戸を叩《たた》き毀《こわ》しにかかったものである。  当然、しずまりかえった春の夜の闇が大ゆれにゆれた。  すさまじい物音である。  これでは、たまったものではない。  たちまちに、戸が破れた。 「な、なんだ、なんだ?」 「火事らしいぞ」  わめきつつ、玉屋の若い者が飛び出してくるのを、土間へ踏みこんだ秋山大治郎が、ものもいわずに棍棒で叩き伏せ、 「あとをたのむぞ」  三人にいうや、身をひるがえし、土間が右手へ折れ曲っている突当りの戸口へ突きすすんだ。  この騒ぎの鳴響《めいきょう》を合図に、小川に沿った細道へ身を伏せていた浅田道場門人の十八名が、いっせいに起《た》ちあがった。  一組は梯子《はしご》を塀にたてかけ、われ先にと塀の内へ飛びこむ。  一組は、醸造場の大戸を叩き毀す。  一組は、裏手の雑木林から奥庭の塀外へ迫った。  この、おもいもかけぬ攻撃には、玉屋伊兵衛も仰天したことであろう。  伊兵衛にとっては、 (あり得ないこと……)  なのである。  それでも、屈強の人足や、用心棒のような無頼者が短刀や脇差《わきざし》を引きぬき、 「かまわねえから切っ払え!!」 「叩っ殺せ!!」  わめきながら、飛び出して来た。  ところが、こちらは、ただの町人や百姓ではない。  浅田忠蔵が丹精をこめて剣術を教えこんだ連中なのである。 「奥へ……」 「浅田先生を、早く」  いいかわしつつ、三人か四人が一組になって、猛然と闘う。とてもとても、宿場の人足や無頼者の、およぶところではない。  だが、用心棒の中に、三人の浪人者がいた。  こやつらは、問屋場裏の博奕場《ばくちば》へ毎夜つめきっている。  この三人が、醸造場の中二階の部屋から駆け下って来るのを、 「待て」  秋山大治郎が棍棒をかまえ、 「お前たちは、私が相手をする」 「何い!!」  醸造場の土間で、三人の浪人が、いっせいに大刀を抜きはらった。  転瞬……。  大治郎の体が飛燕《ひえん》のごとく、ななめに疾《はし》ったかと見る間に、 「うわあ……」  早くも浪人の一人が脇腹を強烈に撃たれて転倒する。 「ぬ!!」  あわてて別の一人が、大治郎の背中へ大刀を叩きつけた。  叩きつけたつもりだったが、その刃風はむなしく空《くう》を切って、 「あっ……」  たたらを踏み、体勢を立て直そうとしたときには、すでに遅い。  くるり[#「くるり」に傍点]と反転したとき、五尺も跳躍した大治郎が振り下ろした棍棒に脳天を撲《なぐ》りつけられ、 「ぐう……」  そやつは、土間へのめりこんでしまった。  残る一人……。 「あ……あ、あ……」  大治郎の、すばらしい手なみ[#「手なみ」に傍点]を見て、完全に、闘志を失い、じりじりと後退したかとおもうと、 「わあ……」  悲鳴を発して、逃げ去った。  乱闘が、ほとんど玉屋の北側でおこなわれている隙《すき》に、南側の雑木林に待機していた六名が塀を乗り越え、小土蔵へ迫り、番人の二人をわけもなく打ち倒し、土蔵の戸を叩き破って、ついに、病みおとろえた浅田忠蔵を救出した。  忠蔵は用意の荷車に乗せ、これを二十余名がまもり、茂左衛門宅へ引きあげた。死傷者は一人もなく、また追手もかからなかった。      ○  秋山大治郎が、江戸へ帰って来たのは、それから約半月後のことであった。  江戸へ入った、その足で、大治郎はまっすぐ[#「まっすぐ」に傍点]に不二楼《ふじろう》の離れにいる父・秋山小兵衛をおとずれた。 「おお、大治郎。どうであったな?」 「おかげさまにて……」  と、すべてを語った大治郎が、 「父上の御手配にて、すぐさま、田沼様よりの御使者が見付へ駆けつけてくれましたゆえ、あの騒ぎの後始末も、万事よろしく片づきました」 「そうかえ。それはよかった……」 「玉屋伊兵衛は江戸へ護送され、お上《かみ》の取調べをうけることになりそうです」 「それで、その玉屋の下男の……」 「太作のことで?」 「うむ。その爺《じい》は、浜松の浅田忠蔵さんに、何を告げに行ったのじゃ」 「それが、父上……」  浅田忠蔵の弟・弥次郎《やじろう》が、妻に先立たれて、落胆のあまり病床についたのは事実であるが、別に病死ではなかった。  それが死んだのは、叔父の伊兵衛が、名実ともに玉屋の当主となりたいがため、弥次郎を暗殺したのだ。  伊兵衛は、腹心の者二人と共に、弥次郎の病間へ忍びこみ、弥次郎を押えつけ、口と鼻へ濡《ぬ》れ紙を貼《は》りつけ、窒息死させたのである。  これを、ひそかに目撃していたのが、下男の太作であった。  十年もの間、その秘密を口外できなかったのは、玉屋伊兵衛が恐ろしかったのであろう。  しかし、堪《た》えきれなくなった。  太作が、浜松へ来て浅田忠蔵に、こう語ったそうである。 「このごろ、夢の中で、亡《な》くなった弥次郎さまが出て来て、ほんとうのことを、浜松の兄・忠蔵どのへ告げてくれ。もしも告げぬときは、お前を取り殺す、と、おっしゃいます。どうにもたまりませぬ。それで、娘のおさき[#「おさき」に傍点]に、おもいきって打ち明けましたところ……おさきは、一時も早く、忠蔵さまへ、おつたえしろと、こう申しましたので……」  けれども、浅田忠蔵が玉屋へ乗り込んで来たとたんに、中風の発作を起そうとは、太作・おさき父娘の、おもいもかけぬことであったにちがいない。 「ふむ、ふむ……それで、浅田の忠さんは、どうなったえ?」 「浜松の門人たちが荷車へ乗せて、前の道場へはこび、なべ屋のおさきが女中をやめて、浅田さんの看病をしております。それに、浜松藩の松永金之助殿の世話で、よい医者が診《み》に来てくれ、どうやら、いま、病状も落ちついているようです」 「よかったのう。いますこし遅れたなら、忠さんも、その弟ごと同じように、そっと殺されていたろうよ」 「帰ります前に、浅田さんと会ってきましたが……」 「ふむ、ふむ……?」  江戸へ帰る秋山大治郎に、浅田忠蔵は不自由な両手を合わせ、伏し拝んだそうな。玉屋伊兵衛は、忠蔵が中風で倒れただけに、再起不能と見て暗殺を急がなかった。それがよかったのだ。  しかし、弟・弥次郎の暗殺を知っているだけに、忠蔵は気が気でなかったろう。死を恐れたのではなく、やみやみと、叔父に殺されるのがくやしかったのである。 「浅田さんに拝まれましたときは、尻《しり》の穴が、むずむずといたしまして……」  と、いう大治郎を凝《じっ》と見まもった秋山小兵衛が、 「大よ。お前も、どうやら、大人《おとな》になったようじゃな。このたびの事件に際しての、お前の段取りは、まことによかった」 「恐れ入ります」 「物事は、かように運ばねばならぬということさ。明日、また来いよ。鐘《かね》ヶ淵《ふち》の普請《ふしん》も大分に、すすんだぞ。見に行こう」 「それは、それは……」 「暖かくなったのう。ほれ、見よ。そこの障子の桟に、蝿《はえ》が生れたわえ」     赤い富士      一  料亭〔不二楼《ふじろう》〕の亭主・与兵衛から、その絵[#「その絵」に傍点]を見せられたとき、 「ふうむ……」  秋山|小兵衛《こへえ》の老躯《ろうく》へ、得体の知れぬ戦慄《せんりつ》が疾《はし》った。  茶掛けに表具された絵は、ふとく、やわらかい筆遣《ふでづか》いで極《ご》く簡潔に描かれた富士の山頂へ朱が一刷毛《ひとはけ》。つまり、朝の太陽が山頂を染めているわけだが、 「これは、なんともいえぬわえ」  と、小兵衛が感動を露骨にして、 「この小さな絵の中に、何も彼《か》も、すべてのもの[#「すべてのもの」に傍点]が、ふくみこまれている……」 「と、申されますと?」 「天と地。自然と人。御亭主も、わしも、この絵の中にすべて入っているということじゃ」 「ははあ……」  落款《らっかん》は〔平安・池無名〕とあり、〔大雅主人〕の印顆《いんか》が捺《お》されてある。  つまり、この富士の絵は、三年ほど前に亡《な》くなった池大雅《いけのたいが》の作品ということだ。  京都の銀座役人の下役の子に生れた池大雅は、日本的文人画を大成した画家で、妻女の玉瀾《ぎょくらん》もすぐれた女流画家だそうな。  大雅のことは、かねて耳にしたこともある秋山小兵衛だが、その絵を見たのは、このときがはじめてであった。 「この絵が、それほど、お気に召しましたか?」 「気に入った。素人目《しろうとめ》には、瞬《まばた》きをする間に描きあげたものと見えようし、また、そのとおりかも知れぬが……そのときの大雅堂の筆にも手にも、天地の神霊が、ことごとく結集していたに相違ない」 「ははあ……」 「御亭主。この絵を、わしに、ゆずってもらえまいか。価《あたい》はいかほどにてもよい。なんとかする」  小兵衛は、不二楼の亭主が「よろしゅうございますとも」と、簡単に承知してくれるとおもったのだが、意外にも与兵衛は強くかぶり[#「かぶり」に傍点]を振った。 「ほう。だめ[#「だめ」に傍点]か?」 「この絵は、私も気に入っておりますので……」 「そりゃ、ま、そうだろうが……」 「それに、私の店の名にちなんだ絵でございますし、とてもとても、手放すものではございません」  いいながら、与兵衛はそそくさ[#「そそくさ」に傍点]と大雅の茶掛けを巻きおさめ、箱に仕まいこみ、 「では、ごめんを……」  あわてて、離れ屋から出て行ってしまった。  苦笑した小兵衛へ、傍《そば》にいたおはる[#「おはる」に傍点]が、 「先生が、あんまりほめるから、手放すのが惜しくなったんだよう」 「そういえば、はじめのうちは、それほどでもないような顔つきだったのに、な……」 「私は、ちゃんと見ていただよ」 「そうか……これは、しまったことをした。わしはな、あの富士の茶掛けを、ぜひとも、今度の家《うち》が出来あがったら、居間へ掛けたかった……」 「もう、だめだよう、先生……」 「あきらめきれぬなあ……」 「だめ、だめ。ここの亭主は、いったん、こうとおもいこんだら、とてもとても強情なんだからって、みんな、そういってますよう」 「それにしても……」  と、小兵衛の老顔がきびしく引きしまって、執着《しゅうじゃく》の色を濃く浮べた。 「ほしい、ほしいな。わしは、どうしても、あの絵がほしい……」  いつになく、あきらめきれぬ様子であった。  その夜、寝床へ入ってからも、おはるは、小兵衛のためいき[#「ためいき」に傍点]を何度もきいた。  翌朝、めずらしく早起きをした小兵衛が不二楼亭主のところへかけ合い[#「かけ合い」に傍点]に出かけたが、間もなく、がっかりしてもどって来ると、すぐに、おはるをさそって、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅の普請場《ふしんば》を見に出かけた。  おはるがあやつる小舟で大川(隅田川)をわたりながらも、秋山小兵衛の顔色は冴《さ》えない。 「先生。まだ、あの絵のことを考えているの?」  たまりかねて、おはるがいうのへ、 「そうじゃよ」  小兵衛は、まだ、あきらめきれぬらしい。  隠宅の工事は、すでに棟上《むねあ》げもすみ、棟梁《とうりょう》の富治郎が四人の大工をつかって入念な仕事をはじめていた。間取りは、およそ以前のままだが、それでも諸方に小兵衛と富治郎の工夫が凝らされ、いつもなら、好奇の眼をかがやかせ「わが家を建てるということが、このようにたのしいものだとは、おもいもおよばなんだわい」と、大工たちの仕事に見入って飽かぬ小兵衛であったが、この朝は小半刻《こはんとき》(小一時間)も浮かぬ顔で見ていて、すぐに腰をあげた。  富治郎が、おはるへ、 「今朝の先生は、どうかしているね?」 「ええ。つまらない、子供のいたずら描きみたいな絵が、ほしいんだって」  おはるの舟で、小兵衛は、大川をわたり返した。  桜《はな》もほころびかけ、どんよりと生《なま》あたたかい曇り空の何処《どこ》かで、しきりに都鳥《みやこどり》が鳴いている。  おはるは、いつものように、橋場の岸へ舟を着けたのだが、その前に、大川を上って来た小舟が、渡し場へ着いた。  黒の紋付羽織に袴《はかま》をつけ、りゅう[#「りゅう」に傍点]とした身なりの総髪《そうがみ》の侍と、どこかの若党のように見える男が舟から岸へあがって行くのを見ながら、おはるは竿《さお》をあやつり、舟を岸辺へ寄せて行ったのである。  舟からあがって歩き出した小兵衛が、追いついて来たおはるへ、 「あの舟の船頭を見たかえ?」 「見たけれど、別に……」 「あんまり、よい目つきをしていなかったな」 「あれ、そうですかあ」 「ほう……見なさい、おはる。あの舟からあがった侍が、不二楼へ入って行くわえ」 「あれ、ほんとに……」 「あの侍、剣術をちょい[#「ちょい」に傍点]と遣うようだのう」 「あれ、そうですかあ」  がっしりと肩の張った総髪の侍が不二楼へ入って行くのを横目に見やって、小兵衛は庭づたいに離れ屋へもどった。  それから昼餉《ひるげ》にしたのだが、膳《ぜん》を運んで来た座敷女中のおもと[#「おもと」に傍点]が「先生……」と声をひそめて、 「なんだか、変なんでございますよ」 「変、だと?」 「あの、蘭《らん》の間《ま》で……」 「また、お前、客の色事の盗み聞きでもやったのか?」 「そんな、ばかな……それどころじゃないらしいのですよ」 「どうした?」  おもとが語るには……。  小兵衛たちより一足先に不二楼へ入って来た総髪の侍が、 「当家の主人《あるじ》へ、取りつぎをねがいたい。拙者は大井半十郎と申す」  としごく穏やかな口調でいったものだから、すぐさま、おもとが亭主の与兵衛へ取りついだ。 「これはこれは、はじめまして……」  あらわれた与兵衛が挨拶《あいさつ》をするのへ、大井半十郎が何やらささやいたかと見る間に、 「旦那《だんな》のお顔が、たちまち、まっ[#「まっ」に傍点]青《さお》になりました」  と、おもとがいう。  与兵衛は、まさに周章狼狽《しゅうしょうろうばい》の態《てい》で、みずから大井半十郎なる侍を〔蘭の間〕へ案内をしたが、そのとき、ふるえ声で、おもとの耳へ、 「だれも寄こしてはいけない。だれにもいってはいけませんよ」  と、まるで、 「喰いつきそうな……」  怖《こわ》い顔で念を押し、それから蘭の間へ半十郎と二人で入ったきり、酒はおろか、茶も運んでいないというのだ。 「ですから先生。心配で心配で……」 「供の者は?」 「外で待っていますけれど……」 「お内儀は?」 「いま、浅草寺《せんそうじ》(浅草観音)さまへ、お参りに出かけています」 「ふうん……」  秋山小兵衛は「放ってもおけまい」と、つぶやき、腰をあげた。      二  小兵衛は、奥庭から蘭《らん》の間《ま》の外側へまわり、腰高障子をひそかに開け、蘭の間の土間へ忍び込み、件《くだん》の侍と与兵衛の声を盗み聞くつもりであった。  ところが、近寄って見ると、奥庭に面した腰高障子には桟が下りている。亭主の与兵衛は、よほどに侍との密談に神経をはらっていると見てよい。 (なるほど、な……)  すぐに、小兵衛は離れ屋へ引き返して、 「おはる[#「おはる」に傍点]。仕度をしておくれ」  外出《そとで》の仕度にかかった。 「おはる。お前はな、先へ行って舟の中で待っていておくれ」 「舟で出かけるのかよう、先生」 「実は、な……」  小兵衛が何やらささやくと、 「おもしろいねえ」  おはるは勇躍し、一足先に不二楼《ふじろう》から出て行った。  小兵衛も後から庭へ出て、物陰に佇《たたず》んだ。  侍と与兵衛が蘭の間から出て来たのは、それから間もなくのことであった。  二人が、渡り廊下をわたって行くのを、小兵衛は物陰から見とどけた。  いつもは、元気で血色もよく、でっぷりと肥《こ》えた不二楼亭主の与兵衛が、まるで死人《しびと》のような顔つきになってい、妙な手つきで腹のあたりを押えながら出て来たのだが、だからといって、別に怪我《けが》をしたとか腹が痛んでいるとか、そのようにも見えぬ。  そのうしろから、悠々とあらわれた総髪の侍の顔を、小兵衛は、このときはじめて見た。  堂々たる体格にひきかえ、顔が細く小さかった。体と顔とが別人のように、均衡がとれていない。尖《とが》った鼻のみが目立ち、うすい眉毛《まゆげ》の下に窪《くぼ》んでいる小さな両眼は、ねむっているかのようだ。 (年ごろは四十前後か……)  と、小兵衛は見た。  ともかく、異相といってよい。つかみどころがない顔貌《がんぼう》をしていた。  小兵衛は、いつもの着ながし姿に国弘《くにひろ》の脇差《わきざし》のみを帯し、侍より先に不二楼を出て塗笠《ぬりがさ》をかぶりつつ、橋場へ急いだ。  おはるは、舟に待っていた。  その向うに、総髪の侍・大井半十郎を、舟と船頭が待っている。  おはると小兵衛は、そ知らぬ顔で、舟を大川へ出した。  すぐに、大井半十郎と若党のような風体《ふうてい》をした供の男が岸辺へあらわれ、舟に乗りこんだ。 「おはる。あいつらの舟を見え隠れに尾《つ》けてくれ。できるか?」 「あい、だいじょうぶ」 「たのむぞ。気《け》どられるなよ」  おはるは自信たっぷりに、うなずく。  おはるの、先年|亡《な》くなった叔父は、なんでも深川の亀高村に住んでいた漁師だったそうで、生涯、独り身を通したというが、おはるを非常に可愛《かわい》がり、幼いときから、おはるを舟に乗せて漁に出たり、あそびにつれて行ってくれたりした。 「そのころは一年のうちの半分は、叔父さんのところで暮したものだよう」  と、いつか、おはるが小兵衛に語ったことがある。  おはるの〔船頭〕は、この叔父に仕こまれただけあって、竿《さお》も艪《ろ》も見事につかう。 「これだけが、わしの贅沢《ぜいたく》じゃよ」  小兵衛は自家用の小舟と、女船頭を抱えていることを、大治郎に、そのような表現でいったものだ。その女船頭が四十も年下の野趣|汪溢《おういつ》する若女房でもあるのだから、 「まったく、どうも、秋山先生はこたえられ[#「こたえられ」に傍点]ないだろうねえ」  と、不二楼の亭主与兵衛が、うらやましげに、棟梁《とうりょう》の富治郎へ洩《も》らしたそうな。  これは不二楼へ仮寓《かぐう》するようになってからのことだが、おはるは与兵衛について、 「あたしを見るときの、此処《ここ》のご亭主の目つきったら、大きらい。まるで体中を舐《な》めまわされているような気がしてよう」  眉をひそめ、小兵衛にうったえたことがある。  だが、不二楼主人としての与兵衛は、しっかりものの女房およし[#「およし」に傍点]と共に、商売へ打ちこみ、このあたりの料理茶屋の中では、屈指の繁盛《はんじょう》を誇っているし、座敷女中たちへは、指一本ふれたことがないそうだが、これは女房の眼がやかましく[#「やかましく」に傍点]光っているからで、与兵衛の隠れ遊びは同業者の中でも評判だということだ。  さて……。  大小の舟が行き交う川面《かわも》を、おはるは、たくみに艪をあやつり、つかずはなれず、大井半十郎の舟をつけて行った。  髪を手ぬぐいでおおい、襷《たすき》がけのおはるがむっちり[#「むっちり」に傍点]とした二の腕まであらわし、化粧の気もない桃の花片のような顔へうす[#「うす」に傍点]汗を滲《にじ》ませ、舟をたくみに漕《こ》いで行くのを、行き交う舟の船頭どもが呆気《あっけ》にとられてながめた。 「なるほど、ふむ……」  しきりにうなずいた秋山小兵衛が、 「お前の船頭ぶりは、まさに本物じゃ」  あながち世辞でもなく、ほめてやると、おはるが、何やらうらめしげに小兵衛を見て、 「あたし、ちから[#「ちから」に傍点]が余っているのだよう、先生」  と、いった。  これには小兵衛も、閉口した。  大井半十郎を乗せた舟は、両国橋をくぐり、新大橋をすぎ、三ツ俣《また》から浜町堀へ入って行った。  そして、高砂《たかさご》橋の下へ舟をつけ、大井半十郎と供の男が岸へあがり、船頭は舟を反転させ、引き返して行く。 「おはる。舟を着けて、待っていておくれ」  と、いい、小兵衛は高砂橋の手前から岸へあがった。半十郎を下ろした舟は、おはるの舟とすれちがって行ったのだが、うまいことに、間へ別の舟が入って来たので、小兵衛やおはるには気づかなかったらしい。  半十郎たちは、久松町から右へ切れこみ、そのあたりに密集する御家人《ごけにん》の住宅の一つへ入って行った。  それを見とどけた小兵衛が、村松町の角の小間物屋で、おはるのための買物をし、それとなく尋《き》いてみると、半十郎たちが入った住宅は、百|俵《ぴょう》どりの御家人・村上源平のものとわかった。  ひとくちに、徳川将軍の家来といっても、いわゆる旗本といって、将軍に目通りがゆるされるのは二百石以上の幕臣で、それより下は御家人とよばれ、その区別は判然たるものがある。  百俵取りの御家人といえば、軍役の上からは槍《やり》一筋の格式をもたされるから、すくなくとも四人の奉公人は抱えなくてはならず、将軍家から拝領している百俵を金に替えても、奉公人の給料その他を支払うと、一年の暮しを十両余りでまかなわねばならぬ。  これは、腕のよい職人などと同じ収入であり、開き門の屋敷を構えていて、 「将軍家の家来……」  だと、威張ってみたところで、内情は、まことに苦しい。まして何かの御役目にもつけぬとあれば尚更《なおさら》のことであって、村上源平は無役《むやく》で小普請組《こぶしんぐみ》に入っているらしいから、御役目をつとめずに俸給をもらっているかわりに、年に一両二分の小普請金というものを幕府へ差し出さねばならぬ。  だから層倍に、家計は苦しいものと見てよい。  さて……。  秋山小兵衛が、おはるの舟で橋場へ帰って来たのは、夕暮れになってからであった。  小兵衛は入浴し、夕飯をすませてから、 「おはる。亭主に用事があるから、此処へ来るようにいっておいで。そっと、だれにもわからぬようにな……そして、お前は、わしが呼ぶまで此処へ来てはいけないよ」 「あい、あい」  おはるが出て行って、間もなく、不二楼亭主・与兵衛が駆けこむように離れ屋へ来て、 「せ、先生。いったい、まあ、何処へ行っておいでだったので?」 「わしに何ぞ、用事でもあったかえ?」 「そ、それが先生……いえ、先《ま》ず、先生の御用向きをうけたまわりましてから……」 「わしのは、別に大したことではない。それよりご亭主、お前さんのほうから先に聞こう。どうも只《ただ》ならぬことらしいな」 「へえっ……」 「顔色が悪い」 「え……」 「お内儀にも内密《ないしょ》のことかえ?」 「う……そ、それが、その……」 「ま、いってごらん。秋山小兵衛は口が堅い。安心をしてよいぞ」      三  秋山小兵衛が手みやげをたずさえ、四谷《よつや》・伝馬《てんま》町の御用聞き・弥七《やしち》を訪ねたのは、翌日の午後である。  この日は、弥七が帰るのを待ち、何やら弥七と相談をしてから、弥七の女房おみね[#「おみね」に傍点]が経営している料亭〔武蔵屋《むさしや》〕で夕飯をよばれ、小兵衛は駕籠《かご》で橋場へ帰って来た。  待ちかねていたらしい与兵衛が離れ屋へあらわれ、 「せ、先生。何処へ行っておいでになったんでございます。こうなれば、もう、先生をたよりにするほかに、道はないのでございますから……」  と、大きな体を竦《すく》めるようにして、 「いったい、どうしたらよいのでございましょう、ねえ先生……」 「ご亭主。五十男が泣きべそ[#「泣きべそ」に傍点]をかいては、見っともない」 「ですが、先生。どうにもこうにも私は……はい、今日はもう、女房の顔を、まともには見られませんので……」 「そうだろうとも、そうだろうとも」 「先生。大井半十郎という、あの侍に、金二百両をわたす約束をしたのは、明後日《あさって》なのでございますよ」 「きいたよ、昨夜……」 「どういたしましょう、どういたしましょう……」  ひとくちにいえば、不二楼《ふじろう》の与兵衛は、大井半十郎に、二百両の大金を強請《ゆす》り取られようとしているのである。  原因は、与兵衛の隠れ遊びの相手をした女だ。  つい一と月ほど前のことであったが……。  与兵衛は、上野の仁王門・門前の料理屋〔鯉屋《こいや》忠兵衛〕方でひらかれた同業者の寄合いに出た折、小用に立って大廊下へさしかかると、向うからきちん[#「きちん」に傍点]とした身なりの町人がやって来て、 「これはこれは、不二楼の旦那《だんな》。私は、三河屋八右衛門ですよ」  と、いう。  与兵衛には見おぼえのない男だったが、そこは商売柄、如才《じょさい》なく、 「これは、お久しぶりで」  と、受けた。これがいけなかったといえばいえるが、もし与兵衛が別の出方をしたとしても、相手はたくみにいいかわし、与兵衛には決してうたがわれるようなまね[#「まね」に傍点]はしなかったろう。  相手は、与兵衛の好色ぶりにねらい[#「ねらい」に傍点]をつけていたのだから、どのようにしても、きっと、さそいこんでしまったにちがいない。  三河屋八右衛門は、その場で単刀直入に、声をひそめて、 「ちょうど、いいところでお目にかかった。めったにはありつけぬ御馳走《ごちそう》はいかがで?……いえ、ちゃんと知っておりますよ、旦那の色好みは。いえ、私も旦那と同じなのでね。世の中に、これほどの生き甲斐《がい》はございません。実は旦那。あと半刻《はんとき》ほどで、その御馳走が出る場所へ行くのですが、ご一緒にいかがでございますか?……いえ、並《なみ》の御馳走じゃあございません。さる御大名奥女中が二人、どうしても、少々お金がいるというので、金三両。一人は私がいただきますが、残る一人をだれ[#「だれ」に傍点]にしたらよいものか、せっかくの御馳走ゆえ、あれに口をかけてみようか、これがよいかとおもい迷っていたところでございますよ。はい、はい。私も、ちょいと寄合いがあって下の座敷におります。よろしかったら旦那。一刻後に、山下の翁庵《おきなあん》でお待ちしております」  さそいをかけるや、意外に、あっさりと階下へ去った呼吸のよさに、与兵衛は、むしろ勃然《ぼつぜん》となった。もしかすると三河屋八右衛門とは(どこかの、隠れ遊びで一緒になったことが、あったのかも知れない……)と、おもえてきた。大名の奥女中というのは〔まゆつばもの〕としても、三両も出して女の体を買うということに、与兵衛としては、こころをひかれた。  これまでに、高い金を出して買った女に、裏切られたことがなかったからである。  江戸市中には新吉原《しんよしわら》をはじめ、公娼《こうしょう》、私娼から踊り子にいたるまで、女遊びの場所に事は欠かぬが、隠れ遊びの場合は、おもいがけぬ女にぶつかることがある。  二年ほど前に与兵衛は、本郷六丁目の味噌《みそ》問屋〔伊勢屋利助〕の女房と遊んだことがある。利助は老人だが、女房は後ぞえの三十女で、向うも遊びで男を漁《あさ》る。だから、双方で出した金は仲介をした者が取って、密会のだんどり[#「だんどり」に傍点]を取りしきってくれるのである。  いまも伊勢屋の若女房とは、三月に一度ほど忍び逢《あ》っている与兵衛だけに、三河屋八右衛門と名乗る男の妙なさそい[#「さそい」に傍点]へ、 (おもしろい、乗ってみよう)  と、こころを決め、寄合いの席にいた浅草・南馬道の料理屋〔山野屋庄七〕から不足分の一両余を借りうけ、一刻後に、上野山下の蕎麦《そば》屋〔翁庵〕へ出かけて行くと、三河屋八右衛門がいて、 「お見えにならぬとおもっていましたが、よく、おいでなすった。さ、すぐに出かけましょう」  と、先に立った。  そのときのことを、不二楼・与兵衛が秋山小兵衛へ、 「そのとき、奥山にある玉の尾[#「玉の尾」に傍点]という、小さなひっそりとした料理茶屋へ案内されて遊びましたが……いや、もう、なんともいえぬ味わいの女でございましてな、身なりは変えておりましたが、どう見ても大名家の奥女中。年のころは二十二、三か……品がよくて行儀正しく、それでいて、抱いてみますると、その肌身《はだみ》のよいことよいこと、まるであぶら[#「あぶら」に傍点]の乗った鮃《ひらめ》の切身《きりみ》のような……」  などと、さしせまった危急をも忘れて洩《も》らしたのは、よほどの女だったにちがいない。 〔玉の尾〕を出るとき、三河屋八右衛門に、 「今日の女《ひと》に、もう一度、会いたいものだが……」  そういうと八右衛門が、 「わかりました、不二楼さん。そのときは、そっとお知らせをいたします」 「それはさておき、三河屋さんのお店は何処でしたかね?」 「芝の宇田川町の小間物屋でございますよ。お忘れで?」  言下にこたえられて、与兵衛は、 「あ、さようさよう。おもい出しましたよ」  なぞと相槌《あいづち》を打ったりしたものだ。  それから一と月、何の音沙汰《おとさた》もないのでつい、五日ほど前、たまりかねた与兵衛が宇田川町へ八右衛門をたずねてみると、そこには三河屋という小間物屋など、影も形もない。 (ははあ……あの男、うまく化けたが、やっぱり阿呆烏《あほうがらす》だったのか……)  苦笑が浮いたけれども、別に気にとめなかった。  阿呆烏というのは、店も抱え女もなく、単独に女を客にとりもつ所業《しわざ》をする者たちを、売春業者が軽蔑《けいべつ》していう名称である。      四  ところで、大井半十郎は、与兵衛が抱いた大名家の奥女中お喜乃の、 「兄である」  と、与兵衛にいった。  お喜乃は、越後《えちご》・村松三万石、堀|丹波守《たんばのかみ》の上屋敷(下谷《したや》広小路)につとめる侍女だという。  それが、このたび、不二楼《ふじろう》の亭主と密会をしたことが堀家の奥向きに洩《も》れきこえはじめ、お喜乃が窮地におち入った。  このうわさ[#「うわさ」に傍点]を、もみ消すためには、 「なんとしても、金二百両が必要である」  と、大井半十郎が、与兵衛に、 「おぬしに責任《せめ》のあることゆえ、その金を出してもらいたい」  こういうのである。  冗談ではない。もし、お喜乃が堀家の侍女だとしても、彼女は売春行為をしたのである。金で与兵衛に体をあたえ、与兵衛は金三両を払っている。何もいまさら、与兵衛が責任をとるいわれ[#「いわれ」に傍点]はないのだ。  むろん、与兵衛は恐る恐るそのこと[#「そのこと」に傍点]をいいたてた。  すると半十郎は、 「それは、おぬしの口実にすぎぬ」  うす[#「うす」に傍点]笑いをうかべて取り合おうともせず、どうしても金ができぬというのなら、そのかわりに、なんと、与兵衛の男[#「男」に傍点]の象徴《しるし》を切り取って、堀家への申しわけにする、などと、とほうもないことをいい出したかとおもうと、 「それでもよければ、そうなされ。なに、一物《いちもつ》を切断したとて死ぬるわけのものでもない。切って落すは、この拙者」  いうや、中腰になった。  中腰になった大井半十郎の右手がうごいたとおもったら、 「ぴかっ[#「ぴかっ」に傍点]と、何か光りまして、鎌風《かまいたち》のように、私の……」  与兵衛の肥《こ》えた腹のあたりへ、風が疾《はし》った。  半十郎が大刀をつかんで、抜き打ったのである。  刀身は空間に弧を描き、あっ[#「あっ」に傍点]という間に、音もなく鞘《さや》へおさめられていた。 「ご亭主。見られい」  いわれて気がつくと、与兵衛の腹のあたりの衣服が五寸ほど横ざまに切り裂かれてい、腹の皮へ一《ひと》すじ、糸のように血が滲《にじ》んでいる。  与兵衛が動転の極に達したのは、実にこのときであった。  あとは、大井半十郎のいうままに、二百両をさし出すことを承知するよりほかはなかった。  この強引で乱暴な強請《ゆすり》に与兵衛が負けた大きな原因は、やはり、女房およし[#「およし」に傍点]の目をぬすんでの隠れ遊びによるものである。  およしは家つきの女房ではないが、まったく、与兵衛は頭が上らぬ。それというのも、およしが同業者の〔梅松屋政五郎〕のむすめで、新橋加賀町の大きな料理茶屋・梅松屋から不二楼へ嫁ぐとき、当時、先代からの経営不振で四百両に近い借金があった不二楼へ、梅松屋がむすめのために五百何十両も金を出してくれ、危急を救われたいきさつ[#「いきさつ」に傍点]がある。  こういうわけで、不二楼における内儀のおよしの実権は大きい。  小兵衛にはよくしてくれるし、見たところは、いかにもおとなしそうなおよしが、一見は、強情張りの亭主によくつかえ、何でも「はい、はい」と、いうことをきいているように見えながら、実は、 「そりゃもう、いざとなったら、うち[#「うち」に傍点]の旦那《だんな》は二の句が継げないほどに、やっつけられてしまいます」  と、女中のおもと[#「おもと」に傍点]が小兵衛に語ったこともあるほどだ。 「こ、こんなことが、およしの耳へ入ったら、むすめのおきん[#「おきん」に傍点]に聟《むこ》をとり、私は、すぐにも隠居させられてしまいます」  与兵衛は、青ざめて、そういった。  おきんは今年十八歳。不二楼夫婦の可愛《かわい》いひとりむすめ[#「ひとりむすめ」に傍点]である。 「秋山先生。早く何とかしないと、明後日は、すぐに来てしまいます」 「とりあえず、金二百両。出してやったらどうだな?」 「と、とんでもない。女房の目をかすめて、そんな大金が出せるわけはございません。と、とにかく、一時も早く、あの恐ろしい侍を帰してから、私は、まっ[#「まっ」に傍点]先に、秋山先生をたよろうと、そう、考えておりました。な、なんとか一つ、先生。うまい考えを……」 「つまり、これは一にも二にも、女房どのの耳へ入れたくないことゆえ、困っているわけじゃな」 「さ、さようでございますよ、先生。それにもう一つ、このようなことが世間へひろまりますと、うち[#「うち」に傍点]の商売にもさしつかえてまいります」 「ま、評判は悪くなろうねえ」 「そ、そのことなので。そのことなので……」 「ふうむ……まあ、とにかく明日のことだ。なんとか考えてはみようがね」 「こころ細うございますなあ……」 「泣くな、泣くな」      五  翌日の午後、四谷《よつや》の弥七《やしち》が来て、一刻《いっとき》(二時間)ほど小兵衛と語り合い、帰って行った。  それを待ちかねていたように、与兵衛が離れ屋へ駆けつけ、 「先生。先生……」 「また、泣く」 「いったい、どうして下さるのでございますよう……?」 「二百両をわたす約束の日は明日だな?」 「はい、はい」 「よし。わしが一緒に行こう、約束の場所へ……」 「ほ、ほんとうでござりますか」 「ほんとうとも」 「けれど、金が……あの、二百両は?」 「持たぬでもよいわえ」 「へえっ……?」 「わしに、まかせておけ」  約束の日時は、明日の暮六ツ(午後六時)。  場所は、橋場からも近い石浜神明宮の北ノ鳥居前だという。  与兵衛が出て行くと間もなく、秋山小兵衛は身仕度をして、庭づたいに外へ出て行った。  おはる[#「おはる」に傍点]は、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の普請場《ふしんば》へ行っていて、まだ帰って来ない。  いつもの着ながし姿に羽織をつけ、竹の杖《つえ》をついた小兵衛は、橋場の船宿〔三河屋〕から小舟を出させた。  小兵衛が、浜町堀の高砂《たかさご》橋で舟を下りたとき、すでに夕闇《ゆうやみ》は濃かった。  久松町の角を入って行くと、御家人《ごけにん》屋敷の塀の内の木々の新芽《しんめ》から発散する匂《にお》いが、意外に強くただよいながれている。  まぎれもなく、春の宵であった。  百俵取りの御家人・村上源平の開き門の前に立った小兵衛が、 「ごめん、ごめん」  門を叩《たた》くと、潜門《くぐりもん》の戸が開き老僕らしいのが顔を出した。 「わしはな、以前、四谷に道場をかまえていた剣術つかいの秋山小兵衛と申す者で、ここ[#「ここ」に傍点]の先代は、わしの弟子であったが、御当主も、わしのことはおぼえていなさるだろう。ちょ[#「ちょ」に傍点]と、取次いでくれぬか」  おだやかにいった。 「はい。少々、お待ち下さいますよう」  実直そうな老僕は、すぐに引き返し、小兵衛を丁重にみちびき入れた。  当主の村上源平は二十三歳で、去年、父の死後、家督をして妻を迎えたばかりだと、小兵衛は弥七の報告をきいていた。  源平には弟三人、姉一人がいて、つぎの弟・源次郎に、 「いま、養子縁組のはなしが、もちあがっているそうで」  と、弥七はいった。  一昨日。大井半十郎が村上邸へ入るのを見とどけたとき、小兵衛は十年も前に、四谷の道場へ熱心に通って来た先代の顔を、すぐにおもい出したが、念のため弥七に調べさせ、先代の村上源平が病歿《びょうぼつ》したことを知ったのである。 「これは、よくこそ。秋山先生のことは、亡《な》き父より、いつもうけたまわっておりました」  書院へ、小兵衛を迎えた当代の村上源平が、丁重に挨拶《あいさつ》をした。  若いが、折目も正しく、小兵衛が見ても、村上源平が、今度の強請《ゆすり》に関係しているとは考えられぬ。  そこで小兵衛は、かの総髪の侍・大井半十郎の風貌《ふうぼう》を語りきかせ、 「御存知ないかな?」 「それは……」  一瞬、いいよどんだ源平が、 「もしや、大島弥十郎殿のことでは?」 「そのお人は、御当家と、どのような?」 「は……姉の、許嫁者《いいなずけ》、ということになっております」  と、こたえた口調が、どうも煮え切らぬ。  源平の姉・お喜乃は、たしかに、もとは堀|丹波守《たんばのかみ》屋敷へ侍女奉公に出ていたことが、源平のはなしによってわかった。  お喜乃は、三年前に、本所《ほんじょ》・石原町に住む御家人・井口直五郎へ嫁いだが、子が生れぬという理由で離縁となり、一年前に実家へもどっているらしい。  大島弥十郎は先代と顔見知りの剣客で、前から、よく村上家へ出入りをしており、深川の吉永町に小さな道場をかまえているそうな。  煮え切らぬ村上源平のことばから、小兵衛は、大島弥十郎が出もどりのお喜乃と、 (できて[#「できて」に傍点]いるな……)  すぐに直感をした。  それから半刻ほど、小兵衛がささやくように語ることばをきくうち村上源平が、顔面|蒼白《そうはく》となったものである。  小兵衛は、語っているうち、次の間へ音もなく入って来た人の気配を知った。  源平は知らぬ。  源平は、困惑悩乱の態《てい》であった。  二人の密談が終ると同時に、次の間の人の気配も消えた。  小兵衛は源平をなだめているようであった。  村上家を辞した秋山小兵衛は、高砂橋の下に待たせておいた舟の船頭へ、 「もう、帰っていいよ」  こころづけ[#「こころづけ」に傍点]をわたし、先へ帰しておいて、自分はぶらぶらと河岸道《かしみち》を三ツ俣《また》の方へ歩み出した。  夜である。このあたりの浜町堀の両岸は武家屋敷のみで、まったく人気《ひとけ》が絶えていた。  何処かで、猫が鳴いた。  竹の杖《つえ》をついた小兵衛が秋山|但馬守《たじまのかみ》・中屋敷の塀外へさしかかったとき、足をとめ、しずかに振り向き、 「きさま。わしと源平殿のはなしを、次の間できいていたのう」  と、いった。  闇の幕を割って、総髪の大男がぬっ[#「ぬっ」に傍点]とあらわれた。 「大井半十郎……いや、大島弥十郎。悪い奴《やつ》め。源平の姉お喜乃をそそのかし、ひとかどの剣客が女の体を種に金をゆすろうとは、な」 「だまれ!!」  小兵衛を侮《あなど》りきって、たちまちに間合いをつめ、もの[#「もの」に傍点]もいわずに抜き打った大島弥十郎の大刀は、小兵衛がひょい[#「ひょい」に傍点]と突き出した竹杖の尖端《せんたん》五寸ほどを切りはらった。  すい[#「すい」に傍点]と身を退《ひ》いた小兵衛が投げた竹杖は闇を切り裂き、弥十郎の面《おもて》を襲った。  二の太刀《たち》を送りこもうとした弥十郎が、 「う……」  くび[#「くび」に傍点]を振って竹杖を避けた転瞬、秋山小兵衛が《むささび》[#「」は「鼠+吾」第4水準2-94-68 DFパブリW5D外字="#F96B"]のごとく走り寄って、 「む!!」  堀川|国弘《くにひろ》の脇差《わきざし》を抜き打ちに、弥十郎の左腕を切った。 「あっ……」  よろめく弥十郎の側面へ、小兵衛の小さな体が飛んだとき、国弘の切先《きっさき》は深々と大島弥十郎の頸《けい》動脈をはね[#「はね」に傍点]切っていたのである。  大刀を落した弥十郎が、のめりこむように浜町堀へ落ちこんだ。  朧《おぼろ》月夜であった。      ○  五日後に、四谷の弥七があらわれ、大島弥十郎の死体については、 「いいあんばいに有耶無耶《うやむや》になってしまいました。あの大島弥十郎というやつ、道場をかまえてはいるが、ろく[#「ろく」に傍点]に門人もなく、いろいろと悪事をはたらいていたようでございますよ」  村上源平の弟が養子に行くためには、少なくとも金五十両の結納金を養家へ贈らねばならぬ。  源平が、その金策に苦労しているのを見て、出もどりの姉お喜乃が心配しているのを、情夫の弥十郎が、 「ただの一度だけでよいのだから……」  と、そそのかし、悪《わる》の阿呆烏《あほうがらす》たちと組んで、不二楼《ふじろう》の与兵衛にねらい[#「ねらい」に傍点]をつけたらしい。  このことを村上源平は、まったく知らなかった。  大島弥十郎を斬《き》って帰った、あの夜。  小兵衛が、 「明日のことは心配ない。二百両も要らぬことになったよ」  そういうと、不二楼の与兵衛は、狐《きつね》につままれたような顔つきになったものだ。  その後も、しきりに、様子をききたがる与兵衛へ、 「くどいのう。わしが大丈夫というたら大丈夫じゃ。安心をしてねむれ。それからのう、ご亭主。これからは隠れ遊びはつつしめよ。お前さんの色好みは、江戸の阿呆烏の間では大評判だそうな」  かなり、きびしい声で、いってやった。 「弥七。まあ、ゆっくりして行け。久しぶりで酒をくみかわそうよ」 「墨堤《どて》の桜《はな》も満開というところで……」 「そうさ。いつの間にか、な……」 「ほほう……」 「どうした?」 「めずらしい絵でございますね」  と、弥七が床の間にかけてある茶掛けを指《さ》した。 「わかるかえ?」 「富士山で……」 「さよう。朝の陽が頂《いただき》へ射《さ》しこんだところじゃ」 「ははあ……」 「あの絵はな、わしが強請《ゆす》り取ったのよ」 「御冗談を……」 「だが安い、安い。この絵では安かったわえ」  廊下の何処かで、女中たちを叱《しか》りつける亭主の声がしている。     陽炎《かげろう》の男      一  小さいが檜《ひのき》造りの湯槽《ゆぶね》に、陽炎がゆれていた。  桜《はな》も散ってしまい、日ごとに闌《た》けてゆく春の或《あ》る日の入浴を、いま、佐々木|三冬《みふゆ》はたのしんでいる。  三冬は二十日ぶりに、根岸の〔和泉屋《いずみや》〕の寮(別荘)へ帰って来たところであった。  過ぐる二月二十四日に、現将軍(十代)徳川|家治《いえはる》の長男・家基《いえもと》が急死したため、三冬の父・田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》は幕府老中として、多忙をきわめた。  この年、安永八年(一七七九年)で十八歳になった家基は、死の三日前の二十一日に、新井のあたりへ鷹狩《たかが》りに出かけたのだが、急に不快をもよおしたので、すぐさま江戸城へ帰り、手当をつくした。  しかし、その甲斐《かい》もなく、高熱と嘔吐《おうと》がつづくうちに急逝《きゅうせい》してしまった。  このときの鷹狩りには、池原|雲伯《うんぱく》という侍医が加わっていて、田沼意次が雲伯をあやつり、将軍の世子《せいし》に、 「毒を盛った……」  などという風評がたったのは、後になって意次の威勢が頂点に達したとき、陰でささやかれたりしたものだが、いまは別に、意次自身へのあらぬ[#「あらぬ」に傍点]噂《うわさ》がたちのぼったわけではない。  だが、あまりの急死ゆえ、毒殺の風説がなかったとはいえぬ。  それだけに、田沼意次の身辺にも、 「どのような火の粉が、ふりかかるやも知れぬ」  というので、登城・下城の行列の警固もきびしくなり、意次は「大仰《おおぎょう》なまね[#「まね」に傍点]をせずともよい」といったが、もとより男装の佐々木三冬は、父の駕籠《かご》わきに引きそい、この二十日ほどは田沼邸へ泊りこみ、緊張をゆるめなかったのである。  それも、いま、ようやくにゆるんだ。  家基急死のさわぎも、どうやらしずまり、江戸城中も平静に復した。  そこで三冬も、この日の昼下りに根岸の寮へもどり、留守番の老僕・嘉助に、 「父上御屋敷の風呂場《ふろば》は、よろず面倒で、のびのびと入る気にもなれぬゆえ、もう五日も湯浴《ゆあ》みせぬのじゃ。さ、早《はよ》う、風呂をたてて」  せわしなく、いいつけたものである。 「ああ……」  若衆髷《わかしゅわげ》をときほぐして髪を洗い、裸身を湯槽に沈めると、これまでの三冬ではない三冬になった。  長年にわたり、男髷《おとこまげ》にゆいあげていて、髪の丈《たけ》は短いのだけれども、うっとりと眼を閉じ、湯槽の縁《へり》にあたま[#「あたま」に傍点]をもたせかけている三冬の胸のふくらみのあたりへ洗い髪が藻《も》のようにゆらいでいる。  二十一歳の佐々木三冬が、まるで十七か八の乙女《おとめ》に見える。  男装のときは、すらり[#「すらり」に傍点]と細身に見える三冬なのだが、裸体は意外に肉置《ししおき》がゆたかであって、こんもりとふくらんだ乳房の先の、紅《あか》い小さな蕾《つぼみ》の愛らしさを見たなら、秋山|小兵衛《こへえ》といえども、 「ふうむ……」  瞠目《どうもく》するにちがいない。  せまい湯殿にたちこめる湯気が、三冬の体臭を中和させてはいるけれども、五日もの間、三冬の肌身についた凝脂《ぎょうし》の濃さは如何《いかん》ともしがたい。  これから三冬は、垢《あか》すりで、この凝脂を刮《こそ》げとることになるわけだが、 「ああ……」  またしても、深いためいき[#「ためいき」に傍点]を吐《つ》き、われ知らず三冬が両手に、わが乳房をつかんだ。  これまでは、男そのものになったつもりで、剣の道へ打ちこんでいた三冬が、 (このごろ、私は、どうかしている……)  と、おもい、おもわず顔を赤らめることがある。  入浴の折ばかりではなく、深夜、ふと目ざめ、わが体温にぬくめられた夜具の中で、いつの間にか、自分の手が自分の乳房にふれていることに気づく三冬であった。  そして、その自分の手に、三冬は男の手の感触を想《おも》っているのだ。  そうしたとき、両眼を閉じた佐々木三冬の脳裡《のうり》に浮ぶのは、あれほど慕いつづけてきた秋山小兵衛老人のそれ[#「それ」に傍点]ではない。  ここが、われながら不可解なのである。  いまだに三冬は、小兵衛がおはる[#「おはる」に傍点]と夫婦になったことを知らぬし、小兵衛のことをおもわぬ日とてはない。それでいて、わが肉体を抱きしめるまぼろし[#「まぼろし」に傍点]の男は、小兵衛ではないのだ。  では、だれなのか?……というと、それもわからぬ。  はっきりとした男の顔も姿も、浮んでは来ない。  ただ、 (私よりも強く、たくましい……)  男の黒い影のみが、三冬の心界《しんかい》を領しているのであった。 「ああ……」  と、またもためいき[#「ためいき」に傍点]が出た。  閉じられていた三冬の両眼が、活《かっ》と見ひらかれたのは、つぎの瞬間であった。  湯殿の外に、三冬は怪しげな気配を感じた。  外には、たしか嘉助がいて風呂の焚口《たきぐち》へ屈《かが》み込み、湯加減を見ているはずだ。  その嘉助の気配ではなかった。  そういえば、すこし前まで、外から何かとはなしかけてきていた嘉助の声が絶えていた。      二  佐々木三冬の亡《な》き実母・おひろ[#「おひろ」に傍点]の実家である書物問屋の和泉屋《いずみや》の寮は、三間《みま》から成っていて、風雅な造りだ。  外見はわら[#「わら」に傍点]屋根の田舎ふうで、変哲もないが、中へ入るとなかなかに凝った数寄屋普請《すきやぶしん》であった。  老僕・嘉助の小部屋は台所に接し、その向うに湯殿があり、湯殿の外は寮の裏手で、去年の暮に大男の渡り中間《ちゅうげん》・金蔵が押しこめられていた物置が、湯殿の小窓からも見える。 「爺《じい》や……爺や……これ、嘉助……」  湯槽に身を沈めたまま、三冬は外へ声をかけてみた。  嘉助の返事はなかった。  三冬は、しずかに湯槽の中へ立ち、小窓の突き上げ戸をわずかに押しあげ、外を見て、 (や……?)  はっ[#「はっ」に傍点]とした。  物置の陰に立った浪人ふうの男が、凝《じっ》と、こちらを見すえている。総髪《そうがみ》の堂々たる体格の男で、顎《あご》が口もとよりも大きく張り出し、ふところ手をしたまま、針のように細く光る眼で湯殿の小窓をにらんでいるのだ。  浪人は袴《はかま》をつけてい、身なりも悪くはない。  小窓の内からの視界に、嘉助の姿は入ってこなかった。  三冬は、浪人の両眼から、きびしい視線をはなすことなく、もう一度、嘉助を呼んだが、返事はない。  浪人は右手をふところから出し、髭《ひげ》あとの青い頬《ほお》のあたりを撫《な》でた。  そのときであった。  突然、湯殿の板戸が開き、二人の男が湯けむりの中へ躍り込んで来た。  間髪《かんはつ》を入れず、三冬も湯槽から飛び出している。 「あっ……」  と、叫んだのは、男どものほうである。  彼らも、入浴中の者が、かならずしも男だと決めてはいなかったろう。  しかし、全裸の若い女が悲鳴もあげずに、むしろ、襲いかかるつもりの自分たちを迎え撃つかたち[#「かたち」に傍点]で飛びかかって来ようとは、おもいもかけぬことだったにちがいない。  たじろぐ二人の男を突き飛ばすようにして、三冬が湯殿から走り出た。  一人は若い浪人。一人は見るからに無頼《ぶらい》の中年男であったが、 「や、畜生め……」  あわてて、三冬の白い背中へ飛びついた無頼者が、台所の土間へ翻筋斗《もんどり》を打つように叩《たた》きつけられ、気絶してしまった。 「お、おのれ!!」  若い浪人が、せまい台所で腰をひねり、大刀を抜き打たんとするとき、ぱっ[#「ぱっ」に傍点]とつけ入った佐々木三冬の右手が、刀の柄《つか》へかかった浪人の手を押えた。 「うぬ!!」  それ[#「それ」に傍点]を振りはらおうとして柄から手をはなした浪人の両眼へ、三冬の左手の指二本が電光のごとく突きこまれたものである。 「ぎゃあっ……」  たまったものではない。  両眼を押え、潜入して来た台所の戸口から、若い浪人はころげ出るように逃げて行った。  三冬も身をひるがえし、衣類をつかみ、奥の部屋へ駆けこむや、す早[#「す早」に傍点]く若草色の小袖《こそで》をまとって帯を巻きしめ、大刀をひっさげて庭へ飛び下りた。  何よりも早く、嘉助の安否を、 (たしかめねばならぬ……)  と、おもったからだ。  庭から、裏手へまわると、いましも若い浪人が両眼の激痛をこらえつつ、気絶した無頼者を土間から外へ引きずり出しているところであった。  老僕・嘉助は、湯殿の焚口《たきぐち》のあたりに伏し倒れている。 「爺……」  呼びかけた三冬は、物置の陰からこちらへ歩み寄って来る総髪の浪人を見て、足をとめ、 「何者じゃ!!」  切りつけるように誰何《すいか》した。  総髪の巨漢は、にやりと笑い、大刀の柄へ手をかけた。  そのとき三冬が、われ知らず、 「この家は、老中・田沼|主殿頭《とのものかみ》が縁《ゆかり》の家ぞ。それを知ってのことか!!」  と、叫んだのは、下着もつけぬままに引っかけた小袖の帯がゆるみ、胸もとがくずれてきて、さすがに、そこは女のことゆえ、おもいきった行動がとれず、怯《ひる》みも出たからであろう。 「む……」  総髪の顔つきが変った。ねめまわすように三冬を見ていたが、不審そうな表情を浮べた。男装の三冬の、まだ抜刀はしていないが端倪《たんげい》すべからざる身構えにも、おどろいたらしい。 「急げ」  と、総髪が若い浪人へいった。  無頼者も息を吹き返し、若い浪人に助けられて、垣根を越え、細道をへだてた竹藪《たけやぶ》の中へ消えて行った。  そのときまで、三冬と総髪の浪人は、にらみ合っていたわけだが、 (こやつ、出来る……)  と、三冬も相当に緊張した。  近くには、あの〔山崎屋卯兵衛〕の寮があるだけで、そこにはいま、だれも入っていない。  根岸の里の、このあたり田園風景は、江戸市中のものともおもわれぬ静寂さであった。  総髪が、ゆっくりと垣根を越え、竹藪へ消えたとき、佐々木三冬の総身《そうみ》へ一度に汗がふき出してきた。  木洩《こも》れ日《び》が三冬の眼に痛かった。  どこかで、しきりに鶯《うぐいす》が鳴いている。 「爺……嘉助……」  われに返った三冬は、嘉助を抱き起した。  嘉助は当身《あてみ》を受けて気絶していたにすぎない。三冬は、ほっ[#「ほっ」に傍点]とした。      三  秋山大治郎が、根岸の寮へ駆けつけてくれたのは、六《む》ツ半(午後七時)ごろであったろう。  あれから佐々木三冬は、先《ま》ず、秋山小兵衛にこの事件[#「この事件」に傍点]を語り、以後の指示を仰ごうと考えたが、こうなると嘉助一人を残して行くことはあぶない。二人で出てしまっては、 (あの無頼どもが、また、あらわれて何をするか知れたものではない)  と、おもった。  あのとき嘉助は、湯殿の外の焚口《たきぐち》へ屈《かが》みこんでいたが、いつの間にか浪人たちが裏手へ侵入して来て、振り向いたとたんに鳩尾《みずおち》を強打され、気をうしなってしまった。  風呂場《ふろば》へ飛びこんで来た二人の様子では、この寮が上野山下の書物問屋・和泉屋《いずみや》のもので、そこに佐々木三冬が住んでいることを、 (承知の上で、押しこんで来たようにはおもえぬ)  のである。 (では、物|盗《と》りか……?)  それにしては、いかに閑静な根岸の里とはいえ、日も明るい午後に押しこんで来たのが、うなずけない。  単なる物盗りでは、あれほどに大胆な奇襲をかけるわけもないし、屈強の浪人二人をまじえた曲者《くせもの》が、大金を置いてあるとはおもえぬ寮などへ、わざわざ押しこむこともないではないか……。  そこが、どうにも、 (腑《ふ》に落ちぬ……)  佐々木三冬であった。  三冬が嘉助を介抱していると、いつも立ち寄る豆腐売りがやって来たので、坂本三丁目の菓子|舗《みせ》〔布袋屋《ほていや》〕へ使いに行ってもらい、布袋屋の手代《てだい》・幸次郎をよんだ。  布袋屋で売っている茶巾餅《ちゃきんもち》は、三冬の大好物だし、田沼意次もこれを好んで、三冬の引き合せにより、布袋屋は田沼屋敷へ出入りをゆるされたものだから、三冬のことになると、 「下へもおかぬ」  のである。  三冬は、小兵衛にあてて手紙を書き、幸次郎を浅草・橋場の〔不二楼《ふじろう》〕へ走らせた。  そして、秋山大治郎があらわれるまでの間、三冬は戸締りをかため、奥の間へ嘉助と共に入り、大刀を引きつけ、苛々《いらいら》と秋山小兵衛を待っていたのである。  小兵衛ではなく、大治郎が駆けつけたことに、三冬は、いささか不満であった。  実は、幸次郎が不二楼へ着いたとき、小兵衛はおはる[#「おはる」に傍点]の実家へ出かけてい、半刻《はんとき》(一時間)ほど後に帰って来た。  そして、三冬の手紙を読み終えるや、おはるに、 「この手紙を大治郎のところへ届けておくれ」  と、わたし、大治郎へは結び文をしたためた。  つまり、 「このことについては、お前が三冬さんの相談に乗ってあげるがよい」  と、いうわけだ。 「それで、駆けつけてまいったのですよ。夕餉《ゆうげ》を食べずに来たものだから、腹が空《す》いています」  などと大治郎も、このごろは、こんな口をきくようになっている。 「それは、それは……」  大治郎が来たので、老僕・嘉助も生色《せいしょく》がみなぎり、 「何もございませぬが、只今《ただいま》、すぐに……」  と、台所へ入って行った。 「ところで三冬どの。そのときのことを、おはなし下さい」 「実は……」  三冬が語るのをきいて大治郎が、 「この家は、はじめから和泉屋どのの持ち家でしたか?」 「いえ、三年ほど前に買い入れたものだそうです」 「どこから買い入れました?」 「それは嘉助が、よう知っているはず」  台所からよばれた嘉助がいうには、 「この寮は、ずいぶん古く建ったものだそうで……はい。和泉屋さんは三年前に、神田|鍛冶《かじ》町の書物問屋・秋田屋の仲介《なかだち》で、井村|松軒《しょうけん》というお医者から買われたと、きいておりますが……」 「では、和泉屋どのの前は、医師・井村松軒の持ち家だったという……」 「はい、さようで」 「ふうむ……」  三冬が、そこへ口をはさんだ。 「大治郎どの。そのようなことが、今日の変事に何やら関《かか》わり合いがあるというのですか?」 「あると、きめているわけではありません」 「では、何故……?」 「ないとも、いえぬ」 「まあ……」 「なるほど。あなたの申されるとおり、只の物盗りではないようです。また、三冬どのと知って襲いかかったのでもないとすると……」 「では……」  と、さすがに三冬も昂奮《こうふん》の色を浮べ、 「では、前に、この寮に住んでいた井村松軒が、まだ此処《ここ》にいるとおもうて襲いかかった、とでも……?」 「そうではないとは、いいきれません。いかがです、三冬どの」 「なるほど……」 「いずれにせよ、明日は私が和泉屋どのへ行き、くわしく、はなしをきいて……」 「いえ、それは私が……」 「そうだ。そのほうがよいでしょう」  大治郎は、嘉助が運んで来た豆腐汁と漬物などで食事をすませ、 「今夜は此処へ泊りましょう」 「そうして下さるか、かたじけない」  男装の三冬は、いつもの若衆髷《わかしゅわげ》にゆいあげるゆとりもなかった故《ゆえ》か、洗い髪をうしろで束《たば》ね、紫の布をもって結んである。いつもよりは女らしい。  夜ふけて……。  秋山大治郎は奥の間に、三冬は次の間に、嘉助は自分の小部屋でねむった。  床《とこ》につくと大治郎は、すぐに、健《すこ》やかな寝息をたてはじめた。  その寝息が、襖《ふすま》ごしに、三冬の耳へ入ってくる。 (ふ、ふふ……安気《あんき》な大治郎どのじゃ)  と、苦笑をもらして三冬が、両眼を閉じてねむろうとしたのだけれども、妙に、ねむれない。 (どうしたことか……?)  大治郎もいることだし、腕におぼえがある三冬だけに、昼間の浪人たちの再度の襲撃を恐れていたのでは決してない。  妙に、気もちが昂《たかぶ》っている。  あのとき、湯殿にいた全裸の自分を二人の曲者に見られたときのことが、しきりにおもい出されてくる。 (ばかな……)  自分で自分を叱《しか》ってみたが、どうにもならぬ。  わが肌身を、男の前にさらしたのは今日が、はじめての三冬なのである。 (私としたことが、ばかなことを……)  しかし、いけない。  眼を閉じた暗い瞳孔《どうこう》の中に、ふっ[#「ふっ」に傍点]と、二人の曲者ではない男の顔が浮んできた。 「あ……」  おもわず、三冬は低く叫んだ。  その男の顔が、なんと、秋山大治郎だったからである。 (ど、どうして、大治郎どのが、湯殿の私の前に……)  であった。  明け方近くなって、三冬はとろとろと微睡《まどろ》み、夢を見た。  夢の中で、男の手が三冬の乳房をもみしだいている。その男の顔も大治郎なのだ。  はっ[#「はっ」に傍点]と目ざめたとき、三冬は、わが双手《もろて》に乳房をつかみしめてい、全身を汗に濡《ぬ》らしていた。      四  翌朝。  佐々木三冬は朝飯もそこそこ[#「そこそこ」に傍点]に、秋山大治郎へ、 「では、先《ま》ず和泉屋《いずみや》へ行ってまいる」 「お帰りまで、此処《ここ》をうごきませんから、御心配なく」 「たのみましたぞ」  と、今朝は妙に肩をいからせ、いつもの男ことば[#「男ことば」に傍点]も何か、ぎごちなく感じられる。  そのくせ、大治郎が何かいいかけるたびに、面《おもて》を伏せたり、急に顔を赤らめたり、そうかとおもうと両肘《りょうひじ》を張り胸を張って、強張《こわば》った声で受けこたえをするのである。 (おかしな三冬どのだ)  三冬が出て行ったあと、大治郎は嘉助に、 「家の戸締りを、すべて開けておきなさい」  と、いった。 「かまいませぬか……」 「相手が出てくれば、ちょうどよいではないか。ちがうかね?」 「はい、それはもう……」  嘉助も、三冬ひとりでは、やはり、たよりないらしいのだ。  大治郎がいてくれれば、大安心という顔つきになっている。 「曲者《くせもの》がやって来たら、其処《そこ》へ入っていなさい」  と、大治郎は奥の間の押入れを指した。 「はい、はい」  うれしそうに、嘉助がうなずいた。  ところで……。  三冬は、五条天神門前の和泉屋へおもむき、すぐに主人の吉右衛門へ昨日のことを語った。  和泉屋吉右衛門は、三冬の実母・おひろ[#「おひろ」に傍点]の兄だから、三冬にとって伯父にあたる。  三冬の母は、田沼屋敷へ侍女奉公をしているうち、田沼意次の手がつき、三冬が生れたのである。  妾腹《しょうふく》とはいえ、老中・田沼意次のむすめにちがいはないのだから、和泉屋吉右衛門のことばづかいも、おのずからあらたまってくるが、そこは血縁のことだからそこはかとなく声に情がこもるのは当然であった。  三冬のはなしをきいて、和泉屋吉右衛門も、 (うち捨ててはおけぬ……)  と、おもったらしい。 「それでは、これからいっしょに、あの寮を買うとき仲介をしてくれた秋田屋太兵衛のところへ行ってみましょう」 「伯父さまは、寮の前の持ちぬしの井村松軒という医師を御存知ではないので……?」 「見たことはありませんよ。秋田屋さんは信用ができる人だし、万事をまかせておいたのでね。私が、あの寮を買《こ》うたとき、その井村なんとやらいうお医者さまは、上方《かみがた》のほうへ移り住んだとかで、私がわたしたお金は秋田屋さんが、たしかに上方のほうへ送ってくれたはず」 「なるほど……」 「ともかく、秋田屋へ行ってみましょう」  駕籠《かご》をよんで、吉右衛門と三冬は神田・鍛冶《かじ》町の秋田屋太兵衛方へ向った。  和泉屋と秋田屋は、同業のことでもあり、かねて親密な間柄だという。  二人を迎えた秋田屋太兵衛は、 「それは大変なことでございましたな」  と、三冬に、 「私にも、わけがのみこめませぬが……、だからと申して井村松軒先生と、その悪者どもと、何かの関わり合いがあるともおもえませぬ」  と、いう。  井村松軒が、根岸の寮を買って住みついたのは、いつごろのことか、それは秋田屋もよく知らぬらしい。  松軒と秋田屋が知合いになったのは、 「私が大病にかかり、いのち拾いをしたときのことでございますよ。そのときに、松軒先生がすっかり面倒を見て下さいましてな。はい、はい。それは、その半年ほど前から、店へ来ては、よく書物を買うておいでになったこともあり、こちらからも注文の書物を根岸へおとどけしたこともあり……」  だそうな。 「そうじゃ、そういえば、そのようなことを、秋田屋さんからきいたことがありましたね」  と、和泉屋吉右衛門。  それが三年前のことで、当時、井村松軒は五十前後の、髪にも白いものがまじり、言動も落ちつきはらい、町医者だといいながら別にきまった患者もなく、根岸の風雅な家で読書|三昧《ざんまい》の暮しをしていたようだ。身のまわりの世話は四十がらみの下男がいて、女気はまったくなかった……ということを語りかけて秋田屋太兵衛が、ひざ[#「ひざ」に傍点]をたたき、 「あ……そうじゃ、そうじゃ。こんなことがありましたよ」  と、いい出た。  当時、松軒の家へ注文の書物を届けていたのは、手代の文七で、あるとき、書物の包みを抱えて根岸の家へ行くと、折しも、下男に見送られて松軒の家から出て来た女を見た。 (へへえ……松軒先生も、あれで隅に置けないな)  こうおもいながら文七は、竹藪《たけやぶ》の前の道で、帰って行くその女[#「その女」に傍点]とすれちがったというのだから、はっきりと女の顔を見たわけである。  とりたてて美しい女でもなく、若くもなかったけれども、当時の女としては、ずばぬけた大柄な体格で、洗い髪を無造作にまるめた化粧の気《け》もない浅ぐろい顔だちと、町女房ふうの衣裳《いしょう》が一つに溶け合わぬようでいて、 「なんともいえずに……」  妖《あや》しい魅力をたたえてい、豊満で大きな体なのに足さばきも身軽く速く、手代の文七とすれちがったとき、 「なんともいえぬ、よい匂《にお》いがしましたよ」  と、文七が番頭の伊兵衛に語ったそうだ。  ところが、それから一ヵ月ほどして、文七が、これも得意先の、日本橋・住吉《すみよし》町の墨筆硯《すみふですずり》問屋〔木屋《きや》孫左衛門〕方へ書物をとどけたとき、竈河岸《へっついがし》の道を浜町堀の方からやって来たあの女[#「あの女」に傍点]に出会った。  女は、別に文七を気にとめもせず、毛ぬき鮨《ずし》の〔笹屋《ささや》〕と蕎麦《そば》屋の〔翁屋《おきなや》〕の間の細道を入って行った。  文七は、おもわず立ちどまって、女が細道の突当りの小ぢんまりとした二階屋へ入って行くのを見とどけた。  帰って来て、番頭に、このはなしをすると、 「もしかすると、その家は、松軒先生の妾宅《しょうたく》かも知れないよ」  番頭の伊兵衛はそういって苦笑をしたが、それ以上の関心を、文七も伊兵衛も女と松軒に抱いたわけではない。  それから間もなく、井村松軒は根岸の家の売却を秋田屋太兵衛へたのみ、忽然《こつぜん》として上方へ去ったのである。  家を和泉屋へ売った金は、秋田屋が京都の三条・白川橋上ルところの〔津国屋《つのくにや》〕という旅籠気付《はたごきづけ》で送ったが、井村松軒の礼状もとどいた。  その後、秋田屋太兵衛が便りをすると、津国屋から返書が来て、井村松軒が中国すじへ旅立ったことを告げ、それ以来、音信はない。  佐々木三冬は、その二通の手紙を読ませてもらったが、何ら得るところはなかった。  三冬は、いったん、根岸へ引きあげることにした。  寮へ帰り、このことを秋山大治郎に告げると、すぐに、 「よろしい。私が明日、その女が住んでいたらしい住吉町の家のあたりを、さぐってみましょう。しかし……」  と、大治郎が、 「しかし、この家に三冬どのがおられては、いけないとおもいますが……」 「あぶない、と、申されるのか?」 「万一のことあっては……」 「なんの。あれしきの曲者に遅れはとらぬ」 「むり[#「むり」に傍点]に、とは申しませんが……」 「私が留守居をしています」  きっぱりと、三冬がいった。      五 「どうも、困ったことになった……」  医師・井村松軒は、おもいあぐねたように、つぶやいた。 「何が、困ったんですよう?」  松軒の、堅肥《かたぶと》りの裸身の汗を、冷たくしぼった手ぬぐいでふいてやりながら、妾《めかけ》のお照が、 「江戸へ帰って来てこのかた、むずかしい顔ばかりしていなさるんだもの。いったい、何が困るんだか、はなしてくれてもいいじゃあありませんかね」  まるで、松軒の体の二倍もあろうかとおもわれるお照の体も汗に光っている。羽織っただけの藤色の長襦袢《ながじゅばん》から浅黒くもりあがった乳房がこぼれ、仰向きになっている松軒の鼻先でゆらゆらゆれていた。  しめきった二階の小部屋は、晩春の日ざしに蒸れて、 「暑いのう……」  松軒は、お照の手をのけて半身を起し、 「出かけるぞ」  と、いった。 「どこへですよう?」 「お前の知ったことではない」 「そりゃあね、こんなところじゃあ、先生も、お嫌でござんしょうよ。本も落ちついて読めないだろうし、書きものもできないし……」 「そんなことをいっているのではないよ」 「こんなことなら、根岸の家を売ったりしなければよかったんですよ。あたしを放《ほ》ったらかしにしておき、上方へ逃げてしまい、三年もたってから、ひょっくり帰って来なすって、もしも、あたしが此処《ここ》にいなかったらどうするつもりだったんですよ」 「わしも、まさか、お前が此処にいようとはおもわなんだ。もしや、とおもって来てみたら、いた。うれしかったよ。うふ、ふふ……」 「先生が上方へ行くとき、置いていってくれた五十両をちびちび[#「ちびちび」に傍点]つかっていましたのさ」 「うふ……それだけではないだろう。だいいち、男なしの三年間、お前の体がもつわけがない」 「先生のばか」  お照がむしゃぶりつく[#「むしゃぶりつく」に傍点]と、松軒は完全に押えこまれ、 「ああ、もうよせ。重い、苦しい……」  と、いいながらも、井村松軒は、 「置物の恵比須《えびす》さま」  のような顔つきになり、よろこんでいるのであった。  五十四歳になった松軒の髪は、すっかり白くなってしまったが、裸になると意外に若々しい体つきをしている。 「ほんとに先生は、なんにも、あたしに打ち明けてくれないんだから……くやしいったらありゃあしない、こうしてやる、こうしてやる」  お照が、松軒の腕や腹を噛《か》みつづけると、松軒は、 「痛い。よせ。これ、よさぬか、ばかもの……」  などと、もがきぬきながらも大よろこびなのである。  かつて、秋田屋へあらわれ、おごそかな眼の色で書物を漁《あさ》っているときの井村松軒のおもかげ[#「おもかげ」に傍点]は何処《どこ》にもない。  夕暮れになってから井村松軒は、お照の家を出た。  そこは、まぎれもなく三年前に、秋田屋の手代・文七が、お照を見かけた日本橋・住吉《すみよし》町の妾宅《しょうたく》であった。  明るく、なまあたたかい日暮れどきを、松軒は竈河岸《へっついがし》へ出て浜町堀をわたり、久松町の〔千鳥《ちどり》そば〕という蕎麦《そば》屋へ入って行った。  妙に、よちよち[#「よちよち」に傍点]とした歩みぶりでいながら、これを見る人が見れば、 「すこしの油断もない……」  歩行の仕方であった。  歩みつつ、松軒の聴覚と視覚は間断なくはたらき、尾行者の有無《うむ》をたしかめている。  これは今日にかぎったことではない。十何年も前から、井村松軒の習性となってしまったものである。  この日は……。  佐々木三冬が、伯父の和泉屋《いずみや》吉右衛門と共に、秋田屋を訪ねた翌々日にあたる。  千鳥そばの名は、この蕎麦屋の近くの、浜町堀にかかっている千鳥橋からとったもので、店名は〔十一《じゅういち》屋〕という。小体《こてい》ではあるが凝った造りの店で、蕎麦も酒も他の店からくらべると大分に高価だそうな。  松軒は、二階の小座敷へあがった。  床の間の茶掛けは、蛙《かわず》一匹を墨で描いたもので、座敷も何やら茶室めいている。  先客が、井村松軒を待っていた。  侍である。  この侍、根岸の寮を襲った浪人のひとりである。最後まで手を出さず、物置の陰に立っていた総髪の巨漢であった。 「大場《おおば》先生。お待たせをしましたな」  松軒が、そういうと、総髪が、 「松軒先生。くびすじ[#「くびすじ」に傍点]を、また、牝犬《めすいぬ》に噛まれましたな」  にやりと笑った。  酒を運んで来た女中が去ってから、 「その後、どうなりましたかな?」  松軒が問うた。 「あの辺りは閑静にすぎて、見張りをしにくい。松軒先生、もうよいだろう。おもいきってやってのけようではないか」 「さて……」 「ぐずぐず、しては取り返しがつかぬことになる」 「それで、いま、あの寮には……?」 「前のとおり、男に化けた女と、爺《じじ》いの二人きりだ」 「ふうむ……」 「いま一度、先生みずから出張って見てはどうか?」 「さて……それは、まずい。此《こ》の間は、先生方が押しこんだとき、わしは竹藪《たけやぶ》の中で見ておりましたが……しかし、根岸のあたりでは、わしの顔を見知っている者が何人もおりましてな」 「なるほど」 「わしはな、大場先生。ただひとつ、気にかかることがある。あのとき、ほれ、男に化けた娘が、この家は老中・田沼|主殿頭《とのものかみ》が縁《ゆかり》の家……そういうたことが、な」  すると、大場が、 「脅《おど》しに、きまっておる」  事もなげに、いいはなった。 「なれど、脅しにしては、申すことがあまりに……」 「小ざかしい女め。ばかばかしいことだ。松軒先生が、いましばらく様子を見ての上にせい、というので待っておるのだが、わしも先生。分け前の金百両、早くほしいのだ。早くせぬと、機運を逸《いっ》することになるのでな」 「そりゃ、わしだって、早くほしい」 「だが、本当なのか松軒先生。あの小さな家に三百両もの大金が隠されているというのは……」 「ほんとうでのうて、二十両もの仕度金を、何で大場先生へわたしましょうか」 「ふうむ……」 「それにしても、おどろきましたなあ、あの娘には……」 「強い。わしも斬《き》り合って、勝てるという自信はなかった。おそらく相討ちになってしまうだろう。もっと人数を増やさねばならん。あの辺りで、ききこんだところによると、若い美しい侍と老爺《ろうや》の二人暮しだというので、わけもなく押えつけることができるとおもったのだが……」 「まったく……たしか、あの家は、上野山下の和泉屋という書物問屋へ売ったはずなのだが……」 「いずれにせよ、もっと人手を……」 「あつまりますかな?」 「わけもない。あと三人ほど浪人をあつめればよい。こころ当りもある。当節は、腕の強い浪人どもがごろごろしている。一両もやれば、どんなことでもする。ともかく松軒先生。ぐずぐずしておってもはじまらぬ。やってのけようではないか」 「そうですなあ……」  すこしずつ、井村松軒の決意も、かたまりはじめたらしい。 「私は、もう、あまり金がないのじゃが……」 「あずかった二十両が、まだ残っている。じゅうぶんだ、先生」 「よろしい。それでは……」 「明日……いや、明後日の、今度は夜がよい」 「先日は失敗《しくじ》りましたなあ。夜では戸締りを叩《たた》き破って入らねばならぬし、それで、声でもたてられたら元も子もなくなるとおもうて……」 「そうだ。あの辺りなら、日中のほうが、かえってはたらきやすいというたのは、この大場平七郎だ。わしも、考えすぎていたのかも知れんな」  大場平七郎という浪人は、三十七、八に見える。体はなみはずれ[#「なみはずれ」に傍点]て大きいし、強そうだし、それでいて妙に愛嬌《あいきょう》がある。笑うと右の頬に笑《え》くぼが生れた。身なりも小ざっぱりとしていて、どうも真からの悪漢には見えないのである。  それはまた、井村松軒にも、あてはまることであった。  このような二人が、いまは他人のものとなった根岸の寮へ、ちからずくで押しこみ、隠してある三百両を奪い取ろうというのだ。  だが、そのような大金を、だれが隠したものか……それは和泉屋吉右衛門も、佐々木三冬も、あずかり知らぬことなのである。  大場平七郎と井村松軒は、それでも悪事をはたらくものの光る眼と眼を見合せ、ひそひそと打ち合せをはじめた。  浜町堀を行く舟の艪《ろ》の音が、微《かす》かにきこえている。  このとき、千鳥橋の上に立ち、十一屋の二階座敷の窓の灯を見つめている侍がひとり……秋山大治郎であった。      六 「それから、しばらくして、大男の浪人が、その十一屋という蕎麦《そば》屋から出てまいりまして……」  と、大治郎が不二楼《ふじろう》の離れへ来て、昨夜のことを語るのをきいていた秋山小兵衛が、 「後をつけたかえ?」 「はい。小網《こあみ》町のあたりで、路地を入った奥の小さな家へ入って行きましたが、戸を開けた女は、どうも妻女らしく見うけられました」 「ふうん。ずいぶんと間近へ寄って見たのだのう。気づかれなかったか?」 「はい」 「お前も大したものよ。四谷《よつや》の弥七《やしち》の株が買えるわ」 「父上が、私ひとりにて、やってみよといわれましたから……」 「どうだ、こういうことは、おもしろいかえ?」 「何事も、修行になりますから……」 「相変らず、いうことが堅いなあ」 「いけませぬか?」 「いいとも、わしだって、お前の年頃には剣術ひとすじ。酒も女も眼中になかったよ」 「それはどうも、信じられぬ、ような気もいたしますが……」  いいさして、大治郎がちらり[#「ちらり」に傍点]と、小兵衛のうしろにいるおはる[#「おはる」に傍点]を見やった。 「ばか」  照れかくしに、つるり[#「つるり」に傍点]と顔を撫《な》でた小兵衛が、 「だが、妙な奴《やつ》らじゃのう」 「さようで……」 「お前が此処《ここ》へ来ている間、三冬さんはどうしているのじゃ?」 「嘉助と共に、根岸の寮におります」 「あぶないではないか……」 「曲者《くせもの》があらわれたなら、逃げなさいと、いっておきました。いったんは逃げてから、彼らのすることを見とどけ、後をつけたほうがよろしいと、申しておきましたが、いかが?」 「いいよ。ああ、よく出来た」 「おそれいります」 「しかし、なんだな。いささか、そうなると、手が足りぬのではないか?」 「そこです」 「わしが出ようか?」 「いいえ、飯田粂太郎《いいだくめたろう》にいいつけ、いま、浪人の家を見張らせております」 「ふうん……大丈夫かのう」  いって、小兵衛は何やら、つまらなさそうな顔つきになった。 「ともかく、その医者と、大男の浪人の居処《いどころ》は、わかったということだな」 「はい」 「これから、どうする?」 「根岸の寮へ、彼らが押し入る理由《わけ》が、まだ、つかめませぬ。父上は、何と、おもわれますか?」 「むう……わしにも、わからぬなあ」 「いま一度、やって来ましょう」 「そうだのう」 「私は、いま、根岸の寮の物置に入っています」 「ほほう……」 「三冬どのと嘉助の二人きり、ということにしておいたほうが、彼らも押しこみやすいかと……」 「そのとおり。だが、今度は人数が増えるぞ」 「覚悟しております。ですが、父上……」 「なんだえ?」 「あの医者と浪人のことですが……どう見ても、さほどの悪人とはおもわれませぬ」 「その浪人、強そうか?」 「はい。かなりのつかい手[#「つかい手」に傍点]と見うけました」 「お前よりも強いか?」  という父の問いに、大治郎はこたえなかった。 「まあ、やってみるがいい」 「とりあえず、お知らせにまいったのみでございます」 「そうかえ、そうかえ」  大治郎が帰って行ったあと、小兵衛は不機嫌であった。 「どうしたんですよう、先生……また、ちょっかい[#「ちょっかい」に傍点]が出したくなったんでしょう?」  おはるがいうのへ、 「ばか」  叱《しか》りつけて小兵衛が、いきなり、おはるを抱き倒し、 「たま[#「たま」に傍点]には、日中《にっちゅう》もよいわえ」 「あれ、いやな……明るいよう、先生……」 「かまわぬ、かまわぬ」  ……不二楼の離れの描写はやめておいて、秋山大治郎が根岸の寮へ帰り、夕暮れになってから、飯田粂太郎少年が根岸へ駆けつけて来た。 「どうだった、粂太郎」 「秋山先生。昼すぎに、あの大男の浪人が家を出まして……」 「何処へ行った?」 「本所《ほんじょ》の北森下町の、五間堀《ごけんぼり》の淵《ふち》にあります剣術の道場へ入って行きました。はい……はあ、小さな、秋山先生の道場ほどの……」 「ふ、ふふ。これはよい」 「ごめん下さい。そういうわけではありませぬ」 「いいとも。それで?」 「半刻《はんとき》ほどして、出てまいりました。そして、まっすぐに自分《おのれ》の家へもどりましたが、すぐに出てまいり、それから、竈河岸《へっついがし》の十一屋という蕎麦屋へ入りました」 「ふうむ、なるほど」 「すると、蕎麦屋の小女《こおんな》が何処かへ使いに行きました」 「ふむ、ふむ……」 「しばらくすると、小女といっしょに、町医者の風体《ふうてい》をした年嵩《としかさ》の男が、蕎麦屋へ入って行きました。それから、いつまでたっても出てまいりません。とにかく、日暮れまでにはもどれと先生が申されましたので、帰ってまいりました」 「よし、御苦労だった。それで、よい」 「はい」  と、粂太郎も昂奮《こうふん》している。 「三冬どの……」  秋山大治郎は、佐々木三冬をかえりみて、こういった。 「どうやら、あの曲者《くせもの》ども、またしてもあらわれるようにおもいます」 「私も、さようにおもう」 「今夜か、明日か……」 「今度は、夜ふけに襲ってくるのではありませぬか?」 「さよう……」 「お覚悟は?」 「まあ、やってみましょう」 「大治郎どの……」  と、そこまでは、いかめしい男ことばであったが、つづけて、 「お気の強いこと」  と、いった三冬の声は、女そのもの[#「そのもの」に傍点]であった。      七  老僕・嘉助が根岸|界隈《かいわい》で聞きこんだところによると、井村松軒がこの寮[#「この寮」に傍点]に住む前には、品のよい侍の老夫婦が二人きりで暮していたそうな。浪人らしく見えたが小金《こがね》を持っていると見え、文字通り〔晴耕雨読《せいこううどく》〕の落ちついた暮しぶりで、あったという。  老人は、鳩原某《はとはらなにがし》といい、坂本あたりの店屋や、このあたりをまわる魚売りや野菜売りなどは「鳩原先生」と、よんでいた。  侍というよりも、学者に見えたからだそうだ。  ところで、この鳩原先生[#「鳩原先生」に傍点]なるものの家へ、井村松軒が出入りをしていたのを、見た人が何人もいる。  坂本三丁目の菓子|舗《みせ》・布袋屋《ほていや》では、 「そりゃもう親しげに出入りをしていなさいましたよ。はい、鳩原先生は店《うち》の淡雪煎餅《あわゆきせんべい》が大好物で、よくおとどけいたしましたので……さようでございます。二年ほど住んでいなさいましたかな、そのうちに、今度は、お医者の井村松軒先生が、あの家の持ちぬしになってしまいまして……さよう、鳩原先生からゆずり受けられたのでございましょうよ。いえ、もう松軒先生というお人は、酒屋の御用は人一倍にございましたろうが、私どもへは全くお声がかかりませんでしたので」  そのように、番頭が語ったとか……。  また、豆腐売りの為六は、こういった。 「へえ、豆腐は好きでござんしたよ、松軒先生は……さようで。ときどき、背の高い妙な女。あれぁ、先生のお妾《めかけ》かも知れないが、来ていましたね。それに、大きな体をしたさむらい[#「さむらい」に傍点]も、二、三度見たことがあるねえ」  さて……。  翌日は、朝も暗いうちに、秋山大治郎が飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年と嘉助を指図して、何やらいそがしくはたらいていたようである。  それも一|刻《とき》(二時間)ほどのことで、朝飯をすますと、粂太郎少年は何処かへ出かけて行った。  それから大治郎は、三冬と嘉助を相手に、いつまでも語り合っていたが、昼飯がすむや、 「では……」  と、物置小屋へ引きこもった。  そのころ……。  井村松軒は、住吉《すみよし》町のお照の家の二階で、お照と酒をのんでいる。酔ってからひとねむり[#「ひとねむり」に傍点]するつもりの松軒であった。松軒は、むっつりと盃《さかずき》を重ねた。お照は、うらめしげに松軒を見てはためいき[#「ためいき」に傍点]を吐《つ》いた。先刻から松軒は、ほとんど口をきいてくれない。そういうときの松軒は、お照と寝床でふざけ合っているときの年甲斐《としがい》もない無邪気さが影をひそめ、それこそ「取りつく島もない……」ような感じをあたえるのだ。 (いよいよ、今夜だ……)  と、井村松軒は緊張している。  三百両もの大金が、あの寮に隠してあることを、松軒は、いささかもうたぐっていない。 (それにしても、それ[#「それ」に傍点]と知らず、わしは、あの家に住み暮していたのだからなあ……)  それをおもうと、憮然《ぶぜん》とならざるを得ない。  大金を、根岸の寮へ隠した者は他《ほか》でもない。  井村松軒の前に住んでいた老いた浪人・鳩原某なのである。  鳩原老人の正体は〔清洲《きよす》の佐平治〕といい、これが尾張《おわり》・名古屋の役者あがりの盗賊なのである。配下は、およそ二十名ほどで、上方から伊勢《いせ》にかけて盗みをはたらき、二十数年の間、一度も召し捕られたことがなかった。  役者あがりというだけに、佐平治は、侍から商人、職人、百姓など、どのようにも化けて暮すことができたし、また、それが得意でもあった。  そして松軒は、十数年前から清洲の佐平治の盗みをたすけて、はたらくようになったのだ。  松軒の医者としての腕は、 「わるくない」  のである。  佐平治と知り合ったのは、京都の隠れ家で佐平治が大病にかかったとき、近くに住んでいた井村松軒がよばれ医療の手をつくし、全快させてやったのが縁となった。  松軒が、清洲の佐平治のために、どのような役目をつとめたかというと……。  先《ま》ず、佐平治がねらい[#「ねらい」に傍点]をつけた商家の近くへ住みつき、町医者を開業する。  医者というものは、当然、近辺の人びとの尊敬をうけることになるし、近々の家々へ診察に出入りをする。したがって、目ざす商家の内部にも通じるようになる。やがて、そこへ出入りをする。そして、商家のくわしい間取りやら、暮しぶりやらを、佐平治へ通報する。  それを元にして、佐平治が盗みへ押しこむ計画を練る。  成功をすると、佐平治は松軒へ、相当な礼金をわたし、松軒は、その金をふところにして身を隠してしまう。隠す必要がないときは、そのまま、其処《そこ》に住みつづけ、盗難をうけた商家へ、そ知らぬ顔で見舞いに出向いたこともあった。  これまでに松軒は、五度ほども、こうして清洲の佐平治の盗みを手つだってきている。  根岸の家を売って上方《かみがた》へ行ったのも、京都の隠れ家へ移った佐平治の病気が再発したため、よばれて行ったのである。  佐平治は三年の長|患《わずら》いの後に、死んでしまった。  そのときの佐平治は古女房にも先立たれ、手下たちも寄りつかなくなり、孤独の身を松軒の手にゆだねていたのである。  死ぬ間ぎわに、清洲の佐平治が、おどろくべきことを告げた。 「根岸の家に、三百両ほど隠しておきましたよ、松軒先生。それが、せめて、お前さんにしてあげられる、わしの御礼ごころというやつだ」 「しかし、お頭《かしら》。あの家は、売ってしもうた……」 「ふ、ふふ……だが、わしらにとっては同じことさ。自分の家へあずけてあるようなものだよ」 「ですが、私は、お頭とはちがう」 「なあに、押し込んで奪い取ってしまえばいい。いずれにしろ、その和泉屋とかの寮になったのだから、住んでいる人も多くはねえ。まあ、ひとつ先生、うまくやってごらんなさい。ふ、ふふ……」  こういって、金四十両ほどを松軒へわたし、 「此処《ここ》には、もうこれっきりしかないのだよ、先生。ながなが、ありがとう。ありがとうよ」  と、息を引きとってしまったのである。  そして松軒は、清洲の佐平治を葬《ほうむ》るや、すぐさま、江戸へ帰って来たのだ。      八  その日の夜ふけ……といっても、九ツ半(午前一時)ごろであったが、 (来た……)  物置小屋に寝ていた秋山大治郎は眼をひらき、しずかに大刀を引き寄せた。  星も月も無く曇った、なまぬるい夜の闇《やみ》の底から、じわじわと人の気配が湧《わ》き出し、ひたひた[#「ひたひた」に傍点]と庭へ侵入して来るのが、大治郎には、はっきりとわかった。  彼らは、物置小屋に目もくれず、寮の裏手へ迫って来た。一人、二人、四人……合わせて六名であった。  大治郎が大刀を腰に帯し、かねて用意の、四尺ほどの棍棒《こんぼう》をひっさげ、立ちあがった。  戸の隙間《すきま》からのぞくと、六つの黒い影がうごめき、風呂場《ふろば》の窓へ手梯子《てばしご》を掛けた。其処《そこ》から侵入するつもりらしい。  するり[#「するり」に傍点]と一人……いや、二人が風呂場の窓の中へ消えて行った。  屋内にいる佐々木三冬は、すでに、彼らの気配を知り、嘉助をともない、屋根裏へ隠れたはずだ。 「粂太郎《くめたろう》、起きなさい」  と、大治郎は物置小屋の中で、まだねむり[#「ねむり」に傍点]からさめやらぬ飯田《いいだ》粂太郎を起し、 「来たぞ。ぬかるなよ」  ささやいた。  粂太郎は、あわてて両刀を腰へ帯した。  と……。  裏手の戸が開いた。風呂場から潜入した二人が内側から桟を外《はず》したのだ。  外に待機していた三人が刀を引き抜き、戸の中へ吸いこまれて行き、一人が残って見張りをつとめている。闇になれた大治郎の眼は、その見張りの男が浪人者らしいことをたしかめた。大男の浪人は、すでに屋内へ侵入している。  大治郎は、凝《じっ》と待っている。  しばらくして、粂太郎へ、 「開けろ」  と、ささやいた。  飯田粂太郎が、昼間のうちにすべり[#「すべり」に傍点]をよくしておいた物置の戸をするりと開けた。  そこから秋山大治郎が躍り出て、突風のごとく、裏手に見張っている浪人へ迫り、棍棒を揮《ふる》った。 「う……」  わずかにうめき、棍棒の打撃をうけた浪人は気絶し、転倒した。  粂太郎少年が物置から走り出て、闇に消えた。  これは庭内の三ヵ所に焚火《たきび》の仕度をしておいた、そこへ火を放つためである。  おそらく、気負いこんで侵入した曲者《くせもの》どもは、屋内に人がいないものだから、とまどっているにちがいない。  と……。  音をたてて、庭の焚火が燃えあがった。油をそそいであったから、たちまちに、勢いよく燃えあがる。  寮の中で、物音が起った。  一人、裏手から飛び出して来た。  待ち構えていた大治郎が、棍棒で叩《たた》き伏せる。 「か、火事だぞ」  叫んで、もう一人が駆けあらわれた。  こやつは胴を強烈に薙《な》ぎ払われ、刀を放り落し、のめりこむように倒れた。  また、一人……。  こやつは、大治郎をす早く[#「す早く」に傍点]見つけ、 「あっ……」  飛び退《の》こうとしたが、やはり遅かった。  大治郎の棍棒が、こやつの鳩尾《みずおち》を突いた。  屋内で、叫び声が起った。  佐々木三冬が、屋根裏から飛び下り、曲者に立ち向っているのであろう。  そのとき……。  裏口から大男の……大場平七郎が、 「松軒先生。早く、早く……」  わめきつつ、走り出て来た。  大治郎の棍棒がうなり[#「うなり」に傍点]を生じて打ちこまれた。  さすがに大場は、身をひねって飛び退き、 「何者だ?」  叫ぶ、その面上へ、大治郎の手を離れた棍棒が風を切って飛んだ。 「あっ……」  抜き持った大刀で、大場が棍棒を二つに切り払ったとき、物もいわずに秋山大治郎が肉薄し、 「鋭《えい》!」  身を沈めざま、抜き打ちに大場の脛《すね》を切り払ったものだ。 「うわ……」  右脚を、ほとんど切断され、大場平七郎はどっ[#「どっ」に傍点]と尻餅《しりもち》をつく。  屋内では、逃げ遅れた井村松軒が、佐々木三冬に取り押えられていた。      ○  それから三日ほどして、四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》が、秋山小兵衛のもとへあらわれ、 「今度は若先生のお手柄でございましたね。井村松軒と、大男の大場平七郎とは、親類どうし[#「どうし」に傍点]で、若いころは二人とも、秋月|山城守《やましろのかみ》様の江戸屋敷に奉公をしていたそうでございます」 「秋月侯は、たしか、日向《ひゅうが》の高鍋《たかなべ》で三万石……」 「さようでございます。二人ともお暇《ひま》が出たのは、なんでも二人が、奥女中へ目をつけて恋敵《こいがたき》とやらになり、めんどうなことが起って、それが秋月家の重役方の耳へ入り、追い出されたらしゅうございます。それで先生。その奥女中が、いまの大場平七郎の女房になっているのだそうで……」 「へへえ……そしてまた、松軒先生と仲直りをしたというわけかえ。妙なやつらじゃのう」  大場も松軒も、いまは町奉行所へ引きわたされ、取り調べを受けている最中であった。 「世の中には、おもしろい奴《やつ》が、いまも居るものよ。それにしてもやつら、外から火を焚かれたのには、びっくりしたろう。ときに弥七。その三百両は、根岸の寮に在ったのかえ?」 「松軒が白状いたしまして……まさに、奥の間の袋床《ふくろどこ》の地袋の地板の下の土の中の瓶《かめ》へ埋めこまれておりましたそうで……」 「ふうん。いよいよもって、おもしろいのう……」  そのころ……。  佐々木三冬は、根岸の寮の湯殿にいた。  陽炎《かげろう》がゆれている湯槽《ゆぶね》の中へ、うっとりと裸身を沈め、両眼を閉じ、微《かす》かに紅唇《こうしん》を開いている三冬の両手は、わが乳房をしっかりとつかみしめていた。  いま、三冬の脳裡《のうり》に浮ぶ男の顔かたちは、もはや漠然としたものではなくなってきている。 「ああ……」  深いためいき[#「ためいき」に傍点]を吐《つ》いた佐々木三冬が、ききとれぬような声で、 「大治郎どの……」  と、つぶやいた。  どこかで鶯《うぐいす》が鳴いていた。     嘘《うそ》の皮      一  その日。  秋山|小兵衛《こへえ》は、今年はじめて、苗売《なえう》りの声をきいた。  花や野菜の苗を糸立筵《いとだてむしろ》で包んだものを三段重ねにして、これを天秤棒《てんびんぼう》で前後に担《かつ》ぎ、筒袖《つつそで》の着物を端折《はしょ》り、菅笠《すげがさ》をかぶった老爺《ろうや》の苗売りと、小兵衛は今戸橋の上ですれちがった。  空は、真青に晴れわたっている。  今戸橋を待乳山《まっちやま》・聖天宮《しょうでんぐう》の下へわたりきった小兵衛の頬《ほほ》を掠《かす》めて燕《つばめ》が一羽、矢のように大川(隅田川)の方へ飛んで行くのを見送り、 「もう、すぐに夏か……」  と、小兵衛がつぶやいた。  小兵衛は、浅草・駒形《こまかた》町に、ささやかな店を出したおもと[#「おもと」に傍点]・長次の夫婦を訪ねようとしている。  このはなし[#「はなし」に傍点]は、急にまとまった。  料亭〔不二楼《ふじろう》〕の料理人である長次と座敷女中のおもとの仲は、主人夫婦もみとめるところとなって、 「こうなったからには、仕方もないことだ」  不二楼の主《あるじ》・与兵衛が、仲へ入った秋山小兵衛の口ききもあったかして、 「ちょうど、いい売りもの[#「売りもの」に傍点]がある。金は私が出してあげようが、そのかわり甘えてはいけませんよ。いいかえ、その金は、きちんと毎月、すこしずつでもいいから返すのだよ」  と、駒形堂裏の茶店の権利が売りに出ていたのを、手に入れてくれたのである。  あらたまって祝言《しゅうげん》をしたわけではないが、ここに長次とおもとは夫婦となり、小さいながらも店を持つことができたのだから、 「へえ、もう……天にものぼる心地《ここち》というなあ、このこってございましょう」  大よろこびであった。  この二人がやるからには、むろん、茶店ではない。  だからといって居酒屋でも飯屋でもなく、つまり〔小料理屋〕というところであろうが、安永《あんえい》のそのころには、まだ、そうした名称はない。  三日前に開店をした店の名は、長次夫婦が「ぜひにも……」とたのむので、小兵衛がつけてやった。 「女房の名と亭主の名を採って……どうだ、元長《もとちょう》というのは」  おもとは妙な顔つきになったが、長次は、すぐさま手を打って、 「こいつはいい。他《ほか》に無《ね》え名だ。秋山先生、ありがとうございます」  と、いった。  小兵衛が〔元長〕へ到着したときは、まだ昼前で、店は開いていなかった。 「ごめんよ」  戸を開けてもらい、中へ入った小兵衛が、 「ほう……急場の造作《ぞうさく》にしては、よくできた。なるほど、飯屋でもなし居酒屋でもなし、万事に小ぎれいで、しゃれた造りだのう。こういう店は、わしも見たことがない。なに、二階にも小座敷があるのか。ふむ、あとで、ゆっくりと見せてもらおう。万事に不二楼|写《うつ》しというやつじゃな。これでは食うものも値が張ろうなあ」  そこがまた、長次のねらい[#「ねらい」に傍点]でもあった。  近ごろは世の中が贅沢《ぜいたく》になってきて「安くて、うまい」ことよりも「高かろう、うまかろう」のほうが、流行《はや》るのである。  今朝、軒の上へ掲げる看板が出来あがって来たという。  桜材の幅一尺六寸、長さ四尺のものへ、小兵衛が〔酒飯《しゅはん》・元長〕と横書きにしたものを、木彫師《きぼりし》が彫りあげ、うるし[#「うるし」に傍点]で仕上げてあった。 「ふうむ……こうして見ると、わしの字も、まんざらではないな」  うれしそうにいって、小兵衛が紙に包んだ祝儀《しゅうぎ》の金五両を出し、 「こんなところで、まあ、かんべん[#「かんべん」に傍点]しておくれ」  と、いった。  件《くだん》の看板を掲げることになって、 「どれ、どれ……」  小兵衛も、雇い入れた小女《こおんな》と一緒に、長次夫婦の後から外へ出た。 「ふむ……もうすこし、こっちへ寄せたがよいな」  などと、下から見あげつつ、長次へ指図をしていた秋山小兵衛が、何気なく逸《そ》らした視線が、彼方《かなた》の、駒形堂へながれて、 「や……?」  屹《きっ》と、向き直った。  駒形堂は、大川に面した駒形町の河岸にある。  本尊は馬頭観音《ばとうかんのん》で、〔浅草寺縁起《せんそうじえんぎ》〕によると、天慶《てんぎょう》五年(九四二年)に、安房守《あわのかみ》・平公雅《たいらのきんまさ》が浅草寺観音堂を造営した折、駒形堂も建立《こんりゅう》したらしい。  往古《むかし》は、この駒形堂のあたりに、浅草寺の総門があったそうだ。  寛永二十年(一六四三年)に発行された〔印本《いんぽん》・東《あずま》めぐり〕という書物に、 「……駒形堂の近辺、並木の桜花|爛漫《らんまん》たるよしを記《しる》せり」  と、ある。  寛永二十年といえば、三代将軍・徳川|家光《いえみつ》の治世であって、およそ百五十年も前のことになるが、なるほど、そのころは、そうした風景であったろう、と、小兵衛にもうなずける。  往時をしのぶ並木町という地名は、いまも残っているが、浅草寺門前の大通りとして、いまは町家や料亭、茶店が櫛比《しっぴ》してい、桜の木など殆《ほとん》ど残っていない。  石垣積みの台上に建てられた駒形堂は、しごく小さなもので、正面は大通りから大川の方へ切れこんだところにある。  堂の石垣の、東側のすぐ近くまで、大川の水がひたひた[#「ひたひた」に傍点]と寄せて来ているから、この側面を通りぬける者は、めったにいなかった。  その、石垣と大川の間のせまい場所で、二人の男が若い侍を押えこみ、きらりと刃物が光ったのを小兵衛が見たのである。  この明るい初夏の白昼に、あまりといえば大胆なふるまい[#「ふるまい」に傍点]ではある。  走り寄っても間に合わぬと見て、小兵衛は腰を沈め、とっさに石塊《いしくれ》をつかんでいた。  小兵衛の手をはなれた石塊はうなり[#「うなり」に傍点]を生じて彼方へ疾《はし》り、いましも刃物を若侍の胸へ突き込もうとした暴漢の横面へ命中した。 「わあっ……」  暴漢が、その強撃に刃物を落し、ぐらぐらとよろめいた。 「ばか者ども、何をしている!!」  すばらしい小兵衛の大喝《だいかつ》であった。  暴漢二人は、若侍から飛び退《の》き、小兵衛が駆けつけたとき、早くも大通りの人|混《ご》みへまぎれこもうとしていた。  二人とも町人の風体《ふうてい》と見たが、そのす[#「す」に傍点]早い逃げ足や挙動から察するに、 (どうせ、ろく[#「ろく」に傍点]な奴《やつ》らではない……)  に、きまっている。  落ちていた刃物は、短刀《あいくち》であった。  獲物[#「獲物」に傍点]にされた男は、ぐったりと両手をつき、其処《そこ》にへたりこんで[#「へたりこんで」に傍点]いた。  大小二つの刀を袴《はかま》の腰に帯びている。若い侍が、巷《ちまた》の無頼《ぶらい》二人に押えこまれ、刀もぬかぬまま、 「むざむざと、あの世へ[#「あの世へ」に傍点]……」  行こうとしていたのだ。  小兵衛は、あきれて舌打ちをした。 「どうしたのだ、これ……」  返事はない。  若い侍は面《おもて》を伏せたまま、荒い呼吸を吐きつづけている。  駆けつけて来た長次が、 「もし、どうなさいました?」  と、若い侍の肩を抱き起し、 「こいつは、ひでえ……」  顔をしかめた。  侍の顔は青ぐろく腫《は》れあがり、血もにじんでいた。此処《ここ》へ引きずり込まれる前に、何処《どこ》かで、ひどく撲《なぐ》りつけられたらしい。 「旦那《だんな》……これ旦那。このお方が、お前さまのいのちを助けて下すったのでござんすよ」  長次に、そういわれて、 「はあ……」  顔をあげた若い侍が、はじめて小兵衛を見るや、 「あっ……」  おどろきの声を発した。 「どうした?」 「あ、秋山先生……」 「おぬし、わしを見知っていたのか……でも、わしは知らぬな。いや、待て。どこかで見たような気もせぬではないが……」 「面目《めんもく》次第も、ありませぬ」 「はて……?」 「村松、伊織《いおり》でございます」 「何と、おぬしがのう……」      二  それから半刻《はんとき》(一時間)ほど後に……。  村松|伊織《いおり》と名乗った若い侍を、突き殺そうとした無頼者二人の姿を、浅草・元鳥越町の、甚内《じんない》橋・北詰にある〔寿《ことぶき》庵〕という蕎麦《そば》屋の二階の小座敷に見ることができる。  この二人は、浅草福井町に住む香具師《やし》の元締《もとじめ》・鎌屋|辰蔵《たつぞう》の乾分《こぶん》の者であった。  一人を、滝野《たきの》の利助。一人を朝熊《あさくま》の宗次《そうじ》といって、共に三十がらみの屈強の男だ。 「とんだところへ、妙な爺《じじ》いが出て来やがったな、利助どん」 「そうよ。いま一息のところだったが……」  さも、くやしげに、銚子《ちょうし》の酒をたてつづけに呷《あお》りながら滝野の利助が、 「野郎。いま、すこしで、承知をするところだったのに……」 「いや、見ていても凄《すさ》まじかったぜ。おらあ、ほんとうにお前が、あの村松伊織を殺《や》っつけるのかとおもったよ」 「元締は、まだ、そこまでは考えていなさらねえ。だが、腕の一本ぐらいは叩《たた》き折ってもかまわねえといいなすった。おれもな、伊織の野郎が、あんまり煮えきらねえものだから、あの生《なま》っ白《ちろ》い面《つら》に一太刀《ひとたち》つけてやろうとおもった……」  いいさして、利助が急に押しだまった。  利助の顔に見る見る殺気が浮きあがってきたのを、朝熊の宗次が凝《じっ》と見つめている。 「野郎。ただじゃおかねえ」  利助が、うめくようにいった。 「なあ、利助どん。日中《にっちゅう》に仕掛けるのは、やっぱりまずいや」 「そいつは仕方がねえ。伊織の奴《やつ》が外歩きをするのは日中だけだ。まったく畜生め。夜ならば、どんなことでもやれるんだが……」 「それにしてもまずかった。今度からは伊織の野郎、屋敷へ引きこもって、外へ出ねえようになるぜ」 「まずいまずいというな。あの爺いが飛び出して来なけりゃあ、今日一日で片がついたのだ」 「ま、そりゃあそうだが……それにしてもあの爺いが走って来たときには、なんともいえずに凄《すご》かった……」 「大きな爺いだったな」 「うむ、大男だ。おどろいたよ」  二人の眼には、痩《や》せて小さな秋山小兵衛の体躯《たいく》が、よほどに大きく映ったらしい。 「ときに利助どん。今日のことは、元締に……」 「元締には、まだ、いっちゃあならねえ」 「そうか……」 「まだ、時機《じき》がねえわけじゃあねえ。このこと[#「このこと」に傍点]は、なんとしても、おれが仕切って見せるのだ」  この二人は、元締の鎌屋辰蔵に命じられて、今日の所業におよんだのだ。  それが、秋山小兵衛の出現によって失敗したことになる。  朝熊の宗次は、その失敗を、単に、 「いまいましい」  と、おもっているだけなのだが、滝野の利助のほうは、それ以上の憎悪《ぞうお》と怨恨《えんこん》を、村松伊織に抱いていることが、はっきりと、宗次にも看《み》てとれた。 (むり[#「むり」に傍点]もねえや)  と、宗次は、ひそかにおもった。 (お照さんのことを、利助どんは、あれほどに、おもいこがれていたのだものな。それを、その女を、伊織の野郎に寝取られちまった。元締は、伊織を引ったてて来いといいなすったが、利助どんは、もしやすると、本気で殺すつもりかも知れねえ)  その、お照とは……。  ほかでもない、元締の鎌屋辰蔵の〔ひとりむすめ〕なのである。  鎌屋辰蔵の表向きの看板は〔人入れ稼業《かぎょう》〕である。大名や旗本が雇い入れる中間《ちゅうげん》・小者《こもの》を周旋する稼業で、神田・三河町に四軒ほどある同業の元締にくらべると、辰蔵の縄張りは、いささか狭い。  三河町の〔請負宿《うけおいやど》〕は、大身の大名や幕府の諸工事にはたらく人夫まで周旋をしているが、いまの辰蔵は、とても、そこまでは喰い込めぬ。浅草から本所にかけての旗本屋敷が、鎌屋の〔縄張り〕であった。  むしろ、辰蔵は、表看板の元締としてよりも、いま一つの香具師の元締としての羽振りのほうがよい。  このほうの縄張りは、浅草の御蔵前から阿部川町。新堀川の東岸一帯の盛り場や、寺社の門前町であって、そこへ出る物売りから見世物、茶店にいたるまで、鎌屋辰蔵の息がかかっている。  辰蔵の権力を無視して、これらの商売は一日も成り立たぬ。  江戸市中の盛り場を束《たば》ねている元締は大小合わせて二十余人。その中でも鎌屋辰蔵は、仲間内でも、 「すじ[#「すじ」に傍点]の通った男」  として知られている。  ま、こうした稼業であるから、常人のはかり知れぬ暗黒の世界[#「暗黒の世界」に傍点]にも、もちろん、顔が売れているし、お上《かみ》の眼のとどかぬ場所での血なまぐさい仕事にも、鎌屋辰蔵は勢力をもっているわけだ。  このような父親をもったお照は、今年で十八になった。  滝野の利助は、元締の四天王だとか八天狗《はってんぐ》だとかよばれ、乾分の中では屈指の信頼を元締から受けている。  だから利助が、元締のむすめに思慕の情を寄せるということは、別におかしいことではない。  それに、お照はひとりむすめなのだから、元締の辰蔵としても、いずれは、しかるべき男をえらび、むすめの聟《むこ》にして稼業の跡目《あとめ》をつがせなくてはなるまい。その聟に利助がなったとしても、それは、この稼業ではよくあることで、むしろ鎌屋辰蔵は、よろこんだであろう。  だが、香具師の元締のむすめが、五百石のれっき[#「れっき」に傍点]とした旗本・村松|左馬之助《さまのすけ》の跡つぎである伊織に、 「寝取られた……」  となると、これはまったく、おかしなことになる。  この二つは、まったく異質の世界であって、伊織とお照が肌身をゆるし合う機会があろうとは、到底、考えられぬことなのだ。  伊織の養父・村松左馬之助|重久《しげひさ》は、幕府の御小納戸衆《おこなんどしゅう》の一人であって、この役目は将軍家の側《そば》近くにつかえているだけに、幕吏としての羽振りも悪くないのである。  そうしたことを、 「百も承知の上……」  で、鎌屋辰蔵は、こういっている。 「できたもの[#「できたもの」に傍点]は仕方がねえ。村松伊織が、お照を女房にして、きちん[#「きちん」に傍点]と祝言《しゅうげん》をあげようというのなら、何もいわねえ。だが、おれのむすめに手をつけておきながら、これを遊び事ですまそうというのなら、捨ててはおけねえ。たとえ相手が将軍さまのせがれ[#「せがれ」に傍点]でも、おれはゆるせねえ。かならず、殺してやる。それが、この稼業の掟《おきて》だ。鎌屋辰蔵の意気地だ」  虚勢ではない。辰蔵は、その覚悟をしていた。  鎌屋辰蔵は、四十五歳の男ざかり[#「男ざかり」に傍点]であった。お照を生んだ女房は三年前に病歿《びょうぼつ》している。  さて……。  寿庵の二階で、滝野の利助と朝熊の宗次が酒を飲みながら半刻ほどをすごしたとき、これも鎌屋一家の若い者で、乙松《おとまつ》というのが寿庵へ駆けこんで来た。  利助と宗次が村松伊織を痛めつけていたとき、乙松は、駒形《こまかた》堂前の大通りへ立ち、見張りをつとめていたのである。  利助は逃げるとき、す[#「す」に傍点]早く、乙松に、 「あいつらを見張っていろ。寿庵で待っている」  と、ささやいておいたのだ。 「乙松。どうした?」  二階座敷へ駆けあがって来た乙松へ、利助が腰を浮かせて訊《き》いた。 「へい。駒形堂裏の元長とかいう店の二階に、まだ、いますぜ」 「伊織も爺いも、か?」 「へい」 「よし。早くもどって見張っていろ」 「合点《がってん》です」 「待て。今日のことを元締にいったら、承知しねえぞ」  じろり[#「じろり」に傍点]と利助に睨《にら》まれ、乙松はふるえあがった。 「それ、持って行け」  利助が、小づかい[#「小づかい」に傍点]を乙松へ放ってよこした。      三  そのころ、秋山小兵衛は元長の二階で、村松|伊織《いおり》と酒を酌《く》みかわしていた。  小兵衛が、きげんよく酒をすすめるものだから、伊織は先刻の醜態を忘れ果てたかのように盃《さかずき》を重ね、小兵衛のさそい[#「さそい」に傍点]にのって、 「いや、先生。まことにどうも……私も、あのようなことになろうとは、まさかに、おもいもおよばぬことで……このようなことになるのでしたら、あんなこと[#「あんなこと」に傍点]をするのではありませんでした」  二十三歳の、いかにも若わかしい顔に愛嬌《あいきょう》笑いを浮べ、八年ぶりに会った小兵衛老人の前で、すっかり打ちくつろぎ、ぺらぺらとしゃべりまくる態《さま》は、とうてい、これが旗本の子弟ともおもわれぬ。  八年前といえば、秋山小兵衛が、まだ四谷《よつや》仲町の道場の主《あるじ》として、門人たちへ熱心に剣術を教えていたものである。  そのころ、伊織の養父・村松左馬之助は、小兵衛の門人であった。  左馬之助は、伊織の叔父にあたる。  伊織の実父・村松|主膳《しゅぜん》は、伊織が二歳の折に病歿《びょうぼつ》してしまった。  跡つぎの伊織が、あまりにも幼かったので、親類一同が相談した結果、主膳の実弟・左馬之助が兄の跡をつぎ、あらためて伊織を養子にしたのである。  そのとき左馬之助は、亡兄の妻であり、伊織の母である松江と結婚をし、三女をもうけている。  こういうわけだから、実直な左馬之助は、亡《な》き兄への義理を強く感じていた。  左馬之助は、いま、四十二歳であるが、 「一日も早く、伊織に跡をつがせ、わしは隠居をしたい」  と、妻女にもらしているそうな。  伊織からそれをきいて、小兵衛が、 「いかにもな、左馬之助殿は実直な人ゆえ、さもあろうよ」  深く、うなずいた。  道場へ来ていたころも、まことに実直な剣術であって、すじ[#「すじ」に傍点]はよくなかったが、まじめに五年間を修行にはげんでいたものだ。剣術よりも、むしろ、左馬之助は小兵衛の人柄から得るところが多かったらしい。  そのころ数度、小兵衛は、神田・お玉ヶ池の村松邸へ招かれたことがあり、少年だった伊織を見ている。  少年のころから、伊織は屈託がなく、いたずらばかりして遊びまわっていたし、左馬之助も実子ではないだけに、うるさいこともいえず、甘やかして育てたことは否《いな》めない。しかし、伊織はこの[#「この」に傍点]養父に懐《なつ》き、 「可愛《かわい》いものでございます」  と、左馬之助が本心から小兵衛にいったこともあるほどだ。  眼がくりくり[#「くりくり」に傍点]と大きく、快活で、子供のころから愛嬌者の伊織であった。  ところで伊織が、いま、 「あんなことをするのではなかった……」  と、もらした、そのあんなこと[#「あんなこと」に傍点]というのが、鎌屋辰蔵のむすめ・お照を「わがもの……」にしたことなのは、いうまでもない。 「ふうむ、なるほど……それにしてもお前さん、よくも香具師《やし》の元締のむすめなぞと知り合えたものだな。うふ、ふふ……その若さで、なかなかにお前さん、やるではないか。ふうむ、うらやましい、うらやましい」 「先生。私は、その、甘いものが好きでございまして……」 「両刀使いか。たのもしいのう」 「ですから、汁粉《しるこ》屋へ、よくまいります」 「五百石取りの跡とり[#「跡とり」に傍点]がのう」 「お照とも、その汁粉屋で知り合いましたので……はい、すぐ其処《そこ》の天王町の梅園でございます。あの店の白玉《しらたま》汁粉はまことに結構なものです」  当時の汁粉屋は、女子供だけのものではない。甘味《かんみ》を好まぬ男も、よく出入りをした。というのは、ここが男女の逢引《あいびき》の場所にもなっていたからで、入れこみの座敷のほかに、しゃれた造りの小座敷がいくつもあって、まことに重宝なのだ。女たちが汁粉屋へ入るのは、いささかもふしぎでなく、したがって出入りもしやすいのである。  村松伊織は、〔梅園〕へ、婆《ばあ》やのおきち[#「おきち」に傍点]をつれて汁粉を食べに来た愛らしいお照をひと目[#「ひと目」に傍点]見て、食指をうごかした。 「ということは、これまでにも、何度か、こうしたことをしているのだな、お前さん」 「秋山先生。何度もは、ひどう[#「ひどう」に傍点]ございます。お照が二度目で……」  なのだそうだが、伊織は、婆やのおきちへ、ひそかに金をわたし、 「また、此処《ここ》へつれて来てくれ」  たくみに、さそいこんだ。  おきちは二分金をもらって、目をまるくした。その後も伊織は大分に、おきちへ金をやっていたらしい。 「そんな金を、養父《ちち》上からいただくのかえ?」 「いえ、母にねだります」 「ふうん、お前さんの母上の名は、梅園[#「梅園」に傍点]というかえ?」  子に甘いから、と、しゃれたつもりの小兵衛なのだが、伊織は、まじめ顔で、 「いえ、松江と申します」  と、こたえたのには、小兵衛も苦笑せざるを得なかった。  一|刻《とき》ほどしてから、秋山小兵衛は伊織をつれて元長を出た。 「どうだね、うまかったか?」 「はじめてでした。魚も吸物も、まことに結構でございました」 「また、つれて来てあげよう」 「うれしゅうございます」 「いや、どうにも、お前さんは憎めぬ若者じゃなあ。ところで、お照を、はじめて抱いたのは何処でだ?」 「上野の……不忍池《しのばずのいけ》の出合《であい》茶屋でした。さよう、おきちと申す婆《ばば》が案内してくれまして……」 「どうも、大変な婆やがいたものだ」 「先生。私、お屋敷まで、お送りいたします」 「ばか[#「ばか」に傍点]をいってはいけない。わしがお前さんを送る」 「いや、そのようにいたされましては、まことに恐縮……」 「死んでもいいのなら、ひとりで、お帰り」 「え……なんと、おっしゃいました?」 「これ、伊織」  と、路上に立ちどまった秋山小兵衛の顔色が一変した。小さくて細い両眼が突如として、二倍にも三倍にも大きく見ひらかれ、炯々《けいけい》たる光を放ち、伊織の瞳孔《どうこう》へ飛びこんで来るかのようであった。  伊織は、すくみあがった。 「悪い友だちにさそわれて、岡場所の娼婦《おんな》を買うのとは、わけがちがうぞ。きさま、香具師の元締がどんなものか、知っているのか!!」  低いが、まるで刃物が切りつけて来るような小兵衛の声に、 「し、知りませぬ」  伊織は青くなって、ふるえ出した。  それから二刻(四時間)ほどして、鎌屋の乾分《こぶん》の乙松《おとまつ》が、まだ寿庵《ことぶきあん》の二階に待機していた滝野の利助のもとへ駆けもどって来た。 「どうだ、様子は?」 「あの爺《じじ》いが、若僧を屋敷まで送って行きましたよ」 「畜生……」 「ですから、すこし、見張っていますと、またまた爺いが若僧をつれて出て来ました」 「なんだと?」 「後をつけて行きますと、浅草の……へい、橋場の外《はず》れの、畑の中の、百姓家みてえなところへ、二人して入って行きました。見ていますと、すぐに爺いが一人で出てめえりまして、何処かへ行っちまいました。後をつけようとおもったのでござんすが、若僧を見張るのが肝心だとおもったもので……」 「ふむ、ふむ……」 「ところが、いつまでたっても出て来ねえ。そこで近辺へあたり[#「あたり」に傍点]をつけてみますと、その百姓家は何でも剣術の道場らしいのでござんすよ、兄い」 「なに、剣術の道場だと……畜生。そこへ伊織め、かくまわれやがったな」 「ちげえねえ」  と、朝熊の宗次が、 「利助どん。こうなったら、もう容赦はなるめえぜ」  と、息まいた。      四  それから三日目の夜となった。  浅草も外れの、真崎稲荷《まさきいなり》明神社に近い秋山大治郎の道場で、大治郎と村松|伊織《いおり》が夕飯を食べている。  三日前の、あの日。  お玉ヶ池の屋敷まで伊織を送って来た秋山小兵衛が、 「久しぶりに、左馬之助《さまのすけ》殿に会いたい」  そういったので伊織は、すぐさま小兵衛を書院へ案内した。  左馬之助は非番で、折よく在邸していて、もちろん大よろこびで小兵衛を迎えた。  伊織は、まさかに小兵衛が、お照との一件を養父に語ろうとはおもっていなかった。  先刻、鎌屋の乾分《こぶん》たちに殴打《おうだ》されたときの顔の腫《は》れが、まだ引いていない。  そこで、なるべく養父に顔を合わさぬようにし、 「先生。ごゆるりと……」  さっさと、自分の部屋へ入ってしまったのだが、その後で、秋山小兵衛は洗《あら》いざらい、伊織から聞きとったことと、今日の事件とを、村松左馬之助夫妻へ告げてしまったものである。  しばらくして、伊織は養父によばれた。 「父上。秋山先生が、お帰りなので?」  と、書院の外の廊下へ来て、中をのぞいてみて、 (や……?)  伊織は、ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。  母が、こちらを、恨《うら》めしげに睨《にら》みつけている。  養父は、哀《かな》しげな困惑を深刻な表情に浮べ、微《かす》かに口唇《こうしん》をふるわせつつ、黙って伊織を見た。 「伊織。お入りなされ!!」  たまりかねたかして、いつもはやさしい母の松江が叱《しか》りつけてきたとき、小兵衛が、 「あ、しばらく……」  と制し、 「これ伊織。おのれが為《な》したることは、すべて御両親におつたえしたぞ」  そういわれて、さすがの伊織もへどもど[#「へどもど」に傍点]と面《おもて》を伏せるより仕様がなかった。 「さいわいに、御両親は、わしの申すことを、まことに素直に聞き入れて下された。なかなかにできぬことじゃ、ありがたいとおもえ」 「は……」 「わしはな、おぬしの養父《ちち》上には、むかし、いろいろと世話になっている。貧乏道場のやりくり[#「やりくり」に傍点]に困ったとき、二度ほど助けていただいた。そのことは、いまも忘れられぬ」 「あ、先生。さように申されては……」  と、左馬之助が口をはさむのへ、 「いや、そのことをおもえばこそ御子息のちから[#「ちから」に傍点]になるつもりなのじゃ。それでなくては、このように面倒な事へ、われから首を突っ込むつもりはない。さほどに、この事件《こと》をまるくおさめるのはむずかしい」  村松左馬之助は、将軍の側《そば》近くつかえる幕臣である。しかし、鎌屋辰蔵は、いざともなれば、そうしたことなどを問題にせず、遠慮なく伊織を殺すつもりだ。香具師《やし》の元締にもいろいろあるが、鎌屋辰蔵は、稼業《かぎょう》の掟《おきて》と男の意気とやらを立て通すためには、生命《いのち》をかけ、一家を離散させても闘う男だと、小兵衛は耳にしている。  縄張り内の料亭や茶店で、辰蔵のことをきいても、そうした性格が(なるほど……)と、うなずけるのだ。  鎌屋の縄張り内では、だれ一人、辰蔵のことを悪くいうものがない。これは香具師の元締としてめずらしい。  他から来た無頼者や、大刀を振りまわして暴れまわる浪人者などを見ると、鎌屋の乾分が、すぐさま駆けつけて、いのちがけで追い払ってくれる。 (たいせつな、ひとりむすめに傷をつけておいて、もしも夫婦にならぬというなら……)  このことを世間へ披露《ひろう》した上で、一家の乾分たちを引きつれ、村松邸へ斬《き》りこむほどのことは、やってのけよう。  そのようなことになれば村松家に傷がつくだけではすまない。  いずれにせよ、何年かかっても、伊織を殺すまでは、決して手をゆるめないだろう。 「あの連中のすることは、恐ろしいものなのだよ。たとえ、お前が将軍さまであろうとも、殺そうとおもうたら、かならず殺す」  と、小兵衛は伊織にいった。 「こうしたことが、公儀の耳へ入ってみよ。父上は切腹、村松の家も、たちまちに取り潰《つぶ》されてしまうぞよ」  こういわれて、伊織は、いまさらながら事の重大さを知って、顔面|蒼白《そうはく》となった。  小兵衛は、決して、大仰《おおぎょう》なことをいっているのではなかった。  小兵衛が伊織を、息・大治郎の道場へ移したのは、ほかでもない。先《ま》ず、村松屋敷から伊織の身を隠して危険をふせぎ、なんとか仲へ入って事をまとめようとおもったからだが、妙案はまだ浮んできていなかった。  それほどに、鎌屋辰蔵は、 「厄介な相手」  なのである。  道場へ移ってから、伊織は神妙である。  部屋へ閉じこもって、きょろきょろと、不安そうにしている。  どうみても五百石の家をつぐ侍には見えぬ。それだけに、この若者の、虚栄からは全く程遠い……強《し》いていうなら町家の若者のような素直さが感じられて、大治郎は微笑したものだ。 「さ、もっと食べなくてはいけない。もっとも御屋敷におられるときのようにはまいらぬが……私のところは一汁一菜。いや、その一菜も無いことがある」 「いえ、おいしく、いただいています」 「安心なさい。まさかに、その香具師の元締とやらも、伊織さんが、こんなところにいようとは考えまい」 「そうでしょうか……?」 「大丈夫。私の父にまかせておきなさい」  夕飯を終えて、大治郎は後片づけにかかる。こういうときには伊織、平然として手つだおうともせぬ。食事の始末などは、 (してもらうもの)  と、おもいこんでいるからであろう。  飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年は、今夜、田沼屋敷の母のもとへ帰っていた。 「伊織さん。あなたは剣術をおやりにならぬのか?」 「はい」  こたえは明確なものだ。おもってみたこともないらしい。 「ごめん。大治郎殿、おられますか?」  戸口に、佐々木|三冬《みふゆ》の声がした。 「おお、三冬どのか。お入りなさい」 「ごめん」  と、入って来た三冬の若衆《わかしゅ》姿を見て、伊織は瞠目《どうもく》した。ぽかん[#「ぽかん」に傍点]と口を開けたまま、何か、この世のものではない「美しい生きもの」を見たようなおどろきを、率直に、顔へあらわしていた。 「この者は?」  じろり[#「じろり」に傍点]と伊織を見やった佐々木三冬へ、大治郎が、 「父からの、あずかりもの[#「あずかりもの」に傍点]ですよ」 「ふうむ……」  三冬が目顔で、大治郎を道場のほうへさそった。 「先刻、父の屋敷で、粂太郎から聞いたのですが……何か、異変があったらしいとのこと。それで、まいったのだが……」 「いや、異変というほどのこともないとおもいますが……」 「大治郎どの」  三冬が屹《きっ》となって、 「この家は、囲まれていますぞ」  と、ささやいた。 「なんですと?」 「畑道のまわりから、うしろの木立などへ、数名の男どもが入っている。私は気づかぬふり[#「ふり」に傍点]にて、此処《ここ》へ入ってまいったが……」 「そうですか……」  大治郎が振り向くと、村松伊織は向うの部屋から、心配そうな顔をのぞかせ、こちらを見まもっていた。      五  それから半刻《はんとき》ほど後に、鎌屋辰蔵みずから十三名の乾分《こぶん》をひきい、大治郎の道場の裏と表から打ち込んで来た。  まだ五ツ(午後八時)前のことであったが、このあたりは人家もなく、たとえ大声をあげたところで、橋場あたりの町家へとどくはずもない。  一同は足ごしらえも厳重な喧嘩《けんか》仕度で、脇差《わきざし》を抜きつれ、中に三人ほど手槍《てやり》をつかんでいる者もいた。  はじめ、滝野の利助が表の戸を叩《たた》き、 「村松|伊織《いおり》が此処に隠れていることは、わかっている。引きわたしてもらいたい」  と、いったのへ、秋山大治郎が、 「たいせつなあずかりもの[#「あずかりもの」に傍点]ゆえ、わたすことはできぬ」  こうこたえるや否《いな》や、 「うわあ!!」  表と裏の戸を叩き破った鎌屋一味が喚《おめ》き声をあげ、躍り込んで来た。  道場の柱や板壁の数ヵ所に、大蝋燭《おおろうそく》を立てた鉄製の燭台《しょくだい》が掛けられ、その明るい照明の下に、大治郎と三冬が木刀をつかんで立っているのを見たときは、さすがの鎌屋辰蔵も、びっくりしたらしい。  剣術の道場には〔夜稽古《よげいこ》〕というものがある。門人が少ない秋山道場でも、こうした設備をしておくことは、道場主としての心がけである。  このとき、道場へ飛び込んで来たのは、元締の辰蔵をふくめて十名であった。  残る四名は、もしや、伊織が逃げ出て来たときにそなえ、道場のまわりを見張っていたのである。 「うぬ……」  一瞬、たじろいだ鎌屋辰蔵が、 「やっつけろ!!」  巨体を揺すって叫んだ。  十五坪の道場で、二対十の闘いがはじまった。  脇差がはね飛んだ。  手槍が叩き落された。  鎌屋の乾分どもが、つぎつぎに悲鳴をあげて転倒した。  秋山大治郎は、道場の中央に立ちはだかり、木刀というよりも棍棒《こんぼう》のごとき四尺余の得物《えもの》をつかみ、ほとんど、その位置をうごかずに、 「む!!」  肚《はら》の底から発する低い気合いをかけては、蝗《いなご》のように飛びかかる乾分どもを、右に左に打ち払い、撃ち倒す。  朝熊の宗次も、たちまちに目をまわして倒れ伏した。  佐々木三冬は、道場のまわりを燕《つばめ》のごとく飛びまわり、これは乾分どもの外側から、 「やあ!!……鋭《えい》!!」  甲高《かんだか》い気合声を発して打ち据えた。 「うわ、わ……」 「ぎゃあっ……」 「むうん……」  たちまちに八名が、その場へ叩き伏せられ、悶絶《もんぜつ》してしまったものだ。 「畜生め、畜生め!!」  最後に残った滝野の利助が、必死に鎌屋辰蔵を庇《かば》いつつ、 「や、野郎共、早く、早く……」  と、外に見張っている四人を呼んだ。 「よせ、むだ[#「むだ」に傍点]じゃ」  三冬が笑っていうのへ、 「くたばれ!!」  白刃を叩きつけた利助を、つい[#「つい」に傍点]とかわした三冬が、木刀の柄頭《つかがしら》で利助の脾腹《ひばら》を撃つと、 「うう……」  がっくりとひざ[#「ひざ」に傍点]をつき、そのまま利助は、うつ伏せに倒れた。  そこへ外から、四人の乾分が駆け込んで来た。 「いや、感心に……」  と、それから間もなく、三冬と伊織をつれて、不二楼《ふじろう》の離れにいる父の小兵衛のもとへあらわれた秋山大治郎が、 「みんな、最後まで立ち向ってまいりました」 「ほほう。なるほど鎌屋という奴《やつ》、おもしろいな。ふむ、ふむ……では、合わせて十四人が、道場へ引っくり返っているのを、そのままにして、此処へ来たというわけかえ」 「はい。その間、伊織さんは道場の縁の下へ入れておきました」 「なるほど、なるほど」 「さて、父上。これから、どういたしましたら……」 「うむ。そうさなあ……」  じろり[#「じろり」に傍点]と伊織を見やって秋山小兵衛が、 「こいつ、下手《へた》には、あつかえぬのう」  そういったときだ。  何をおもったのか、村松伊織が何か敢然とした様子で、 「申しあげます」  ほとばしるように、いい出た。 「なんじゃ?」 「何も彼《か》も、私から出たことでございます、先生。私が悪いのでございます」 「そんなことは、はじめからわかっているわえ」 「そ、それがために、みなみなさまへ……恩義ある養父《ちち》上にも、大変な迷惑をおかけいたしてしまいました」 「ほう、ほう。そこへ、よく気がついたな。気がついただけ、まだ、まし[#「まし」に傍点]だわ」  苦《にが》にがしげにいう小兵衛へ、伊織が、真赤《まつか》に紅潮して、 「覚悟いたしました」  と、いう。 「何の覚悟じゃ?」 「お照と夫婦《めおと》になります」 「な、何じゃと……」 「私は家を出ます。村松の家は、親類たちの家に、私よりも、もっともっとしっかりした次三男がいくらもおります。そのうちから一人をえらび、養子に来てもらいます」 「ふうん……で、お前は香具師《やし》の元締の聟《むこ》になるのか?」 「いえ、そこまでは……ですが、浪々《ろうろう》の身となれば、お照と夫婦になったところで……」 「文句はつけられぬ、というのかえ」 「はい。はいっ」 「これはおどろいた」 「秋山先生。おねがいでございます。そのように、おとりはからい下さい。そのほうがよいのです。私は、とても、あの立派な養父《ちち》上の跡をつげるような男ではございません。そのほうがよいのです、よいのです」  いいつのる村松伊織の面上に、一すじの泪《なみだ》がつたわるのを、小兵衛も大治郎も、三冬も見た。      六  浅草福井町の銀杏八幡《いちょうはちまん》の小さな社《やしろ》の裏側に、鎌屋辰蔵の家があった。  間口《まぐち》三|間《げん》半の、請負宿としては狭いが奥行は長い。朝のうちは、諸方へさし向ける日雇い人足《にんそく》があつまり、夕方は、もどって来た人足たちへ賃銀を支払うので大混雑となる。  秋山道場襲撃が失敗に終った翌々日のことであったが……。  朝の混雑がすむと、鎌屋は大戸を下ろし、奥の座敷で、元締の辰蔵をかこみ、利助以下、乾分《こぶん》の中でも重《おも》だった者七人が額《ひたい》をあつめ、先夜の、完膚《かんぷ》なきまでに叩《たた》きつぶされた失敗を、どのようにして取り返すかを、相談し合っていた。  傷心のお照は、いま、亡母おさと[#「おさと」に傍点]の実家である南馬道の料理屋・稲屋《いなや》勝治郎方へあずけられ、乾分二人が見張りについている。  婆《ばあ》やのおきち[#「おきち」に傍点]、これは、辰蔵からさんざん[#「さんざん」に傍点]にあぶらをしぼられたあげく、 「おのれが女ゆえ、いのちだけは助けてやるのだ。二度と浅草《ところ》へ面《つら》を出すなよ。その欲ぶかいしわ[#「しわ」に傍点]の寄った面を見たらどうなるか、覚悟をしておけ。大川には蓋《ふた》がねえのだぞ」  みっちりと脅《おど》され、白髪《しらが》だらけの頭を剃《そ》られ、坊主《ぼうず》あたまにされ、 「出て行きゃあがれ!!」  と、追い出されていた。 「こうなったら是も非もねえ。元締、今度の一件を書きしたため、これを御奉行所へ差し出しておき、伊織の父親の屋敷へ火をかけ、焼き払ってしまいましょう」  滝野の利助が、本気でいった。  みんな、暗い顔つきになっている。  なんといっても、先夜の衝撃は大きかった。  腕力では、 「何処《どこ》のだれにも負《ひ》けはとらねえ」  はずの、鎌屋一家の中でも選《え》りぬきの、屈強の男たちが、あれほど簡単に叩き伏せられ、元締の辰蔵までが泡《あわ》をふいて悶絶《もんぜつ》してしまった醜態は、実にまったく、 (夢にもおもわぬ……)  ことだったのである。 「いや、待て……」  辰蔵は組んだ腕を解き、髭《ひげ》あとの青々と濃い顎《あご》を撫《な》でまわしつつ、 「この仕返しは、かならずするが、肝心のことは伊織《いおり》の奴《やつ》の息の根をとめることだ。半年、一年かかってもいい。いまは、おとなしく手を引いたように見せかけておき、伊織がひとり歩き[#「ひとり歩き」に傍点]をするようになるのを待つことだ」 「元締。そ、そんな間怠《まだる》こいことをいいなすっちゃあ、いけません。そいつは元締……」 「いいから待て。伊織を殺してからの成り行きで、村松屋敷へ火をかけるもいい。そうなれば、どんなことでもしてのけようじゃあねえか、どうだ。憎い野郎を殺さぬうちは、おれは死んでも死にきれねえのだ」  と、鎌屋辰蔵が、ようやく気力をみなぎらせ、 「お前たち、そのいのちを、おれにくれるか?」  と、大見得《おおみえ》を切ったものだ。  乾分七名が、 「おう!!」  と、いっせいにこたえる。  そのときであった。  おもて[#「おもて」に傍点]の帳場にいた朝熊の宗次が奥座敷へ飛びこんで来た。 「た、大変。大変でござんす」 「どうした?」 「爺《じじ》いと、あの……」  宗次がいいかける間に、秋山小兵衛・大治郎の父子《おやこ》が小廊下へあらわれた。 「あっ、いつの間に……?」 「勝手にさせてもらった。元締に会わぬといわれたら困るのでな」  小兵衛の後から姿を見せた大治郎に、 「あっ……」  先夜、叩きのめされた男どもがさっ[#「さっ」に傍点]と青ざめて、すくみあがった。 「き、来やがったな!!」  それでも元締だけに、怒鳴った鎌屋辰蔵が傍の脇差《わきざし》を引きつけたとたんに、 「ばかもの!!」  小兵衛が、まるで部屋中の障子の桟が粉ごなに折れ破れたかのような大音声《だいおんじょう》で、 「これ辰蔵。村松伊織は、きさまのむすめを女房にすると申しているのだぞ!!」  辰蔵の手から脇差が落ちた。 「な、なんだと……?」 「伊織とお照が夫婦になるのじゃ」 「な、なにをいっていやがる……」 「ばかもの!!」 「へ……」 「きさまは、それ[#「それ」に傍点]をのぞんでいたのであろうが、ちがうのか!!」 「う……」  すると小兵衛が、乾分どもへ、 「おのれらは出て行け!!」  と、叱咤《しった》した。 「も、元締……」  辛《かろ》うじて、滝野の利助が妙にしわがれた声で、指示をもとめたが、 「うるさい。出て行かぬと素っ首を打ち落すぞ!!」  つづけざまに、物凄《ものすご》い眼光と声を浴びせかけられ、利助は、もうふらふら[#「ふらふら」に傍点]と半ば夢遊状態となって、他の乾分たちと共に廊下へ出て行った。 「大治郎。廊下で見張っておれ」 「はい、父上」 「これ、元締よ」 「へ……」 「お前さんのむすめに会《お》うて来たよ」  がらりと変った小兵衛のやさしげな口調に、鎌屋辰蔵ともあろうものが、へどもどするばかりであった。 「あ、会った、と……?」 「南馬道の稲屋にあずけてあるお照ちゃんのことさ」 「ど、どうして、それを?」 「それくらいのことをさぐり取るのは、わけもないことだわえ。なかなか、よいむすめだのう。よいか、元締。お前さん方の先祖だとかいう、かの幡随院長兵衛《ばんずいいんちょうべえ》にあやかって、古めかしい侠客《きょうかく》の掟《おきて》をいのちがけ[#「いのちがけ」に傍点]でまもろうというお前さん方のことだ。よし、ここは、わしが伊織を助けたとしても、お照と夫婦にならぬかぎり、お前さん方は一生かかっても、村松伊織を墓の下へ追い込もうとするだろうよ。それは、ようわかっている。わしら父子も、そこまでは、いかに何でも伊織に付いていてはやれぬ。そこでじゃ。伊織が、われからいい出したよ。お照と夫婦になろうと、な……」 「そ、そんなら、まことのことなので?」 「そうとも。そのかわり……」  いいさした小兵衛の目つきが一変したかとおもうと、 「お前にも一度、死んでもらわねばならぬ」  いいざま、この日はめずらしく腰に帯して来た藤原国助の大刀を電光のごとく抜き打った。      七  それから十日目になって、鎌屋辰蔵は、わが縄張りと元締の座を、正式に、小頭《こがしら》の滝野の利助へゆずりわたし、根岸の里の小さな家を買って、只《ただ》ひとり、引き移って行った。  あのとき、小兵衛が抜き打った大刀は、辰蔵の眉間《みけん》の皮一枚のところでぴたり[#「ぴたり」に傍点]と止ったが、辰蔵は、へたへた[#「へたへた」に傍点]とくずれ折れ、しばらくは顔もあげられなかった。 「ためし[#「ためし」に傍点]に脅してみたのだが、正気にもどってからは、おもいのほか素直に、わしのいうことをきいたわえ」 「父上。いったい、何と?」 「お前のいうとおり、伊織《いおり》とお照を夫婦にするが、そのかわり、お前も香具師《やし》の元締をやめろ、と申したのだ。天下の旗本となるべき男の妻の親が香具師ではのう。わしたちはなっとく[#「なっとく」に傍点]しても世間がゆるさぬ。そのことをいうたら、辰蔵め、うなずいたよ。そこまでしても、むすめと伊織を夫婦にしようという一刻者《いっこくもの》じゃ。ことに、わしが、お照は身ごもっている、というてやったのが効《き》いたようじゃ」 「それは、まことですか?」 「さあ、知らぬ」 「知らぬ……?」 「だが、どっちみち、いずれはそうなることよ」  秋山父子が語り合っているのは、元長の二階座敷である。  夏めいてきた或《あ》る日の宵であった。  膳《ぜん》の上には、六郷|蜆《しじみ》の味噌《みそ》吸物、鰹《かつお》の刺身などが出ていて、 「この蜆汁。さすがは長次、粉山椒《こなざんしょ》が程ようきいている。不二楼《ふじろう》ゆずりじゃ」  などと小兵衛、上きげんである。 「ときに、父上……」 「なんじゃ?」 「あの、お照というむすめを、田沼様御用人・生島次郎太夫《いくしまじろだゆう》殿の養女になさったのは、まことですか?」 「そうとも。わしが、ひそかに生島殿へたのんだのじゃ。いまは、田沼様御屋敷内の生島殿御長屋に入り、飯田粂太郎《いいだくめたろう》の母がつきそい、行末《ゆくすえ》は五百石の旗本の妻女としてはずかしからぬよう、仕つけて[#「仕つけて」に傍点]もらっている。お照は一所懸命じゃよ。何しろ伊織に惚《ほ》れぬいておるからな。いや、あのむすめなら、きっとやってのけよう」 「ははあ……」  大治郎は、呆気《あっけ》にとられていたが、 「ですが、父上……」 「うむ?」 「このことを、村松伊織の御両親は承知なのですか?」  小兵衛がにやり[#「にやり」に傍点]として、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振ったのには、大治郎もおどろいた。 「ち、父上。それは……」 「村松|左馬之助《さまのすけ》夫妻には、伊織とお照を、はっきり別れさせたと申してある」 「それでは、嘘《うそ》を……」 「そのかわり、伊織の嫁は、わしが……この秋山小兵衛が見つける。それを条件にして、事をおさめた」 「ははあ……?」 「二年ほどしたら、いまを時めく田沼老中の御用人・生島次郎太夫の養女として、お照を村松家へ嫁がせる。だれにも文句はあるまい。どうじゃな」 「どうじゃと申されても……しかし、それでは……」 「伊織とお照が、よいというのじゃから、それでよいわさ。真偽《しんぎ》は紙一重《かみひとえ》。嘘の皮をかぶって真《まこと》をつらぬけば、それでよいことよ」  実にどうも、端倪《たんげい》すべからざる父の姿を目《ま》のあたりに見て、秋山大治郎は、つぎの言葉も出ない。 「このことは、わしとお前と、伊織とお照に辰蔵と、それから生島次郎太夫殿の六名のほかには、だれも知らぬ。三冬どのとて知らぬのじゃ、よう心得ておけ」 「は……」 「何を妙な顔をしているのじゃ。さ、飲め。飲みたくなければ、たくさんおあがり。まだまだ、来るぞ。今日はな、長次が得意の鮑《あわび》の蒸切《むしきり》という料理《やつ》が出るらしい。味噌をあしらって、なかなかうまいものだぞ」  秋山父子が長次夫婦に見送られて、元長を出たのは五ツ(午後八時)をまわっていたろう。  初夏の夜で、しかも浅草寺・門前のことだし、並木町を行く父子の向うに、雷門前・広小路の灯《あか》りが浮き立ち、人通りもすくなくない。 「それにしても、鎌屋辰蔵というやつ。これよりは、表向きには、ひとりむすめのお照とも父親として会えぬ身となり、五十にもならぬうち、隠居して独《ひと》り法師《ぼうし》になってまで意気地を立て通そうというのだから……いや、どうも、いまどき、ふしぎな奴《やつ》よ」  そういった秋山小兵衛の声には、何か、しみじみとしたものがただよっているのを、大治郎は感じた。     兎《うさぎ》と熊《くま》      一  その日……。  秋山|小兵衛《こへえ》は、本所《ほんじょ》・亀沢《かめざわ》町に住む町医者の小川|宗哲《そうてつ》を訪ねた。  久しぶりで宗哲と碁を囲んだのち、小兵衛は、 (今日はひとつ、宗哲先生を元長《もとちょう》へ案内《あない》しよう)  と、おもいついた。  そして、こころよい初夏の宵を〔元長〕の二階座敷に向い合い、長次が腕を揮《ふる》った小口茄子《こぐちなす》に切胡麻《きりごま》の味噌《みそ》吸物や、鰹《かつお》の刺身などで、宗哲と酒を酌《く》みかわしたわけだが、 (今日の宗哲先生は、どうかしていなさる)  と、おもった。  これは、宗哲宅で碁を打っているときから、そう感じていたことなのである。  禿《は》げあがった坊主《ぼうず》あたまをきれい[#「きれい」に傍点]に手入れし、いつもは七十をこえた血色のよい老顔が如何《いか》にも健康そうな小川宗哲なのに、今日は大好きな碁盤に向っていても冴《さ》えぬ顔色であったし、ほとんど口をきかず、小兵衛がはなしかけても、 「ふむ。ふむ……」  と、生《なま》返事をするのみであった。  しかし元長へ誘ったときには、 「さようか、ふむ……そうじゃな。それでは気ばらしに、お供をしようかの」  すぐに応じた。  そのとき、小兵衛は、 (宗哲先生、何やら、わしに相談事があるらしい)  たちまちに直感した。  ところが元長へ来てからも、宗哲は、ものいいたげ[#「ものいいたげ」に傍点]でいながら、それをためらっているように見うけられた。  健啖《けんたん》なはずの宗哲が、おいしい料理へ箸《はし》をのばす手つきが重苦しげで、好きな酒もすすまぬ。  ついに、秋山小兵衛が、たまりかねていった。 「宗哲先生。さほどに、この小兵衛が信じられませぬかな?」  宗哲は、眼を白黒させて、 「何と、いわっしゃる……」 「はい。何やら、そのお胸に、おもいあまったことを、私に吐き出してしまいたいと、さようにおもわれながらも、吐き出し切れぬようですな」 「ふうむ……」 「これは、よほどにお苦しみのことらしい。宗哲先生が、さほどまでにお困りのことなれば、一大事ということになりましょうな」  小兵衛がそういったとたんに、小川宗哲が屹《きっ》と顔をあげて、 「さようさ。まさに、一大事なのじゃよ、小兵衛さん。こうなれば……ええもう、きいてもらわねば仕方がない」  いうや、宗哲がかたち[#「かたち」に傍点]をあらため、 「実は、昨夜、村岡|道歩《どうほ》が、わしの家へまいってな……」 「はい、はい」  村岡道歩が、小川宗哲の愛弟子《まなでし》であることは、小兵衛も承知している。  道歩は本名を、村岡|肇《はじめ》といい、長崎の生れだそうな。当年四十七歳になる道歩には、十八歳になるひとりむすめ[#「ひとりむすめ」に傍点]の房野《ふさの》がいて、これを宗哲先生、まるで、 「わが孫のように……」  可愛《かわい》がっていることも、小兵衛は知っている。  小川宗哲は三十余年前に、鎖国の日本が肥前《ひぜん》・平戸と共に、オランダ・中国・朝鮮の三国に限って開港をゆるしている長崎へおもむいた。  そして約二年にわたり、異国渡来の医術を研究した。その折、宗哲が寄宿していた鼈甲細工《べっこうざいく》の問屋〔肥前屋源右衛門〕の三男・肇が宗哲の人柄を慕い、宗哲が長崎をはなれるにあたって、 「どうしても、先生の門人になりたい」  との熱望やみがたく、ついに宗哲が、当時は紅顔の少年だった村岡肇をともない、長崎をはなれたのであった。 「まあ、諸国をまわりながら、いろいろと教えたが、ようやってくれてな。二十年前に、わしが江戸へ住みついてから、道歩という名をあたえ、独り立ちさせた。それから今に至るまで、医術に対しては、まことに神妙で熱心なのじゃ。いまは、なかなかに繁昌《はんじょう》し、諸家への出入りもあるようじゃが、いささかも気をゆるめずに研鑽《けんさん》をしておってのう」  などと、宗哲は道歩のことを小兵衛に語るとき、いかにもうれしげに眼を細めたものだ。  村岡道歩は、いま、神田の今川橋に住み、二人の医生《いせい》を助手に、日々をいそがしく暮しているそうな。  その道歩が、昨夜、人目を忍ぶようにして只《ただ》ひとり、亀沢町の恩師宅へあらわれたときは、死人《しびと》のごとく憔悴《しょうすい》しきっていた。 「どうしたのじゃ、いったい……?」 「二日の間、思案しつくしたあげく、参上いたしました。もはや、先生をたのみ[#「たのみ」に傍点]とするよりほかに、道はございませぬ」 「何じゃと?」 「先生。むすめが、攫《さら》われましてございます」 「房野が、かどわかされたと?」 「は、はい……」 「だ、だれに?」 「先生。私が、相手方のたのみごと[#「たのみごと」に傍点]を承知いたせば、むすめは、ただちに帰ってまいるのでございますが……」 「どこのだれが、どのようなことをたのんで来たのじゃ?」 「そ、それが、先生……」  道歩の声は、泣いていた。 「いうてみよ。決して他言はせぬ」 「先生。相手は、私に……」 「ふむ、ふむ」 「あの、私に毒薬《どくぐすり》を調合せよ、と……」 「な、なんじゃと……」  そこまで、小川宗哲からはなしをきいて秋山小兵衛が、きびしい顔つきで、 「これは、むずかしいことでござるな、宗哲先生。なれど御安心下さい。私も決して他言いたしませぬ。さ、酒を……先《ま》ず、のみながら、ゆるりと、あとのはなしをうかがいましょうかな」  銚子《ちょうし》を取りあげて、しずかにそういった。      二  村岡道歩の居宅《きょたく》は、元乗物町にある。  神田・今川橋から南北へ通ずる道路は、日本橋から筋違《すじかい》御門を経て上野広小路へ至る大通りだけに、人馬の往来の絶える間とてない。  今川橋の北詰を西へ折れた右側に在る道歩の家は、板塀に木戸門という質素な構えだが、奥行は深く、中庭をはさんで二棟《ふたむね》から成っている。  道に面した一棟が診療所で、ここに二人の医生や下男が、奥の一棟に道歩夫妻と房野、それに下女が起居していた。  房野が誘拐されたのは、父・道歩が恩師・小川宗哲のもとへあらわれる二日前の朝だという。  裏手の潜《くぐ》り門の外を掃いていた房野の姿を、下女が見かけたのが最後であった。  昼すぎになると、道歩夫妻も落ちつかなくなり、こころ当りへ医生や下男を走らせて見たが、いない。  七ツ(午後四時)ごろになって、道歩が、 「それはもう、お上《かみ》へとどけ出るよりほかはない」  と、妻女のおよし[#「およし」に傍点]へいった。  ちょうど、そのときである。  中年の、きちん[#「きちん」に傍点]とした身なりをした侍が一人あらわれ、 「これを村岡先生へ……」  と、一通の手紙を医生へわたし、とめる間もなく、すぐに去った。  手紙は、 「急ぎあわてては、むすめご[#「むすめご」に傍点]のいのちがあぶない。ぜひとも、むすめごの事について村岡先生におはなしいたしたいから、おひとりで、これからすぐに、浅草|山谷堀《さんやぼり》の船宿・三好屋へお越しねがいたい。そこで大月の客と申してくれれば、万事相わかる。かまえて他言なさらず、おひとりにておはこびのこと忘れるべからず。さすれば、むすめごの身にいささかの心配もない」  およそ、このような文面であった。その達筆の手紙を、小兵衛も宗哲から見せられた。  村岡道歩は、ためらうことなく、 「お上へ届け出るのは、いますこし待つように……よいか、待つのだぞ。そして、すぐに駕籠《かご》をよんでもらいたい」  と、医生に命じ、心配する妻女や奉公人にも手紙の内容を打ち明けず、手紙の命ずるままに、山谷堀の船宿へ出向き、 「大月さまの客だが……」  そういうと、すぐさま二階の奥座敷へ通された。だれもいない。しばらく待つように伝言があったからと、〔三好屋〕の女中がいった。半刻《はんとき》(一時間)ほど待ち、道歩がじりじりしていると、女中があらわれて、裏口へ道歩をみちびいた。  そこに、町駕籠が一つ、道歩を待ってい、中年の武士が立っていて、 「さ、お乗りなさい」  と、いう。おだやかな声であった。道歩には見おぼえがない侍だが、おそらく先刻、自宅へ手紙を届けに来た侍だと、道歩はおもった。  道歩を乗せた駕籠は、しばらく行くと、急にとまった。そこで道歩は、中年の侍から目隠しをされた、というのである。  ために、どこをどうまわったのか、いまもって、見当がつかぬ。およそ半刻ほどかかってから、どこかへ到着したらしく、駕籠が下ろされた。  そこは……。 「こんもりとした木立に囲まれた、どこやらの武家屋敷の、奥庭のようでございました」  と、道歩は宗哲先生に語った。  それをきいて小兵衛が、 「半刻と申しても、わざわざ、諸方を廻り道して、その屋敷へ着いたものとおもわれますな。すると、浅草の船宿からも、さほどに遠くはない場所、ということになる」  と、いった。  村岡道歩が見たところ、どこぞの大名か、または大身《たいしん》旗本の下屋敷(別邸)のようにおもわれた。  夜のことでもあったが、深い木立の枝や葉が風に鳴っていて、奥庭から廊下へあがり、 「さ、こちらへ……」  中年の侍が、道歩を奥へ案内して行く間、他《ほか》にだれ[#「だれ」に傍点]ひとり姿を見せなかった。  それでいて、近くの廊下や庭の闇《やみ》に、 「何人もの人が、隠れひそんでいるように……」  感じられたそうである。  廊下を曲りくねって、突当りの茶室めいた一間へ、道歩はみちびかれた。 「しばらく、お待ちなされ」  と、中年の侍が引き下って行って間もなく、 「お待たせをいたした」  しわがれた声をかけ、痩身《そうしん》の侍がひとり、入って来た。老人らしい。  紋服に袴《はかま》をつけ、実に立派な風采《ふうさい》であったが、灰色の絹の頭巾《ずきん》をすっぽりと頭からかぶっているので、面体《めんてい》は、わからぬ。針のように細く光る両眼と、高い鼻梁《びりょう》の一部がのぞいているにすぎない。 「頭巾の中は、坊主《ぼうず》あたまのように、見うけられました」  と、道歩はいっている。  そこで村岡道歩は、頭巾の侍から毒薬の件をいいわたされたのであった。  日を、七日と限られた。 「七日すぎても、こころが定まらぬときは、むすめごのいのちはないものと承知されたい」  頭巾の侍は、決意をこめて、そういった。  毒薬調合の決意がきまったときは、すぐさま、表門の木戸門の上へ、何でもよいから小さな赤い紙片《かみきれ》を貼《は》りつけてもらいたい。  それを見た上で、こちらが、また迎えに参上する、というのである。  村岡道歩は、茫然《ぼうぜん》となったまま、ふたたび駕籠に乗せられ、山谷堀の三好屋の近くへ送りとどけられた。  駕籠から下ろされた道歩は、駕籠と中年の侍が去るのを見とどけてから三好屋へ行き、その大月|某《なにがし》なる人物のことをきいたが、三好屋でも、 「なにしろ、今日が、はじめてのお客様で……」  よく、わからぬらしかった。  駕籠につきそって来た中年の侍が、どうやら、その大月某らしい。  小川宗哲を駕籠で送らせてから、秋山小兵衛は徒歩で〔不二楼《ふじろう》〕へ向いながら指を折って見て、 「あと、四日か……」  と、つぶやいた。  この夜。小兵衛は不二楼へ帰る前に、大治郎の道場へ立ち寄ったらしい。      三  翌朝。  秋山小兵衛は、本所《ほんじょ》の小川宗哲宅へ行き、昼近くなって不二楼《ふじろう》へもどり、手紙をしたためてから、おはる[#「おはる」に傍点]に、 「関屋村へ行き、お前の父か兄に、この手紙を四谷《よつや》の弥七《やしち》へとどけるよう、たのんで来てくれぬか」 「あい。帰りに普請場《ふしんば》を見て来てもいいかね、先生」 「いいとも、いいとも」  おはるが舟をあやつって大川(隅田川)をわたるころ、小川宗哲が村岡道歩宅へ、姿をあらわした。  宗哲は、先夜、道歩の訪問をうけたことなど、おくび[#「おくび」に傍点]にも出さぬ上きげんの様子を見せ、 「やあ、通りがかったので立ち寄った。道歩は元気でおるかな」  と、取次の医生に声をかけたものである。  道歩は青い顔をして、居間に宗哲を迎えた。 「先生。せ、先夜は……」  いいかけるのへ、宗哲が大声に、 「しばらくだのう。繁昌《はんじょう》で何より、何より」  いいつつ、目くばせをした。 「めずらしい書物が手に入った。写本じゃが、ちょ[#「ちょ」に傍点]と見てごらん」  沈痛な面持《おももち》の妻女が茶菓を運んで来て、宗哲に挨拶《あいさつ》をし、立ち去った後、宗哲が一冊の写本を道歩へ手わたした。  写本の表紙に、 「黙読|肝要之事《かんようのこと》」  と、ある。  道歩が、はっ[#「はっ」に傍点]となった。  表紙を捲《めく》ると、まぎれもなく、当の小川宗哲の筆で、 「いささか存じよりの事あり。房野探索の事については、老生にまかせられたし」  と、ある。  記述は、それのみではなかった。  今後の、村岡道歩がとるべき言動について、くわしく指示をあたえている。  これは、秋山小兵衛の指示そのままを、宗哲が記述したにすぎない。  先《ま》ず第一に、こちらから指示あるまでは、往診のほかの外出を見合せること。  先夜。道歩がひとりで宗哲を訪問したことも、おもえば危険なことであった。  相手は、房野を誘拐してのち、すぐさま、道歩のうごきを見張っているものと見てよいだろう。  道歩は、うなずいた。  あの夜。動転してはいたが、道歩も、そのことに気づかなかったわけではなく、町|駕籠《かご》を二度も乗り換え、まわり道をして恩師の家をたずねている。  宗哲の……いや、秋山小兵衛の指示は綿密をきわめたものであった。 「どうじゃ。めずらしい書物《もの》であろう」 「はい、まことに……」 「わしは、これで帰る。その書物は貸しておこう」  こういって廊下から玄関口へ出て行きながら、小川宗哲が、わざと、医生たちや下女にきこえるように、 「あ、そうじゃ。いま、おぬしにたのんだ男が明朝、わしをたずねて来るやも知れぬ。そうしたら、その男をつれて、明日また、邪魔をさせてもらおう」 「はい。承知いたしました」 「ところで道歩。今日は、房野が見えぬようじゃが……?」 「は。折|悪《あ》しく、妻の実家へ泊りがけで遊びにまいっておりまして……」  と、道歩はこたえた。  小川宗哲が、町駕籠をひろって、本所・亀沢《かめざわ》町へ帰り着いたころ、四谷|伝馬《てんま》町の御用聞き・弥七が、不二楼の小兵衛のもとへあらわれた。  密談二|刻《とき》(四時間)にわたり、弥七は夕飯をよばれてから、四谷へ帰って行った。 「あと、三日か……」  と、寝床へ横たわった小兵衛のつぶやきを聞いて、おはるが、 「先生。何が、三日なんですよう」 「なんでもない、なんでもない」 「いやな、先生……」  おはるが、しきりに鼻を鳴らしはじめた。 「これ、おはる」 「あい……」 「あと三日たったら、可愛《かわい》がってやろうよ」 「あれ、そのこと[#「そのこと」に傍点]だったんですかよう」  翌日の朝。  小川宗哲が、一人の若者をともない、またしても村岡道歩の家へあらわれた。 「道歩。この若者が、昨日、おぬしにはなした秋山小太郎じゃ。なんとしても医術を学びたいそうな。まあ、はじめは走り使いやら、往診の供やらをつとめさせてくれい」  と、宗哲が若者を、道歩夫妻に引き合せた。 「承知いたしました」  道歩は、こころよく引きうけたが、妻女のおよし[#「およし」に傍点]は、 (このさいに、そのようなことを……)  の表情を隠しきれぬ。むり[#「むり」に傍点]もないことだ。  道歩は、妻女に、 「私に、まかせておいてくれ、たのむ。よいか、私を信じて、凝《じっ》としていてくれ。それが、房野の、いのちを救うことにもなるのだから……」  と、いいわたしてあった。  自分を信じろ、と、妻にいったことは、とりも直さず道歩自身が、恩師・小川宗哲を、 (信じきって、おまかせしよう)  と、肚《はら》を決めたことになる。 「では、小太郎。一所懸命にやれ。先ず十年は辛抱をして、道歩先生から離れるな。さすれば必ず、ひとり前の医者になれよう」  若者に、そういって、小川宗哲は帰って行った。  秋山小太郎なる若者は、この日から、道歩宅へ〔医生見習〕として住みこむことになった。  この若者、秋山大治郎なのである。  しかし、村岡道歩は、秋山父子について、小川宗哲から何も聞かされてはいなかった。      四  道歩の家を辞した小川宗哲は、まっすぐに、亀沢《かめざわ》町の自宅へ帰り、その日の診療に精を出したが、おもうようにはかどらぬ。  秋山小兵衛にいわれたとおりにうごけたのも、そこは、 (年の功というやつじゃが……)  しかし、 (小兵衛さんにまかせておいて、大丈夫だろうか?)  不安がないわけでは、決してないのである。  もとより、秋山小兵衛という老剣客が、いかに端倪《たんげい》すべからざる人物であるか、ということは、宗哲も充分にわきまえている。  なればこそ、まかせたのだ。 「町奉行所へ届け出ても、私が引きうけても、つまるところは同じようなものですよ。いや、むしろ、これは大事にせぬほうがよいとおもいます。というのは、何と申しても、その、房野さんとかいう道歩先生のお嬢さんのいのちが懸っていることゆえ……」  と、小兵衛は宗哲にいった。  いって、引きうけはしたが、 「はて。今度は雲をつかむような……」  大治郎が医生見習に化けて道歩宅へ入った、その夜、四谷《よつや》の弥七《やしち》からの報告をきいて、小兵衛は吐息をもらした。  小兵衛は、房野を誘拐した相手が、村岡道歩の身辺の事に、よく通じているという前提のもとに、道歩が出入りをしている七家の大身《たいしん》旗本の名を、宗哲を通じて聞き取り、四谷の弥七に、 「おそらく、その下屋敷で、浅草から、さほどにはなれてはいない場所を当って見てくれ」  と、探索の費用として十両をわたし、たのんでおいた。  弥七は、配下の密偵をつかって、しらみつぶし[#「しらみつぶし」に傍点]に当っているが、まだ手がかりはつかめない、と報告し、あわただしく不二楼《ふじろう》を辞去した。  なんといっても、まだ、まる一日しか経《た》っていない。むり[#「むり」に傍点]もないことなのだ。  だが、明日の朝が来れば、明日をふくめて二日すれば、 「房野の、いのちがない」  というのである。  これは、単なる脅《おど》しなのか……。 (いや、脅しとはおもえぬ)  のである。  村岡道歩の言によれば、相手は大名か、大身旗本と看《み》てよい。  その相手が、おそらく何人もの人びとをつかって、道歩へ毒薬の調合をたのみ、有無《うむ》をいわさず、道歩の愛《まな》むすめを誘拐して交換の条件としたからには、 (ばか[#「ばか」に傍点]はばか[#「ばか」に傍点]なりに、なみなみならぬ決心をした上でのことにちがいない)  と、小兵衛は直感した。  大治郎を道歩宅へ住み込ませたのは、道歩夫妻の身をまもるためでもあり、 (もしやして、道歩の医生や奉公人が、房野をかどわかした相手方と、ひそかに通じ合《お》うているやも知れぬ)  と、考えたからであった。 (ともかく、いまのところは、どうしようもないわい)  小兵衛は、あきらめてねむることにした。 「何だか、蒸し暑いねえ、先生……」  となりの寝床で、おはる[#「おはる」に傍点]が、妙に悩ましげな声を出した。 「うむ……そうだな……」 「蒸し暑いから、そば[#「そば」に傍点]へ行っちゃあ、なお蒸し暑いかね?」 「む……」 「行ってもいいかね、先生……」 「ああ、いいよ」 「うれしいよう」  おはるが飛び起きて、小兵衛の寝床へもぐりこんで来た。  小娘だとばかりおもっていたおはるの体の、胸も腰も、このごろは、みっしりと肉が充《み》ちてきた。  今夜のように屈託があるときでも、六十をこえた秋山小兵衛が、そのおはるの女体に抗しきれない。 「仕方のないやつじゃ」  甘く、ささやいて、小兵衛はおはるの乳房へ手をさしのべていった。 「あ、そうだ、先生……」 「どうした?」 「今日、普請場《ふしんば》にいたら、内田|久太郎《きゅうたろう》とかいうさむらいが来ましたよう」 「内田、久……あ、そうか。以前、わしの門人だった男じゃよ」 「なんでも、鳥越の牛堀|九万之助《くまのすけ》先生ね。あそこで、聞いて来たらしいよう」 「そうか……牛堀は、わしの家が焼け落ちたことを、まだ知らなかったのじゃな」 「それでね、先生が、この不二楼にいなさることをはなして、私が女房だといったら、びっくりしていたっけ」 「内田がか……あは、はは……そりゃ、びっくりしたろうよ」 「なんでもね、今日は、ほかに用事があるから、そのうちに、ここへたずねて来なさるって……」 「ふうん、そうか……?」 「先生。ねむいんですか?」 「ああ……ねむくなった……」 「だめですよう。せっかく、可愛《かわい》がってくれかけたのに……」 「どうしても、だめかえ?」 「だめ、だめ」  と、その所為《せい》か、翌朝、小兵衛が目ざめたのは四ツ(午前十時)ごろであった。  そのとき、内田久太郎が不二楼へあらわれた。  急用ができて外出《そとで》をしたので、ついでに立ち寄り「ひと目、秋山先生に……」と、おはるに告げたそうである。 「よし。いそがしいが仕方もない。ここへ通せ」  と、小兵衛がいった。      五 「秋山先生。おなつかしゅうございます。  はい、実は半月ほど前に、鳥越の牛堀道場へ稽古《けいこ》に通っております朋友《ほうゆう》をたずねましたところ、私が、もとは秋山小兵衛先生|直伝《じきでん》の門人ときいた牛堀|九万之助《くまのすけ》先生が、その後の秋山先生の御様子をおはなし下さいました。それで昨日、所用のついでに鐘《かね》ヶ淵《ふち》へまいりまして……あの、奥さまから、先生が、ここにおいでになることをうかがいましたので」  と、小兵衛の前へ出た内田久太郎は、なつかしさのあまり、一気にいった。  内田とは、七年ぶりの再会であった。 (久太郎は、たしか、二十六か、七になっているはず……)  である。  内田は、百俵どりの御家人《ごけにん》・内田豊五郎の次男で、四谷《よつや》にあった小兵衛の道場へ来たとき、十六歳であった。  当時の内田は、門人たちから、 「熊《くま》の子」  と、渾名《あだな》をたてまつられていた。  なるほど、体も顔も、異常なほどに色が黒く、体毛が濃い。むっくりと肥《こ》えていて、ふとい眉毛《まゆげ》の下の木の実のような小さい眼が闘志をたたえてい、剣術のすじ[#「すじ」に傍点]はよくなかったが、打たれても叩《たた》かれても根気よく稽古にはげみ、五年後、道場をしまって気楽な余生を送ろうと決心したとき、秋山小兵衛は、 「少々、おまけ[#「おまけ」に傍点]だが、熊よ。お前の熱心さに対してやるのだよ」  と、いい、折紙《おりがみ》をあたえてやったものだ。  そのころ、久太郎の父・内田豊五郎は、御徒《おかち》目付の御役についてい、牛込・払方《はらいかた》町の組屋敷内の長屋にいたはずだが、いまは無役《むやく》となり、下谷《したや》御徒町に住んでいると、久太郎は語った。  久太郎は、小さな両眼をうるませつつ、 「先生。お目にかかりとうございました。突然、行方知れずになってしまわれましたので……」 「そうか、すまなんだのう」  小兵衛としては、門人に対して、いささかの区別なく接し、久太郎を特別に可愛《かわい》がったという記憶もなかったのだが、 「先生。おかげをもちまして内田久太郎、去年の秋から、ようやくに奉公が、かないましてございます」  両手をついて、あたまをたれ、 「先生に折紙をゆるしていただきましたことが、ようやくに……」  感涙にむせぶかたち[#「かたち」に傍点]になった。 「ほう。それは何よりじゃ」  折紙とは、小兵衛が、無外《むがい》流の剣客としての資格を久太郎にあたえた〔認定書〕というべきものである。  その折紙が、もの[#「もの」に傍点]をいって、内田久太郎は、赤坂・溜池《ためいけ》に屋敷を構える九千五百石の旗本・花房筑後守《はなぶさちくごのかみ》秀方の家来になれた、というのである。  百俵どりの御家人の次男坊なぞは、家をつぐわけにも行かず、養子の口とて、めったにあるものではない。当今は何事も金ずくの世の中であるから、養子の口をきめるのにも百両、二百両という大金がかかるそうな。  それが、剣士としての力量を買われて、奉公がかなったというのだから、 「よかった。それは、よかった……」  小兵衛も、村岡道歩事件の屈託を忘れてしまい、うれしくてたまらなくなってきた。内田久太郎を、ひとり前の剣士に仕立てあげたのは、ほかならぬ師匠の自分なのであるから、これがうれしくないわけはない。  しかも、九千五百石の旗本といえば、大身も大身、あと五百石を加えて一万石になれば〔大名〕となるわけで、いえば旗本の最高位に在るといってよい。 「なれど、そのような大家《たいけ》が、ようも、お前の剣術をみとめてくれたものじゃな」 「はい、それが……実は、母方の叔父の世話にて……」 「ほほう。叔父ごの、な……」 「いえ、叔父と俳諧《はいかい》のほうのつきあい[#「つきあい」に傍点]がありますお方が、花房筑後守様御家来で、叔父から私のことを耳にいたしくれまして、奥御用人の曾我《そが》権左衛門様へ引き合せて下され、すぐさま、御下屋敷にて私の剣術を試され、さいわいにも五人を勝ちぬきまして、御奉公が、かないました」 「おう、おう。その叔父ごの友だちとかいうお人の恩義を忘れるなよ」 「はい。そのお方は、大月|弥惣次《やそうじ》様と申されまして……」  いいつづける内田久太郎の、それから後の言葉は、小兵衛の耳へ入らなかった。 (内田を主家《しゅか》へ世話した男の名が、大月……)  村岡道歩を、件《くだん》の怪しい屋敷まで案内した中年の侍も、たしか、 「大月……」  そう名乗ったと、宗哲からきいている小兵衛であった。  はっ[#「はっ」に傍点]として、さすがの小兵衛も顔色を変えたらしい。 「先生。いかがなされました?」  不審げに問う内田久太郎の声で、小兵衛は我に返った。 「いや、どうもな……このごろは年の所為《せい》か、ときどき、ぼんやりとしてしまうことがある。ゆるしてくれ、もう大丈夫じゃ。それよりも久太郎、一緒に昼飯を食べよう。御屋敷へは何刻《なんどき》にもどればよいのじゃ?」 「はい。今日は溜池の御屋敷へ用事あってまいりましたが、八ツ(午後二時)までに、御下屋敷へもどればよろしいのでございます」 「ほう。いまは下屋敷に詰めておるのか?」 「はい。七日ほど前より、大月様と共に三《み》ノ輪《わ》の御下屋敷のほうへ詰めております」  いいさすうちに、おもいなしか内田の声がくもり、伏目がちになってゆくのを、小兵衛は見のがさなかった。      六  内田久太郎は、恩師・秋山小兵衛と共に昼餉《ひるげ》をすませ、 「いま、私は、めったに御下屋敷をぬけられませぬ。昨日今日と、ちょうど、御用があって外出《そとで》がかないましたので、ついでながら、矢も楯《たて》もたまらず、立ち寄らせていただきました。いずれ、あらためまして、御挨拶《ごあいさつ》に参上いたします」  と、帰るときは、妙に、沈痛な面もちとなり、不二楼《ふじろう》を辞去して行ったのである。  内田と入れ違いに、おはる[#「おはる」に傍点]の父親・岩五郎が、 「先生よ。蚕豆《そらまめ》のいいのが採れたで、持って来たよう」  と、あらわれた。 「それは、うれしいな。そしてまた、ちょうどよいところへ来てくれたのう、親父《おやじ》どの」  十も年下の岩五郎は、小兵衛にとって、いまや義父ということになる。 「また、どこかへ使いに行くのかね?」 「そのとおり」  使いの度に小遣《こづかい》をもらえるものだから、岩五郎は、 「よしきた。どこへでも駆けつけますよ、先生」  大よろこびなのである。  小兵衛は、すぐさま、四谷《よつや》の弥七《やしち》へあてて手紙をしたため、 「駕籠《かご》を使ってもよいぞ。急いでたのむ」  と、岩五郎へわたした。  岩五郎が飛び出して行って間もなく、小兵衛は本所《ほんじょ》の小川宗哲宅へ出向いて行った。  おはるは、すでに鐘《かね》ヶ淵《ふち》の普請場《ふしんば》へ出かけていた。  小兵衛は一|刻《とき》(二時間)ほどで、早くも不二楼へ帰って来て、おもと[#「おもと」に傍点]がいなくなったいま、小兵衛の係りとなった座敷女中・おしの[#「おしの」に傍点]へ岩五郎持参の蚕豆をわたして何かいいつけると、まだ日も明るいうちに湯殿へ行き、湯あがりのさっぱりとした老顔をほころばせつつ、 「おしの。少し早いが、酒にしてくれぬか」  と、いいつけた。  酒が運ばれて来ると、小兵衛は離れの縁へ膳《ぜん》を出させ、 「いい風だのう」  明るい夕暮れの微風を、心地《ここち》よげに味わいながら、 「いよいよ、明日一日か……」  つぶやいたのを、おしのが耳にはさみ、 「何でございますか、先生……?」 「いやなに、一か八《ばち》か、ということさ」 「何が、あの一か八なんでございます?」 「なあに、鬼ヶ島の鬼退治さ」 「まあ、鬼を……」  そこへ、おはるが帰って来た。 「あれ、先生。外へ出なかったんですかよう」 「あたり前だ。昨夜あんなに、お前のいうなりにさせられて……この老いぼれの腰が立つものかよ」 「先生の、ばか[#「ばか」に傍点]」  そこへ、泥鰌鍋《どじょうなべ》が運ばれて来た。  それに、まだ充分に成熟しきらぬ蚕豆を青々と茄《ゆ》であげた一鉢《ひとはち》。これは小兵衛の大好物だ。 「先生。昨日は一日中、むずかしい顔していなすったけど、いまは、ばかにきげんがいいね」 「おはる。そう見えるかえ?」 「あい」 「ま、風呂《ふろ》をもらっておいで。お前が出て来たら、あらためて、ゆっくりと飲み直そうじゃないか」 「あいよ、うれしいよう」  おはるが、不二楼の湯殿へ去ったあと、小兵衛は盃《さかずき》をなめながら、今日の内田久太郎のことばを反芻《はんすう》してみた。  深く尋《き》いては却《かえ》って怪しまれるとおもい、あくまでもそれとなく、内田のはなし[#「はなし」に傍点]をさそってみたにすぎないが、どうも、内田を主家に奉公させるための糸口をつくった大月|弥惣次《やそうじ》なる人物は、村岡道歩のいう「大月|某《なにがし》」と同一人であるようにおもえてならない。  さらに、だ。  大月弥惣次や内田久太郎が奉公をしているという花房|筑後守《ちくごのかみ》の下屋敷が下谷《したや》の外れの三《み》ノ輪《わ》の田園地帯にあるということ。これは先夜、村岡道歩が山谷堀《さんやぼり》から駕籠で運ばれたという怪しげな屋敷と見て、おかしくはない場所にある。  しかも、だ。  花房家の奥用人をつとめる曾我《そが》権左衛門という老人は毛髪がほとんど抜け落ちていて、坊主《ぼうず》頭だというではないか。  そして……。  当の内田久太郎が数日前から、赤坂・溜池《ためいけ》の本邸から三ノ輪の下屋敷へ移されたというのは、 「……急に、その、さしせまった役目につくことになりましたので……」  と、久太郎が小兵衛に、ことばを濁して洩《も》らした。 「ほう、そうか……」  と、それ以上は突込んで尋かなかったけれども、 (もしやすると久太郎め、かどわかされた房野の見張りを、つとめているのではあるまいか……?)  小兵衛は、そうおもった。  内田久太郎の主《あるじ》・花房筑後守の領地は、下総《しもうさ》の国・相馬《そうま》郡だそうな。しかし、大名ではないのだから将軍ひざもとの江戸に屋敷を構え、上は家老から下は下女・小者に至るまで、奉公人は合わせて百人におよぶ。  旗本の最高位に在り、しかも大名の格式や見栄《みえ》体裁にとらわれずにすむのだから、ばかばかしい出費もかからず、一万石の大名はおろか、二万石三万石の大名よりも、内情は、はるかに裕福なのである。  花房筑後守秀方は、当年、六十歳で、ここ二年ほど病床についたきりらしい。 「実は、私も、まだ、お目通りをしておりませぬ」  内田は小兵衛に、そういった。  とすれば、よほどの重病と見てよい。  筑後守が、もし亡《な》くなったときの跡つぎは、二十七歳の長男・一学《いちがく》がいるから心配することもないと、おもわれる。  そうした、めぐまれた大身《たいしん》旗本が何故に、一介の町医者のむすめを、 (かどわかさねばならぬか?)  であった。  そこまで考えおよぶと、秋山小兵衛にも、 (何が何やら、わからぬわえ)  と、いうことになってしまう。  さて……。  おはるが、まだ湯殿からもどらぬうちに、小川宗哲が町駕籠で不二楼へあらわれた。 「道歩先生のところへ、行っていただけましたな?」  と、小兵衛。 「うむ。その帰りじゃよ」 「怪しきやつに後をつけられたようなことは?」 「大丈夫。じゅうぶんに気をつけた」  そこで、小兵衛と宗哲が密談半刻。  酒ものまずに宗哲は、本所の自宅へ帰って行った。  夜に入って、四谷の御用聞き・弥七が駆けつけて来た。 「すまぬな、弥七。腹ぐあいはどうだ?」 「晩飯も食わずに飛んでまいりました」 「そうだろうとおもってな、豆茶飯《まめちゃめし》を不二楼《ここ》の板場へあつらえておいたぞ」 「豆茶飯……?」 「これ、弥七。女房が武蔵屋《むさしや》という四谷|界隈《かいわい》でそれ[#「それ」に傍点]と知られた料理屋をやっているというのに、何も知らぬとは、どうしたことだ。今日はな、おはるの父親《てておや》が、蚕豆のうまいのを持って来てくれてな。こいつをちょいと炒《い》りつけ、水に浸《つ》けて皮をむいたのを茶飯へ炊《た》きこむ。これが豆茶飯よ」 「へへえ。それは、うまそうでございますね、先生」 「いっしょにやろう。やりながら、さて、相談だ。弥七、ちょ[#「ちょ」に傍点]と、おもしろいことになってきたぞ」  と、今度は、おはるに、 「おはる。先へ寝なさい。明日は、お前も、いそがしくなるやも知れぬ」  小兵衛が、そういった。  そして、この夜。  ひそかに自宅の門外へ出た村岡道歩が、赤い小さな紙片《かみきれ》を表の木戸門の上へ貼《は》りつけたのである。      七  翌朝、秋山小兵衛は、不二楼《ふじろう》で朝飯をすますと、おはる[#「おはる」に傍点]に、 「よいか、おはる。今日から明日の朝まで、外へ出てはならぬぞ。わしは、これから駒形《こまかた》の元長へ行く。何かあったら知らせに来てくれ、よいな」 「わかりましたよう」  ときに、五ツ(午前八時)であった。  村岡道歩は、今日のうちに、毒薬を調合し、かの怪しい屋敷へおもむき、毒薬と引き替えに愛娘《まなむすめ》の房野を受け取る、ことになっている。  前夜。道歩に、相手方へ承諾の意をしめす赤紙を門へ貼《は》りつけさせたのは、小兵衛が宗哲を通じて指示をあたえたからだが、道歩は、あくまでも、恩師の指図によるものと信じきっている。  さて……。  小兵衛が、駒形の元長へ着いてから一|刻《とき》ほどして、四谷《よつや》の弥七《やしち》が駆けつけて来た。  はじめ不二楼へ行き、おはるから、小兵衛が元長にいることを聞いたのである。 「いずれにせよ、此処《ここ》まで出て来たほうが、万事に都合がよいとおもったのでな」 「そりゃ、もう……」 「おそらく、相手方は、道歩宅の門に貼られた赤い紙きれを、すでに見ているだろうな、弥七」 「と、おもいますが……ときに、先生」 「何か、つかめたかえ?」 「花房|筑後守《ちくごのかみ》様、内々《うちうち》のことでございますが……なんでも、跡つぎの一学様というのは、あまり、出来[#「出来」に傍点]がよくないらしいので。二十七にもなって、まだ独身《ひとりみ》だと申します。まあ、いえば……」  いうならば、つまり精神薄弱の気味があって、いまだに、 「ええ、その、寝小便の癖が癒《なお》らないのだそうでございます。傘《かさ》屋の徳が、溜池《ためいけ》の花房屋敷の渡り中間《ちゅうげん》をさそい出し、酒をのませて、聞き取ったのでございますが、なんでも嫁も貰《もら》えねえ体だとか……はい。当人もまた、女なぞに、ちっとも気をひかれないのだと申しますよ」 「なるほど。ふうん……それでは、いま重病の床《とこ》についているという花房筑後守も、さぞ、気がもめることであろうな。内田久太郎め、そのようなことは、すこしも洩《も》らさなんだわい」 「内田、久……?」 「いや何、こっちのことさ」 「ところが、筑後守様の御|妾腹《しょうふく》で、一学様とは四つちがいの将之助《まさのすけ》様というのが、なかなかに利発の生れつきなのだそうでございます」 「ほほう」 「ですから先生。屋敷内では、いろいろにもめごと[#「もめごと」に傍点]もあるらしいので……」 「ふむ、ふむ。そうか……で、その将之助を生んだお妾《めかけ》は、いまも達者でいるのかえ?」 「御正室も御側妾も、共に達者だそうでございますよ。ふふふ……」 「こいつ、何やら……」  いいさした小兵衛のことばを、弥七が、 「におって[#「におって」に傍点]まいりましたね」  と、受けた。  二人は顔を見合せて、うなずき合った。  つまり、大身旗本の〔御家騒動〕と、見たのである。  当主・筑後守の余命は、もはや幾何《いくばく》もない。その跡をつぐ長男が精神薄弱とあって、 「御家のためにならぬ。それよりも御妾腹の将之助様に跡をつがせるべきだ」  と、花房家の一部の家来たちが、ひそかに、長男・一学を毒殺せんとしているのではあるまいか……。  その毒薬を調合する医者をえらぶに当り、もちろん、花房家へ出入りの侍医はいることだろうが、それでは却《かえ》って秘密がもれる恐れがあると考え、無関係の村岡道歩へ〔白羽の矢〕を立てたにちがいない。  道歩が、すぐれた町医者だという評判は、かなり世上にきこえている。  相手方は、道歩をえらぶについて、道歩の身辺をあらかじめ、よくよく調べあげたものと見てよい。 「ふ、ふふ……それにしても大身旗本の家来どもがやることは、まことに間がぬけている。ま、こんなものさ。人質《ひとじち》をとって脅しをかければ町方の者なぞは泣き寝入りをすると、高《たか》を括《くく》っていやあがる。将軍の旗本たる大身の武家が、このように愚かなまね[#「まね」に傍点]をするようでは、徳川の世も行末が知れているぜ」  と、秋山小兵衛が、伝法な口調となって、 「へっ、その手に乗ってたまるものかえ」 「まったくで」 「いいか、弥七。なれど油断は禁物だぞ」  二人は半刻ほど密談をし、四谷の弥七は元長から走り去った。      八  この日の暮れ六ツ(午後六時)に、村岡道歩は、この前のときと同様の方法で、大月|某《なにがし》なる侍の呼び出しを受けた。  ただし、場所は山谷堀《さんやぼり》の船宿ではなく、金竜山・浅草寺の西方、浅草|田圃《たんぼ》の〔一本松〕へ、ただちに約束の物を持参するように、と、手紙にしたためてあった。 「案ずるな。落ちついていなさい」  と、すでに身仕度を終え、町|駕籠《かご》の用意をし、待機していた村岡道歩は妻女にいいきかせ、単身、今川橋の自宅を出て指示された場所へ向った。  家を出るとき、道歩は、折りたたんだ小さな紙片を、新参の医生・秋山小太郎の手へ、何気なく、そしてだれの目にもつかぬようにつかませた。  道歩が出て行った後で、小太郎……すなわち秋山大治郎は、何食わぬ顔で裏の潜《くぐ》り門から裏手の道へ出て、道歩から手わたされた紙片を、ぽとり[#「ぽとり」に傍点]と落し、すぐに門の内へ入った。  幅一間の裏道の向うは〔八丁堤〕とよばれて、火除《ひよ》けのために幕府が築いた土手である。  と……。  その土手の上の松の木陰に屈《かが》みこんでいた飴売《あめう》りの男が下りて来て、大治郎が落した紙片を拾い、急ぎ足で何処《どこ》かへ去った。  この飴売りは、四谷《よつや》の弥七《やしち》の下《した》っ引《ぴき》・傘屋の徳次郎であった。  紙片には、村岡道歩の筆で、 〔浅草田圃の一本松〕  と、走り書きに、したためてあった。  土手下の裏道は、めったに人通りもない。  おそらく房野も、土手の上に潜んでいた男に飛びかかられ、気絶させられた上、用意してあった駕籠に押しこめられ、連れ去られたものと見てよい。  村岡道歩が、浅草田圃の〔一本松〕へ来て、町駕籠を帰したとき、初夏の夕闇《ゆうやみ》は、まだ微《かす》かに明るみを残していた。  道歩は、凝《じっ》と、一本松の木陰に立ちつくしている。 「これ……」  と、大月某が姿を見せたのは、あたりが、すっかり暗くなってからだ。 「お約束の物を、持参しておられような?」  大月は、ものやわらかな声でいった。それが却《かえ》って無気味である。  道歩は、しっかりと、うなずいて見せた。 「では、こちらへ……」  大月は、浅草田圃をさらに北へ行き、木立の中に待たせてあった駕籠へ、またしても道歩に目隠しをした上で押しこんだ。  駕籠にゆられつつ、道歩は、大月の他に二人ほど、 (駕籠につきそっているらしい)  と、感じた。  田圃道の闇に呑《の》まれた、その一行を見送って傘屋の徳次郎と秋山小兵衛が、木陰からあらわれた。  傘徳の急報をうけ、元長に待機していた小兵衛が駆けつけ、一本松のあたりから大月と道歩を見張っていたのだ。 「間に合ったな、徳。さ、急ごう」  二人は、駕籠の後を追って走り出した。  それから、半刻《はんとき》ほど後になって……。  村岡道歩を乗せた駕籠を囲み、三人の侍が、三《み》ノ輪《わ》の花房|筑後守《ちくごのかみ》・下屋敷の裏門へ入って行くのを、小兵衛と傘徳が見とどけた。  当時の三ノ輪は、奥州《おうしゅう》・陸羽両街道の筋街道だった往還から西へ切れこむと、もう、まったくの田舎《いなか》であった。  花房家・下屋敷の周囲は、竹藪《たけやぶ》と木立におおわれている。 「先生。やっぱり、此処《ここ》でございましたね」 「父上。お待ちしていました」  闇の幕の中から滲《にじ》み出るように、四谷の弥七と秋山大治郎があらわれた。  弥七は、小兵衛の推定によって、日中から下屋敷のまわりを探り調べ、このあたりに待機していたものである。  大治郎も、すでに、父・小兵衛からの指示を小川宗哲を通じて受けとり、かの紙片を傘屋の徳に拾わせておいてから、無断で道歩宅を出るや、まっしぐらに、此処へ駆けつけて来たのだ。 「さて、用意はいいな?」  小兵衛の声に、うなずいた弥七が、ふとい棍棒《こんぼう》を二本出して、小兵衛と大治郎へわたした。  そのころ……。  村岡道歩は、この前のときと同様に、奥まった一間《ひとま》で、坊主《ぼうず》頭に頭巾《ずきん》をかぶった老人の侍と向い合っていた。 「約束の品は?」  と、頭巾の老人。 「これに……」  と、道歩が、懐中から袱紗《ふくさ》に包んだものを出して見せ、すぐにまた、仕まいこんだ。 「効目《ききめ》のほどは?」 「一服にて、心ノ臓がとまります」 「血を吐くようなことは?」 「ありませぬ」 「ふむ。それはよい、それはよい」  おもわず、ひざ[#「ひざ」に傍点]を打った手をさしのべた老人が、 「では、いただこう」 「いや、先《ま》ず、むすめの姿を見なくては……」 「うむ」  頭巾の老人が手を打つと、次の間が開き、大月をふくめた四人の侍にまもられ、房野があらわれた。  以前は、小柄で色白の、ふっくらとした、あどけないほどに可愛《かわい》らしく、小川宗哲が、 「まるで、因幡《いなば》の白兎《しろうさぎ》のような……」  と、評したほどの房野が、そのおもかげ[#「おもかげ」に傍点]のまったく消えた、いたいたしげにやつれ果てた顔に、血の色をのぼせて、 「あっ……お父さま……」  たまぎるように叫んだ。 「しずかになされ」  と、大月某がいった。 「ふ、房野。もう大丈夫。安心をしていなさい」  道歩が必死の面もちで、そういった瞬間であった。  四人の侍のうちの三人が道歩へ飛びかかり、これを押えつけ、ちからずくで懐中から毒薬の包みを奪い取った。 「な、なにをする……」 「死んでもらおう」  傲然《ごうぜん》と、頭巾の老人がいったかとおもうと、侍たちが、道歩と房野の急所を拳《こぶし》で撃った。  父娘《おやこ》は、気をうしなって倒れた。 「内田久太郎は、いずこに?」  と、頭巾の老人がいった。  大月某……いや、大月|弥惣次《やそうじ》が、 「向うに控えさせておきました」 「よし。内田は新参者じゃ。道歩父娘を殺害したことを知らせてはならぬ」 「はい。それに、内田は、道歩の娘に同情の念を抱きおりまするようで」  と、別の侍がいう。 「ふうむ。怪《け》しからぬやつ。よし、内田のことは後まわしじゃ。ともあれ道歩父娘を裏の土蔵の中で始末いたせ」 「はっ」  二人が、それぞれに道歩と房野を背負い、頭巾の老人……すなわち、花房筑後守の奥用人・曾我《そが》権左衛門をふくめた五人の侍が外廊下へ出た。廊下の西側に、土蔵へ通ずる渡り廊下がある。  五人の侍と失神した道歩父娘が渡り廊下の中程まで来たとき、突然、二つの人影が奥庭から、突風のごとく渡り廊下へ躍りあがった。小兵衛と大治郎であった。 「あっ……」 「な、何者……」  叫んだ二人が、秋山|父子《おやこ》の棍棒に叩《たた》きのめされ、奥庭へころげ落ちた。  小兵衛と大治郎は、せまい廊下の上で軽がると身をさばき、 「それっ!!」 「む!!」  道歩父娘を背負って逃げようとする二人の侍の足を打ち払った。 「わ、わわ……」  のめって倒れた二人の背中から落ちた村岡道歩と房野の体を、間髪《かんはつ》を入れずに、廊下へ飛びあがった四谷の弥七と傘徳が奥庭へ引き下ろした。 「く、曲者《くせもの》じゃ。出合え!!」  曾我権左衛門が、たまりかねて、 「内田はおらぬか。内田久太郎出合え!!」  と、絶叫した。  足を払われて倒れた二人の侍が、腰の小刀を引きぬいたが、 「ばかもの!!」  たちまち小兵衛に叩き落され、脳天に一撃をくらって気絶する。  奥庭から三人の侍が抜刀して走り出て来た。 「大治郎。やっつけろ」  と、小兵衛がいった。  奥庭へ飛び下りた秋山大治郎の棍棒が、唸《うな》りを生じて先頭の侍の胴へ撃ちこまれ、さらに二人目の侍の胸へ突きこまれた。  たまったものではない。  二人とも、まるで、巌《いわお》に打ち当ってはね[#「はね」に傍点]飛ばされた盲目犬のように悶絶《もんぜつ》してしまった。  最後の一人……むっくりとした体躯《たいく》の大男が大刀を構え、 「曲者!!」  と、大治郎の前へ立ちふさがった。  内田久太郎であった。 「たあっ!!」  猛然と、内田が打ち込む一刀を、大治郎が左足《さそく》を引いて顔面すれすれにかわし、身をひねりざま、左手に持ちかえた棍棒《こんぼう》で内田の横面《よこめん》を薙《な》ぎはらった。 「む!!」  ぱっと下った内田が、すくいあげるように、大治郎の棍棒を真二つに切りはらった。 「みごとじゃ、久太郎」  と、小兵衛が、頭巾を引きむしった曾我用人の襟《えり》くび[#「くび」に傍点]を押えたまま、渡り廊下から声をかけた。 「あっ……せ、先生」  内田久太郎は驚愕《きょうがく》のあまり、わなわな[#「わなわな」に傍点]とふるえ出した。  大治郎は、微笑をうかべて立っている。 「久太郎。いま、お前の相手をしたのは、わしのせがれよ」 「あ……」 「わしはな、御老中・田沼|主殿頭《とのものかみ》様の手の者じゃ。神妙にしたがよい」 「は……はっ……」  刀を落し、ひれ伏した内田へ、 「お前も、どうやら、こころにそまぬ奉公をしていたようじゃな」  と、秋山小兵衛が、いまは虚脱状態になっている曾我権左衛門の耳もとで、こういった。 「これ。お前さん方が道歩先生から奪い取った薬は、胃腸の妙薬じゃよ」      ○  この事件は、老中・田沼|意次《おきつぐ》の命《めい》によって評定所の扱いとなり、きびしい取調べがおこなわれた。  その結果、秋山小兵衛の推測が間違っていたのは、つぎの一事であることがわかった。  すなわち、毒殺されようとした者は、花房|筑後守《ちくごのかみ》の魯鈍《ろどん》な長男・一学ではなく、利発な妾腹《しょうふく》の子の将之助《まさのすけ》だったのである。  この毒殺計画は、正夫人・松子と奥用人・曾我権左衛門が、 「腹心の家来、十余名をあつめて……」  実行に移したものだ。  それもこれも、重病の筑後守が、 (あの一学には、とうてい、家督をゆずりわたせぬ)  と決意し、妾腹の将之助をもって家督相続をさせるべく、諸方へ手続きをとりはじめたので、正夫人の松子が、魯鈍な我が子|可愛《かわい》さのあまり、惜しげもなく金品をつかって、家来たちを抱きこみ、 「ひそかに、将之助を殺害せよ」  と、命じたのである。  幕府は、花房家を取り潰《つぶ》しにした。  曾我用人以下、この事件に関係した家来たちも、それぞれに処分された。  しかし、内田久太郎は、三年間の〔江戸追放〕だけですんだ。  ゆるされたのち、江戸へもどって来た内田は、なんと、村岡道歩のひとりむすめ・房野と夫婦になった。  それも、これは、房野から熱心にのぞんだことだったそうである。 「房野が、あの下屋敷に押しこめられ、これを見張っていた内田久太郎との間に、わしたちの、はかり知れぬ何ものか[#「何ものか」に傍点]が生れ、育ちつつあったのじゃろう。なればこそ御公儀も、久太めに、あのような情けをかけてくだされたのであろうよ」  と、そのときに秋山小兵衛がいったものだ。 「因幡《いなば》の白兎《しろうさぎ》のように可愛《かわゆ》い房野と、毛むくじゃらの熊《くま》男の久太郎めと……これは、おもいもかけぬ取り合せになったものだわえ。うふ、ふふ……」  小兵衛の笑い声は、さも、うれしげなものであったという。  内田久太郎については、まだ、別のはなしが残っている。  それは後年になって、秋山小兵衛が病歿《びょうぼつ》したとき、これを最後まで看《み》とった医者が、二代目の村岡道歩……つまり、剣を捨てて、立派な町医者に生れ変った内田久太郎だったとは、当時の秋山小兵衛・大治郎父子の、 「夢にもおもわぬ……」  ことであった。  だが、それは三十年も後のことだ。  秋山小兵衛は、まだ、生きている。     婚礼の夜      一  江戸は、梅雨《つゆ》に入った。  来る日も来る日も、降りつづいている。  その日の夜ふけ……。 〔傘徳《かさとく》〕こと傘屋の徳次郎は、千駄《せんだ》ヶ谷《や》にある松平|肥前守《ひぜんのかみ》・下屋敷(別邸)内の中間《ちゅうげん》部屋でひらかれている博奕場《ばくちば》にいた。  徳次郎が、あまり好きでもない博奕場へあらわれるときは、四谷伝馬《よつやてんま》町の御用聞き・弥七《やしち》がつとめる「お上《かみ》の御用」のための探索に来るのである。  先ごろ、四谷・南寺町の妙行院《みょうぎょういん》という寺の僧が鉄砲坂で惨殺《ざんさつ》された。  このあたりは自分の〔縄張り〕であったから、すぐさま弥七は探索を開始した。  弥七は、ふだんからよく面倒を見てやっている〔下《した》っ引《ぴき》〕という密偵を何人も抱えており、徳次郎もその一人で、弥七から声がかからぬまでも、下っ引たちは、平常それぞれに桶《おけ》屋とか煙草《たばこ》屋とかの商売をしながら、犯罪の聞きこみや探索をつとめている。  徳次郎は、内藤《ないとう》新宿の下町で小さな傘屋の店を出している。  そこは、いうまでもなく甲州街道すじの往還であるし、晴雨にかかわらず人通りが多い。傘ばかりではなく、草鞋《わらじ》や笠《かさ》・合羽《かっぱ》の類《たぐ》いまで商っている店を、徳次郎は、ほとんど女房・おせき[#「おせき」に傍点]にまかせ、弥七のためにはたらいていた。  おせきは、新宿の宿場女郎だった女だが、五年前に徳次郎と「いい仲[#「いい仲」に傍点]」になり、それを知った四谷の弥七が「あの女なら一緒になってもいい」と、金を出してくれ、傘屋の店を出させてくれたのであった。それだけに弥七も徳次郎をたのみ[#「たのみ」に傍点]にしているわけだろうが、これだけの世話ができるのも、弥七の女房・おみね[#「おみね」に傍点]が伝馬町一丁目で料理茶屋〔武蔵屋《むさしや》〕を経営し、大いに繁昌《はんじょう》しているからであった。 「おれたちは女房どものおかげで、疚《やま》しいまね[#「まね」に傍点]もせずに、お上の御用にはたらいていられる。大きな声じゃあいえねえが、ありがてえことよ、なあ傘徳」  いつか弥七がそういったとき、徳次郎は、 「まったくで。ですが親分。こんなことを女房の耳へ気《け》ぶりにも入れちゃあいけませんや。そんなことを聞いたら、女ってえ生きものは、すぐにのぼせあがり、今度はこっちへ恩を売りまさあ」  と、いったものだ。  ところで、鉄砲坂の坊主《ぼうず》殺しは一人も目撃者がなく、犯人が証拠も残していないので、弥七もあせってきていた。  傘屋の徳次郎が、この夜、松平家の中間部屋へ来たのも、こうした博奕場では、おもいもかけぬ悪の世界[#「悪の世界」に傍点]を垣間《かいま》見られるからである。むろん、徳次郎は博奕好きな傘屋になりきって出入りをするわけで、新宿下町の隣り近所でも、徳次郎が下っ引をしていようとは夢にもおもわぬ。また、それでこそ下っ引の役目がつとまるわけなのだ。  松平肥前守・下屋敷の中間部屋は、二十坪ほどの一棟《ひとむね》で、殿さまの官邸である上屋敷とはちがい、別邸のことゆえ、中間は口入れ屋を通して雇われている渡り者ばかりだから、いずれも飲む打つ買うの三拍子そろった屈強の奴どもばかりで、こんなのを雇い入れてまで見栄《みえ》や体裁をつくろわねばならぬ大名屋敷なぞというものは、徳次郎にいわせると「ふしぎでならねえ」らしい。 (今夜も別に、これといった聞きこみもできなかった……)  博奕でも負けたし、いささか、がっかりして傘徳が下屋敷の裏の潜《くぐ》り門から外へ出たのは、八ツ(午前二時)ごろであったろう。  徳次郎は、玉川上水|辺《べ》りにある順正《じゅんしょう》寺という寺の横手の細道をぬけようとした。  雨が強くなってきている。家を出て来るときは梅雨の晴れ間になろうかとおもったほど、空が明るかったので傘も持たずに出て来た。 (傘屋が、このざまじゃあ、どうにもならねえ)  ずぶ濡《ぬ》れになって徳次郎が、細道の角を曲りかけ、はっ[#「はっ」に傍点]と身を引いた。  順正寺の門の下で、浪人者が二人たたずみ、ひそひそと何か語り合っているのを見たからであった。  この時刻に、こんな場所で、こうした浪人者を見るというのは、徳次郎にとって、 (捨ててはおけない……)  ことなのである。  徳次郎は、順正寺の土塀にぴったりと身を寄せ、聞き耳をたてた。  雨音にまぎれて徳次郎が、すぐ近くにいることを浪人たちは全く気づかぬらしく、低声《こごえ》ながら、どうやら、その言葉を徳次郎は聞き取ることができた。 「それがな、今日は奴め[#「奴め」に傍点]、六郷《ろくごう》屋敷を出てから浅草の橋場の先の、汚ねえ剣術の道場を訪ねて行ったよ」  と、一人がいったのを聞いて、徳次郎は緊張した。  橋場の、そのあたりの汚ない道場といえば、ほかならぬ秋山大治郎のそれ[#「それ」に傍点]で、ほかには剣術の道場なぞ無いといってよい。  自分が親分と仰ぐ四谷の弥七と秋山|小兵衛《こへえ》・大治郎|父子《おやこ》の親密な関係は、傘徳がよくわきまえていることであった。 「ふうむ。剣術の道場へ、な……」 「明日、もっとよく探ってみるつもりだ」 「そうしてくれ。平山先生も心待ちにしておられるぜ」 「もうすこし、待ってくれ」 「では、たのむ。これは先生から、おぬしへ……」  こういって、何か金包みのようなものをわたしたらしい。 「これは、いつもすまんな」  うけ取った一人が、 「では、いずれ……」  闇《やみ》の中へ、消えて行った。  残った一人は、それを見送ってから南の方へ歩み出した。  傘屋の徳次郎が後をつけたのは、いうまでもない。  翌朝早く、徳次郎は家を飛び出し、四谷の弥七の家へ駆けつけた。  弥七は、徳次郎の報告を聞くや、朝飯もとらずに、浅草橋場の料亭〔不二楼《ふじろう》〕に仮寓《かぐう》している秋山小兵衛のもとへ飛んで行った。  弥七から、そのはなし[#「はなし」に傍点]を聞き終えた小兵衛が雨の中を弥七と共に、大治郎の道場へあらわれたのは、四ツ(午前十時)をまわっていたろう。      二  四谷《よつや》の弥七《やしち》は、もう一度、秋山大治郎に語り直した。 「これ、大治郎……」  と、小兵衛が、 「お前、傘徳が盗み聞いたという浪人の……つまり、よ。その奴め[#「奴め」に傍点]という男に、こころ当りがあるのかえ?」 「はあ……」 「どっちなのだ?」 「ともかく、昨日、この道場をたずねてまいった客は、一人よりほかにありませぬが……」 「だれじゃ?」 「以前、私が諸国をまわっておりましたとき、大坂の天満《てんま》の近くに道場を構える一刀流の柳|嘉右衛門《かえもん》先生のもとへ滞留させていただいたことがあります」 「おう、耳にはきいている。大層、繁昌《はんじょう》をしている道場だそうな」 「はい。お人柄もなかなか……」 「その柳さんが、たずねて来たのか?」 「いえ、柳道場の食客《しょっかく》をしておりました浅岡鉄之助という人がたずねてまいったのです。私、柳道場に置いていただいた一ヵ月、大変お世話になった人で……」 「お前、江戸へ帰ってから、はじめて会《お》うたのか?」 「いえ。三月《みつき》ほど前に、浅草寺《せんそうじ》境内で偶然に出合いまして、それより二、三度、行ったり来たりしていますが……」 「ほほう」 「ああ、父上には、まだ、おはなしをしておりませんでしたな。浅岡さんは、いま、湯島五丁目の金子孫十郎先生の道場の食客となっておられますが……」  金子孫十郎|信任《のぶとう》は六十をこえた老剣客ながら、江戸の剣術界では屈指の名流であって、かの〔井関道場・四天王〕事件には、老中・田沼|意次《おきつぐ》の依頼により、井関道場の後継者をえらぶ試合に審判をつとめてくれたことがある。  さて……。  その浅岡鉄之助は、当年三十五歳。  父親は、越前《えちぜん》・福井の浪人で、これも相当の剣客だったらしい。  鉄之助は二十二歳の折に父親と死別した。母親は、それ以前に病歿《びょうぼつ》していて、ともかく鉄之助は、そのとき以来、天涯孤独の身になった。 「父が、どうして福井藩を浪人したのか、くわしいことは父も母も何も語ってはくれなかったのですよ、秋山さん。いずれにせよ独《ひと》り法師《ぼうし》になってしまってね。それからは剣ひとすじに、こうして諸方の道場の厄介になって暮すうち、いつの間にか三十を越えてしまった……」  と、浅岡鉄之助は屈託なげに、大坂の柳道場で、大治郎へ語ったことがある。  小肥《こぶと》りの、年齢の割合には髪の毛がうすくて老《ふ》けて見えるのだが、髭《ひげ》の剃《そ》りあとが青々とした快活な鉄之助を見ていると、 「なんとなく御両親のお人柄が、しのばれるようにおもいました」  大治郎が小兵衛に、そういった。  剣術も可成りの遣《つか》い手であったが、秋山大治郎と立ち合っては、三本のうち、辛《かろ》うじて一本を取るといったところか……。  しかし、鉄之助の稽古《けいこ》のつけ方[#「つけ方」に傍点]が巧妙をきわめてい、大坂の柳道場へ通って来る若い侍たちには非常な人気があった。  浅草寺の境内で大治郎と再会をしたとき、浅岡鉄之助は、こういっている。 「父は江戸で亡《な》くなりましてな。私が生れたのも江戸です。十年ぶりに、江戸が見たくなって、この春に出て来ましたよ。一年ほどはこちら[#「こちら」に傍点]にいますが、また柳先生の道場へもどるつもりです。柳先生は私のことをよくして下さるし、こっちもすっかり、大坂の水になじんでしまったのか、な……」  金子孫十郎へは、同じ一刀流の、しかも旧知の間柄でもある柳嘉右衛門が、 「浅岡鉄之助を、よろしくお願い申す」  と、添書《てんしょ》をしてくれたらしい。  江戸へ来た鉄之助は、金子道場の若い門人たちへ稽古をつけてやるかたわら、暇を見ては江戸市中を歩きまわり、 「いや、どうも、十年前とは同じようでいて、まったくちがう。十年前までは、商家の軒に、これほどの看板も無かったし、人通りも、もっと少なかった。実にどうも大変な繁昌ぶりですなあ」  と、大治郎にいったそうである。  大治郎も金子道場へ、鉄之助をたずねて行き、さそい出して酒食を共にした。なにしろ大坂の柳道場では、鉄之助と同じ部屋で寝泊りをしていた大治郎だったのである。  ところで……。  金子道場でも、浅岡鉄之助は、たちまちに、 「人気者」  と、なってしまった。  稽古がうまく、人柄が明朗で、いささかの邪気もない鉄之助に、若い門人たちが 「浅岡先生、浅岡先生」といって懐《なつ》く。  それよりも、主《あるじ》の金子孫十郎が、すっかり鉄之助を気に入ってしまったようなのだ。  金子孫十郎は、湯島に大道場をかまえ、諸大名・大身《たいしん》旗本との交際がひろい。 (鉄之助ほどの男を、野に埋もれさせておいては惜しい)  と、金子孫十郎は考えるに至った。  そこで孫十郎が、大坂の柳嘉右衛門へ、 「……鉄之助の仕官の世話をしてもよろしいか?」  問い合せたところ、柳嘉右衛門も大よろこびで、 「ぜひとも、お願いする」  返事を送ってよこした。 「私の知らぬ間に、両先生の御相談がまとまり、急に、仕官をすることになりました。まったく、おもいがけぬことです」  と、昨日、大治郎の道場へあらわれた浅岡鉄之助は、さすがに、よろこびを隠しきれぬ表情で、 「しかも秋山さん。この年になって、はじめて女房をもらうことになりましてなあ」 「それは、それは……」 「つまり、その仕官の口というのが、養子の口でもあるわけでしてな」      三  金子孫十郎の門人で、西山団右衛門という人物がいる。  西山団右衛門は、出羽の国・本庄二万余石・六郷|兵庫頭《ひょうごのかみ》の家来で、俸禄《ほうろく》は五十石二人|扶持《ぶち》、江戸藩邸の武具奉行をつとめ、温厚実直な人柄であった。  子はひとり、今年二十二歳になる千代乃《ちよの》という女《むすめ》がそれだ。  団右衛門は、もう十年も金子道場へ通って稽古《けいこ》にはげんでい、孫十郎も、その人柄をよくわきまえているし、二、三度、六郷藩邸内の団右衛門の長屋へ招かれ、千代乃を見知っている。  団右衛門の妻が五年前に病歿《びょうぼつ》してのちは、千代乃が家事を切りまわし、再婚の意志がない五十一歳の父と共に暮している。  なにしろ、ひとり娘なのだから、どこからか養子を迎えて西山の家名を継がせねばならぬ。 「これまでに何度か、縁談もございましたが……どうも、わが娘を見ると、相手方が、くび[#「くび」に傍点]をかしげてしまいまして……」  苦笑しつつ西山団右衛門が、金子孫十郎へこぼしたことがある。  千代乃は醜女《しこめ》というのでもないが、だからといって美女には遠すぎる。  それに体格が立派で、縦にも横にも量感がありすぎるのだ。  だが、千代乃の肌の色は、ぬけるように白いし、細い眼はいつもやさしい光をたたえ、性質は温順そのものであった。  金子孫十郎は、道場の食客となった浅岡鉄之助を見るにおよび、 (浅岡と千代乃どのなら、きっと、うまくゆく)  と、おもうにいたった。西山団右衛門も道場の稽古で鉄之助と何度も手合せをしているし、孫十郎から見て、両人なかなか仲がよろしいのである。  そこで孫十郎は、おもいきって、団右衛門へ切り出してみた。 「すりゃ、まことでござるか……」  団右衛門は、たちまちに乗って来て、 「浅岡殿ならば、千代乃にはすぎたる人物。なれど先生。浅岡殿が承知いたしてくれますか、どうか……?」 「まあ、それはわからぬが……ともかく、まかせなさい」  と、金子孫十郎が或《あ》る日、浅岡鉄之助を連れ、何気もない様子で団右衛門の長屋へあそびに出かけた。  そうなれば当然、千代乃が茶菓を出し、酒を運び、夕餉《ゆうげ》の給仕をすることになる。  鉄之助は若いうちから諸方をめぐり歩き、苦労をしてきたのだが、生来、物にこだわらぬ快活な男だし、千代乃へもこだわりなく語りかけ、千代乃もまた、さもうれしげに答えるというわけで、二人は、この日いちにちで、ぴたり[#「ぴたり」に傍点]と呼吸が合ってしまった。  けれども鉄之助は、これが自分の見合い[#「見合い」に傍点]だとは、おもっても見なかった。 「どうじゃ、浅岡。先方では、ぜひ[#「ぜひ」に傍点]にと申している。剣ひとすじに、気楽な生涯を送るもよいであろうが、これまでに修行を積み重ね、その心身に宿っている剣の道を武家奉公に生かしてみるも悪《あ》しきことではないとおもうが……それに、西山|父娘《おやこ》と、おぬしとは別して気ごころも通い合《お》うているようじゃ。のう浅岡。三十五歳となったいま、新しい世界をひらいてみるのも、また、おもしろいではないか。実はな、このことについて、大坂の柳嘉右衛門殿からも、わしにまかせられているのじゃが……」  と、金子孫十郎が、諄々《じゅんじゅん》と説き聞かせるや、鉄之助も胸にこたえたようで、三日ほど考えたのちに、 「金子先生。よろしく、おねがいをいたします」  はっきりと、申し出たのである。  昨日も、秋山大治郎の道場へあらわれたとき、浅岡鉄之助は、六郷藩邸の長屋へ西山父娘を訪ねた帰りに立ち寄ったらしい。  六郷兵庫頭の江戸藩邸は、金竜山・浅草寺(浅草観音)裏にある。 「それはよかった。では大坂へもどらぬのですね」 「そうですよ、秋山さん」 「これはよい。そうなれば、これからいつまでも、あなたに会える」 「私はねえ、秋山さん。こう見えても、さびしがりやなのですよ。両親にも早くから死に別れているし……長い間、放浪同然の暮しをつづけていたのでね。だから、西山父娘の温情に、こころを強くひかれたのですな」 「なるほど……」 「秋山さん。今度、秋山さんの父上に会わせていただきたいですな。大坂の柳先生も、よくいうておられました。世に隠れてしまったが、稀代《きだい》の名人だと……」  このことを大治郎から聞いて、秋山小兵衛がむず[#「むず」に傍点]痒《がゆ》い顔つきになり、 「稀代の名人とは……いやはや、どうも、恐れ入ったな……」  めずらしく、照れた。 「それで……?」  と、秋山大治郎が四谷《よつや》の弥七《やしち》へ、 「傘屋の徳次郎さんが、その、金をわたした浪人の後をつけたと聞いたが……」 「はい、傘徳が申しますには、代々木|八幡《はちまん》裏の百姓家へ入って行ったそうでございますよ、若先生。はい、いうまでもございません、そこは荒れ果てた空家《あきや》なので。今日も傘徳を見張りに出しておきましたが、その空家の中にいる浪人どもは、一人や二人ではねえようでございます」  大治郎は小兵衛と、顔を見合せた。 「父上……どういたしたら?」 「そのことよ」  むしろ、じろり[#「じろり」に傍点]といった感じで、秋山小兵衛が息子を見やり、 「これは、お前の友だちのことだ」 「はい」 「わしの出る幕はないようじゃな」  突きはなした。 「は……」  眼を伏せて大治郎が、 「さようでした」 「おもうままに、やってみたがいいだろう。わしは帰る」 「まことに、ありがとう存じました、父上」 「なあに……」  外へ出た秋山小兵衛のうしろへ四谷の弥七が追いすがって、 「あれで、いいのでございますか?」 「何がよ」 「若先生、おひとりで……その……」 「お前が手を貸《か》してやりたければ好きにしろ。ただし、わしとちがってせがれめは文なしだ。身銭《みぜに》を切ることになるぞ」  いつになく、小兵衛の声は冷やかで、しかも仮借がなかった。      四  翌朝。  弥七《やしち》が目をさますと、女房のおみね[#「おみね」に傍点]が、秋山大治郎の来訪を告げた。  大治郎は、暗いうちに浅草の道場を出て来たらしい。 「何だ、それなら早く起せばいいものを……」 「だって、お前さん。若先生が、起きてからでいいとおっしゃるのだもの」 「若先生と一緒に朝飯だ。仕度をしろ」  弥七が顔を洗い、居間へ出て行くと、待っていた大治郎が形をあらため、 「朝早くから申しわけない。だが、弥七さん。やはり、あんたのちから[#「ちから」に傍点]を借りぬと、どうにもならないのだ。よろしく、たのみます」 「いや、若先生。今朝は私のほうから、そちらへ出向くつもりでいたのでございますよ。ま、手をあげて下さいまし」  そこへ、傘屋の徳次郎が駆けこんで来た。 「徳か。どうした、浪人どもが何か、うごきはじめたのか?」 「いえ、そっちのほうは、いま、二人ほど出して見張らせてありますんで。実は親分、市《いち》ヶ谷《や》田町三丁目の菓子|舗《みせ》で、高砂《たかさご》屋忠助という……」 「ああ、知っている。あそこの茶巾餅《ちゃきんもち》は、なかなかうめえぜ」 「それどころじゃあねえのですよ、親分。高砂屋へ昨夜、盗《ぬす》っ人《と》が押しこみ、主人《あるじ》夫婦から奉公人、女子供に至るまで、皆殺しになったそうですよ」 「なんだと、皆殺し……」 「一人だけ、飯たきの女中が台所の大きな水瓶《みずがめ》の中へ隠れて、助かったそうで。なんでも五人か六人、みんな長《なげ》え刀《の》を引っこぬいて押し込んで来たらしいのでござんす」 「ふうむ……そいつは、近ごろ増えたごろつき[#「ごろつき」に傍点]浪人どもだな。代々木|八幡《はちまん》裏にとぐろ[#「とぐろ」に傍点]を巻いている連中と同じような……」  いいさして、弥七が、 「傘徳。もしや……?」 「ええ。ですからこうして飛んで来たので……」 「だがな、徳。市ヶ谷一帯は、半五郎さんの縄張りだから、おれがくび[#「くび」に傍点]を突っこむわけにはいかねえ」 「へえ。そりゃ、まあ……」 「よし。ひとつ、じっくりと考えてみよう。お前は代々木八幡裏から眼をはなすな」 「合点《がってん》です」  傘徳が去った後で、四谷《よつや》の弥七は大治郎と朝飯を食べながら、何やら、いろいろと打ち合せをしたようだ。  それがすむと大治郎は、檀紙《だんし》にきちん[#「きちん」に傍点]と包んだものを弥七の前へ置き、 「これは、まことにすくないのだが、探索の入費《にゅうひ》にして下さい。細かいのがまじって、三両ほどあります。後は何とかできるつもりだ」 「とんでもねえことです。そ、そんなことを若先生にされては……」  真赤になっていいかける弥七へ、大治郎が、 「弥七さんの好意には甘えよう。だが、傘徳さんのような人たちに、いっぱい飲ませてやって下さい。たのみましたよ」 「だって、若先生……」 「心配はいらない。私だって、田沼様御屋敷へ稽古《けいこ》に上り、月々、手当をもらっているのだ」  いうや、とめる間もなく、大治郎は弥七宅から飛び出してしまった。  舌打ちをもらした弥七の顔に、苦笑がにじんできて、 「おみね。大治郎さんも大先生に、すこしずつ、似てくるようだな」  と、女房にいった。  この日は、田沼家の稽古日であったから、大治郎は、すぐさま神田橋門内の老中・田沼意次邸へ向った。  雨は熄《や》んでいたが、雲の層は厚い。  妙に、冷え冷えとしていた。  邸内の中間《ちゅうげん》部屋の一部を改造した道場で、田沼の家来たちへ、ひとしきり稽古をつけたところへ、 「これは秋山どの。御苦労に存じます」  と、折から父の屋敷へ来ていた佐々木|三冬《みふゆ》が姿を見せた。 「あ、そうだ」  おもわずひざ[#「ひざ」に傍点]を打った大治郎が、 「もし、お暇がありましたら三冬どの。私のはなしをきいていただきたい」 「はい」  うなずいて、顔を赤らめた三冬が、 「なんなりと、うけたまわりましょう」 「かたじけない」  それから、邸内の三冬の部屋へついて行き、大治郎が、 「金五両ほど、お貸しねがえませんか?」 「まあ……うれしいこと。よろこんで、御用だていたしましょう」  と、このごろの三冬は、大治郎の前へ出ると、どことなく女らしい言葉づかいになってしまうのである。 「なれど、大治郎どのが、その金を何におつかいなのです?」 「親しき友のために……」 「ほう」 「あ、おもい出しました」 「何を、です?」 「三冬どのは、時折、金子孫十郎先生の道場へ稽古に出向かれているとか!……」 「はい」 「では、金子道場の食客、浅岡鉄之助を御存知ではありませんか?」 「はい。存じております。まるで、張り子細工の達磨《だるま》さんのようなお人でしょう?」 「は、はは。これは、どうも……三冬どのも、お口が悪い」 「その、浅岡どのが……?」 「私の親しき友と申すのは、ほかならぬ浅岡鉄之助」 「まあ……」 「そうだ。三冬どのにも聞いていただこう」 「うけたまわりましょう」  大治郎と三冬は、それから一刻《いっとき》(二時間)ほど語り合った。  田沼屋敷を出た大治郎は、四谷《よつや》・伝馬《てんま》町の弥七の家を、ふたたびおとずれた。  弥七は外へ出ている。  大治郎は、おみねに筆紙を借りて、弥七への手紙をしたため、三冬が貸してくれた金五両の包みと共に、 「これを弥七さんにわたして下さい。手紙にしたためておきました。大治郎が、くれぐれもよろしくたのむ、と申していたと、つたえていただきたい」 「まあ、何でございますか、このようなお金を……」 「いいのです。手紙をよんでもらえば、弥七さんはわかってくれる。たのむ。たのみましたよ」      五  武蔵《むさし》国・豊多摩《とよたま》郡・代々木村は、いまの渋谷区代々木のことで、現・明治神宮及び代々木公園の西側に、代々木|八幡宮《はちまんぐう》がある。  むかし、このあたりは代々木野とよばれた原野で、丘陵や森、林のつらなりが、それこそ「果てしなく……」という感じであったそうな。  代々木八幡宮は、建暦《けんりゃく》二年(一二一二年)に、鶴《つる》ヶ岡《おか》八幡宮を勧請《かんじょう》し、小祠《しょうし》をいとなんだのが創《はじ》めというが、小高い岡の一帯が境内となってい、杉・松の木立が鬱蒼《うっそう》として、これを包んでいる。  代々木八幡の岡と谷間をへだてた東側に、このあたりでは〔荒井山〕とよんでいる小さな岡があり、この裾《すそ》に、件《くだん》の浪人どもが巣くっている荒れ果てた百姓家があった。  それは、秋山大治郎が佐々木三冬から、金五両を借用した日の翌日の夕暮れであったが……。  一時、熄《や》んでいた雨が、またしても、この朝から降り出し、日暮れ前には、かなり雨勢が強くなってきた。  まだ、七ツ半(午後五時)ごろで、晴れている日なら、初夏の残照がさわやかに明るいはずであったが、雨天のこととて、あたりはうす墨[#「うす墨」に傍点]をながしたかのように小暗かった。  百姓家に棲《す》みついた浪人は四人である。  どこからか、いつの間にやら酒や食べ物や寝具をそろえてきて、炉に薪をくべ、下帯ひとつになり、日中から酒をあおっているらしい。  近辺の百姓たちも、 「女子供を近づけてはいけない」  と、申し合せ、明るいうちから戸締りを堅くしているそうな。 「ごめん」  声をかけて、戸締りもしていない百姓家へ、ぬっ[#「ぬっ」に傍点]と入って来た旅の浪人がいる。  破れ笠《がさ》を頭にのせただけの、この浪人は際立《きわだ》って大きな体躯《たいく》へ垢《あか》と埃《ほこり》にまみれつくした着物をまとい、その裾をからげ、むき出しの素足に草鞋《わらじ》をはいていた。大刀一本を落し差しにしている風体《ふうてい》からおして見ても、三月ほど前に、この百姓家を見つけて棲みついたばかりの浪人どもと、 「同類……」  と、見てよいだろう。 「何だ、きさま……?」  炉端で茶わん酒をあおっていた若い浪人が、わめいた。  旅の浪人は破れ笠もとらず、ずぶ濡《ぬ》れのまま、土間へ立ちはだかり、 「や、酒があるな」  いうや、炉端に置いてあった酒瓶をわしづかみにして、のんだ。 「こいつめ……」  一瞬、気をのまれて顔を見合せた炉端の、三人の浪人どもが、 「うぬ!!」 「なめたまね[#「なめたまね」に傍点]をするな!!」 「叩《たた》き殺せ!!」  いっせいに半裸の体を起し、大刀をぬきはらった。  もう一人、炉端からはなれたところの寝床に横たわった浪人がいて、これは肘枕《ひじまくら》をしたまま、凝《じっ》と旅の浪人を見つめている。  旅の浪人は、平然として、酒瓶へ口をつけていたが、 「ぺっ……」  顔をしかめて口中の酒を土間へ吐き出し、 「まずい」  大声にいった。  これは、殺気だった三人の浪人へ火をつけたようなものであった。 「くそ!!」  一人が横なぐりに、旅の浪人へ大刀を叩きつけてきた。  ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と体がかわった旅の浪人の手から大きな酒瓶が、別の浪人の面上へ飛んだ。 「うわ……」 「あっ……」  二人の悲鳴が、同時に起った。  一人は顔に当った酒瓶に鼻柱《はなばしら》を撃たれて前へのめり、旅の浪人へ切りつけて行った一人は、 「どこをどうされたものか……」  翻筋斗《もんどり》をうって土間の板戸へ叩きつけられていたのである。 「ぬ!!」  残る一人、刀を上段に振りかぶったまではよいが、旅の浪人の早技《はやわざ》に気をのまれてしまい、どうやら闘志をうしなってしまったようだ。 「それまで」  と、寝床にいた浪人が声をかけた。 「おぬしらに歯が立つ相手ではないようだ」  寝床へ半身を起し、旅の浪人へ、 「ま、泊って行け」  と、いった。 「泊めてくれるか」 「よいとも」 「それは、ありがたい」  旅の浪人は、破れ笠をはじめて除《と》って、 「橋場弥七郎」  と、名のった。 「む、若いな。おれは平山|市蔵《いちぞう》」  寝床の浪人が、かすれ声でいう。  平山市蔵の体躯も筋骨のすぐれた立派なものだが、肉置《ししおき》が削り取られたかのように、うすくなっている。  小ざっぱりとした茶色の単衣《ひとえ》の上に木綿の羽織を重ねてい、頬骨《ほおぼね》の高く張った、青黝《あおぐろ》い陰惨な風貌《ふうぼう》で、眼が無気味な笑いをたたえている。 「ま、あがれ」 「うむ」  きょろきょろしている三人の浪人を尻目《しりめ》に、橋場弥七郎と名のった旅の浪人が赤々と燃えている炉の傍へあがって来て、 「ぬれた着物を脱がせてもらおう」  といい、くるくると着物をぬぎ、下帯ひとつになった。 「あ……」  三人の浪人どもが、期せずして、おどろきの声をあげた。  旅の浪人の上半身に、無数の、うすい刀痕《とうこん》を見たからであった。  この旅の若い浪人は、ほかならぬ秋山大治郎である。  そして、彼の体にきざまれた傷痕《きずあと》は、父・秋山小兵衛と、亡《な》き恩師・辻平右衛門《つじへいえもん》が慈愛の刀痕だ。 「ふうむ……」  平山市蔵が微《かす》かにうなって、 「橋場弥七郎さん。ここへ来ぬか」 「何だ?」  大治郎が、平山の傍へ行き、あぐらをかいた。 「おぬし、凄《すご》い腕だな」 「そうか、な……」 「おれはな。おぬしのような男を探していたよ」 「ほう……」  平山が、寝床の下から胴巻を引き出した。  胴巻は、かなり、ふくらんでいる。  胴巻の中から一両小判を十枚、取り出した平山市蔵が、それを大治郎の前へ置いた。 「十両……ふむ、見たこともない大金だ」  と、大治郎。 「な……」  と、平山が、大治郎の胸の内を見透《みす》かすような白い目つきになり、 「どうだ?」 「何が?」 「この大金で、人ひとり、殺《や》ってもらいたい」 「やる、とは?」 「殺すのだ」 「ふむ……事と次第によっては、たのまれてもよい。だが、殺す相手は悪い奴《やつ》か、善《よ》い奴か?」 「むろんだ。悪い奴に決っている」 「どんな、悪いことをしたのだ?」 「四年前、大坂で……」 「ふむ……?」 「町人の娘を引っ捕え、路上で……いや木陰へ引きずりこみ、乱暴|狼藉《ろうぜき》をはたらいた」 「ほほう……」 「それを見て、これを押しとどめようとした男を、無体《むたい》にも斬《き》って捨てた」 「ははあ……」 「斬り殺されたのは、おれの弟だ」 「ふうむ……」 「ほんらいなれば、おれが弟の敵《かたき》を討つところだ」 「いかにも……」 「だが……いまのおれは……残念ながら、その憎い敵に勝てぬ。病んでいてな……」  いいさして、平山市蔵が苦《にが》い笑いをうかべ、 「労咳《ろうがい》、らしい……」  つぶやいた。  労咳は、現代の肺結核のことである。  秋山大治郎は、 (その病気のことだけは、嘘《うそ》でない)  と、看《み》た。 「なるほど……」 「病んではいても、そこにいる三人などには、まだ、負《ひ》けはとらぬが……」 「ふむ、ふむ……」 「憎い敵には、とても……」 「強いのか?」 「一刀流だ」 「よし!!」  うなずいた大治郎が、小判十枚をつかんで、 「引きうけた」  と、いった。  なかなかどうして、このごろの大治郎は父・小兵衛に似て、芝居気《しばいぎ》も大分に出てきたようだ。もっとも、これは大治郎自身が意識してのことではない。自然に、そうなりつつあるのは、やはり父子の血[#「父子の血」に傍点]というものか……。 「そ、そうか。あ、ありがたい」  と、平山市蔵の顔が、 (まるで別人のような……)  歓喜の表情を見せた。  それも瞬時のことで、平山の顔は、たちまちに烈《はげ》しい憎悪《ぞうお》にみちみちてきて、 「こ、これで安心をした。おぬしなら、きゃつめを、かならず討てる。討てたときは、さらに十両。亡き弟の供養《くよう》として、おぬしに受けてもらおう」 「それは、ありがたいな。そして、その憎い敵の名は?」 「浅岡鉄之助」      六  これで、秋山大治郎には、すっかりなっとく[#「なっとく」に傍点]が行った。  平山市蔵が大治郎に告げたことは、すべて、真実とは裏返しのものなのだ。  大治郎は、大坂・天満《てんま》の柳嘉右衛門道場に滞在していたとき、このはなし[#「はなし」に傍点]を、当の浅岡鉄之助から聞きもしたし、柳道場の門人からも、また大坂市中のうわさ[#「うわさ」に傍点]にも聞いたのである。  それなのに平山は、この江戸で、しかも旅の浪人・橋場弥七郎に化け果《おお》せている大治郎の耳へ、大坂のそうしたうわさ[#「うわさ」に傍点]など、まったく入ってはいないと信じきっていたのである。現代のような通報・伝達の機構がまるでなかった江戸時代においては、当然のことだといってよい。  その事件の真実とは、こうだ。  四年前の夏の、その日……。  浅岡鉄之助は、柳道場での稽古《けいこ》を終え、大坂の北郊・野田村にある大長寺という寺へ、柳嘉右衛門の手紙を持って使いに出た。  大長寺の和尚《おしょう》と柳嘉右衛門とは遠縁になる。  こうした手紙の使いなど、いつもは、下男がすることであったが、鉄之助は、 「柳先生。私がまいります。久しぶりで大長寺の和尚さまにも、お目にかかりたいので……」  と、使いを買って出た。  天満から大長寺までは、さほどに遠くない。  鉄之助は、和尚としばらく語り合ったのち、そろそろ夕風がただよいはじめた鯰江《なまずえ》川の岸辺の道を、野田橋へ出た。  野田橋の向うは、井路川と鯰江川にはさまれた細長い中洲《なかす》で、その井路川沿いが美しい松原になっている。鉄之助は、ここの景色が大好きであったから、ついでに、少し遠まわりをし、中洲の松原を歩いて帰ろうとおもいたったわけだ。  松原をぶらぶら歩いていると、夕闇《ゆうやみ》がたちこめる木陰で、若い娘が二人の浪人者に乱暴をされようとしているのを発見した。  のちにわかったことだが、この娘は、近くの新喜多村の百姓の娘で、十七歳であったという。  すでに、娘は気をうしない、ぐったりと体を投げ出してい、浪人の一人が狂ったように娘の帯を引きむしり、もう一人が、白く露出した娘の太腿《ふともも》の間へ顔をもみこむように押しつけている。  すこし離れたところに、撲《なぐ》りつけられ蹴倒《けたお》された娘の父が、なすことも知らず両手を合わせ、二人の浪人に、娘を助けてくれと、泣き声でたのんでいた。  これを、浅岡鉄之助が見のがすはずはない。  一瞬、鉄之助は、 (どうして始末をつけようか……?)  というように、二人の浪人を見まもっていたが、 「む……」  うなずくと共に、音もなく浪人二人の背後へせまり、抜きはらった大刀の峰を返しざま、二人の急所を撃って倒した。  まことに簡単に始末をしてのけたのである。声をかけ、たしなめてみても、到底いうことをきかぬ奴《やつ》ども、と看《み》てとり、いきなり峰打ちをくわせて気絶せしめた。なにしろ浪人どもは娘を犯すことに気をとられ、逆上しきっていたものだから、どうにも抵抗しようがない。そのことを考えての鉄之助の処置は、大坂の町奉行所でも称賛されたという。娘も犯される寸前に救われ、鉄之助は気絶した二人の浪人を両人の刀の下緒《さげお》をつかって縛りつけ、町奉行所へ引きわたしたのであった。  ところで、この二人の無頼浪人のうちの一人が、平山市蔵だったのである。  別の一人は、市蔵の弟でも何でもない。  旅の空で知り合い、腕におぼえ[#「おぼえ」に傍点]の大剣を振りまわしてする悪行《あくぎょう》の一致を見たから、共に暮していたのであろう。  こうして二人は牢屋《ろうや》へ叩《たた》きこまれたのち、大坂市中で〔さらしもの〕にされ、百叩きの刑をうけた。そのとき叩かれた痕《あと》が平山市蔵の背中へ、いくつもの痣《あざ》のようになってしみついてしまっている。  そして、両三年の間、日本諸国のうち、十五ヵ国に住居することを禁じられた上で、追放されたのである。  これだけの処刑ですんだのは、平山の罪が〔暴行未遂〕のほかに見出《みいだ》せず、二人とも、ついに泥を吐かなかったからだ。おそらくそのときまでに、この二人は何人も人を殺していたろうし、盗みも暴行もおこなっていたにちがいない。  それだけに、平山は、自分の油断から、呆気《あっけ》もなく浅岡鉄之助に打ち倒されたことが、たまらなく、くやしかったにちがいない。  追放中の平山が、何処《どこ》で何をして生きていたかは、容易に想像される。  浅岡鉄之助への、 「復讐《ふくしゅう》の鬼」  と化した彼は、鉄之助が大坂にいたときから、これをつけねらっていたのか……。  それとも、江戸で鉄之助を見かけて、つけねらいはじめたものか……。  それは、よくわかっていないが、どちらにしても同じことであった。  いずれにせよ、めでたい晩婚の、その婚礼の日を間近にひかえた浅岡鉄之助のいのちが、平山市蔵と、平山が雇い入れた無頼浪人どもによって、 「ねらわれている……」  のである。      七  それから三日後の昼すぎになって、秋山大治郎が、ふらりと四谷《よつや》の弥七《やしち》の家へあらわれた。  この日も雨である。  大治郎は、むさ苦しい着物に、のび放題の髭《ひげ》という無頼浪人の臭気につつまれてい、 「いや、どうも……若先生も役者[#「役者」に傍点]でございますねえ」  と、弥七を苦笑させた。 「父上が見たら、なんというかな……」 「およろこびなせえますよ。あは、はは……」 「ふ、ふふ……」 「あの百姓家のまわりを、傘徳をはじめ、三人ほどで、そっ[#「そっ」に傍点]と見張らせております」 「気づいていた。昨日は、代々木|八幡《はちまん》の境内にも、一人、いたようだ」 「さすがに、どうも……あれは、私でございました」  大治郎以外の浪人どもが外出をするとき、弥七の配下は、これをかならず尾行している。  平山市蔵は、諸方の大名屋敷の中間《ちゅうげん》部屋の博奕場《ばくちば》で知り合い、 (これぞ……)  と、目をつけた無頼浪人を五人ほど雇い入れ、これらをうごかし、金子道場にいる浅岡鉄之助の身辺を探っているらしい。  その結果……。  月のうちの何度か、金子孫十郎|信任《のぶとう》の代理として、浅岡鉄之助が出稽古《でげいこ》に行くことをつきとめた。  江戸の剣術界の重鎮である金子孫十郎は数家の大名や旗本の屋敷へ出稽古におもむく。  孫十郎一人では老齢のことでもあるし、とてもさばき切れぬので、高弟数人が代理をつとめるわけだが、食客の鉄之助が、そのうちの一家を受け持たされたというのは、それだけ金子孫十郎が、鉄之助の人柄と剣に信頼をおいていることになる。  で、浅岡鉄之助が担当している出稽古先というのは、江戸の西郊・豊島郡・雑司《ぞうし》ヶ谷《や》村にある小出信濃守《こいでしなののかみ》の下屋敷であった。小出信濃守は丹波・園部二万六千七百石の城主で、上屋敷は神田|雉子《きじ》橋通りにあるのだが、殿さまをはじめ家中《かちゅう》の人びとが武術に熱心で、雑司ヶ谷の下屋敷には剣術の道場があるし、馬場も設けてある。  そして、月のうち何度か日を決め、上屋敷の藩士たちが交替で夕暮れから泊りがけで翌日の午後まで、下屋敷へ稽古にやって来る。夜稽古が終ってから、豪快な酒宴もひらかれるそうな。  そのときに、浅岡鉄之助が出向くのだ。  平山市蔵は、大坂の柳道場や江戸の金子道場で稽古をしている鉄之助を見て、 (これは、ひとすじ[#「ひとすじ」に傍点]縄ではゆかぬ)  と、おもいきわめたのであろう。  そこで、無頼浪人どもをあつめることにした。  あつめるには、金が要る。 「弥七さん。やはり、市《いち》ヶ谷《や》田町の高砂屋《たかさごや》へ押しこんだのは、あの連中だ。昨日、金子道場へ探りに出た浪人の一人について行き、帰りに酒をのませ、平山から受け取った金のうち、二両ほどつかませたら、すぐに打ちあけましたよ。盗み奪《と》った金は、八十両ほどらしい」  と、秋山大治郎がいうのをきいて、 「そ、そりゃあ、どうも、若先生。大変な御手柄《おてがら》でございました」 「なあに……」 「こうなりゃあ、八丁堀の同心《だんな》方へ申しあげ、やつらを召し捕ってしまうこともできます」 「それもよいが……しかし、弥七さん。血がながれますよ。捕方《とりかた》が何人も斬《き》られる」 「そんなに強いので?」 「うむ。ことに平山は、いざとなると、相当に闘うだろうとおもう」 「ふうむ」 「私も、いろいろと考えたが、あの連中を召し捕ったとしても、死罪になることは決っている。なにしろ高砂屋で皆殺しを為《し》てのけているのだから……」 「いうまでもないことでございます」 「それよりも、むしろ……」  いいさして大治郎が、何やら弥七の耳へ、ささやいたものだ。 「ふうむ……」  うなずいた四谷の弥七が、 「いよいよ若先生は、大先生に似てきなさいましたね」  と、いった。 「それで若先生。奴《やつ》らは、いつ、浅岡鉄之助さんのいのちを?」 「間もなくでしょう。明日か、明後日か……いずれにせよ、三、四日のうちには小出家の下屋敷へ出稽古に行くことはたしかだ。それを見張っていた者たちが、すぐに代々木へ知らせに来る。そこで、およそ十名……その中には私もふくまれているわけですが、平山市蔵の指図のもとに雑司ヶ谷へおもむき、日暮れに、浅岡さんが雑司ヶ谷へさしかかるのを待ちうけ、斬ってかかることになっています」 「なるほど。あの辺りは、さびしいところだ……」 「で、弥七さんのほうは、平山が雇った浪人たちの居処《いどころ》を、つきとめましたか?」 「へえ。代々木から出て行く連絡《つなぎ》の浪人の後をつけ、相手をとらえては、いちいち、つきとめておきました。五人のうち、四人までは……」 「そうか、それなら……」 「それなら?」  大治郎と弥七は、凝《じっ》と見合い、しばらくは沈黙していたが、ややあって四谷の弥七が、 「若先生。これで、決りましたね」  と、いった。  大治郎は、うなずいたのみである。      八  翌朝、雨は熄《や》んでいたが……。  昼すぎから、まるで、 「叩《たた》きつけるような……」  雨になった。  その雨の中を、湯島の金子道場を見張っていた雇われ浪人[#「雇われ浪人」に傍点]がやって来て、 「今朝、小出信濃守《こいでしなののかみ》の家来が金子道場へ入って行った。これまでの例を見ても、浅岡鉄之助は、その翌日に雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の下屋敷へ出向いている。だから、おそらく明日は……」  と、告げた。 「よし」  うなずいた平山市蔵が、 「明日、決行するぞ」  うめくがごとくに、いいはなった。  雇われ浪人が、明日の襲撃の打ち合せをすませて帰って行ったあと、平山と三人の浪人は、大刀を引きぬき、入念な手入れにかかった。 「おい、橋場弥七郎」  と、平山市蔵が秋山大治郎へ、 「明日は、たのむぞ」 「引きうけた」  事もなげに、大治郎がこたえる。  その横顔を、平山たち四人が、さも、たのもしげに見入った。  それはそうだろう。はじめて大治郎が、この百姓家へあらわれたときの冴《さ》えきった物凄《ものすご》い手練のほどを身にこたえて味わい、見ていた彼らなのだから……。  雨が、わら[#「わら」に傍点]屋根を叩いている。  時刻は、八ツ(午後二時)ごろになっていたろうか……。  刀の手入れをすませ、浪人どもが、 「前祝いだ!!」  わめいて、酒盛りにかかろうとしたとき、ふっ[#「ふっ」に傍点]と、秋山大治郎が、 「酒は、のまぬがよいな」  と、いった。 「え……?」 「どうして?」  と、浪人ども。 「酒をのむと、切先《きっさき》が乱れる」 「きっさき[#「きっさき」に傍点]とは、刀のか?」 「そうだ」 「ばかな。明日のことではないか」 「いや、ちがう」 「何が、ちがう?」 「今日だ」 「きょう……だと?」 「いまだ」  四人の浪人が、顔を見合せたとき、秋山大治郎が井上|真改《しんかい》二尺四寸五分の大刀をつかんで、これを腰に差しこみつつ立ちあがった。 「おぬしたちは、いずれにせよ、生きてはいられぬ身だ。だが、おぬしたちの餌食《えじき》が増えぬうちに、あの世[#「あの世」に傍点]へ行ってもらうほうがよいとおもった」  大治郎が、そういった。 「な、何……」 「おのれ、何者だ?」 「浅岡鉄之助の親しき友、秋山大治郎」  一瞬、百姓家の中が凍りついたかのような沈黙があって、突然、重くたれこめていた屋内の空気がゆれうごいた。 「たあっ!!」 「うぬ!!」 「やあっ!!」  三人の浪人が同時に、まだ鞘《さや》へおさめていなかった大刀を大治郎へ向けて叩きつけ、突きこんで来た。  大治郎の体が炉端から跳躍し、ほとんど彼らの頭上を飛び越えたかのように、寝床にいて刀の手入れをしていた平山市蔵が片ひざを立てて身構えた、その眼前へ飛び下りざま、物もいわずに井上真改の一刀を抜き打った。  只《ただ》の一太刀《ひとたち》であった。  平山市蔵は、深ぶかと左の頸《けい》動脈を切り割られ、血しぶきをあげて、のめり倒れた。即死である。 「あっ……」  と、向き直った三人の浪人へ、 「まいる!!」  声をかけておいて大治郎が、つけ入った。  まるで、据物《すえもの》を切るように一人を斬《き》って殪《たお》した大治郎を見て、 「うわ……」  二人は、土間へ飛び下り、板戸を蹴倒《けたお》し、戸外へ逃げ出した。  そこに待ち構えていたのは、四谷《よつや》の弥七《やしち》である。  弥七は単なる御用聞きではない。秋山小兵衛|直伝《じきでん》の〔剣術つかい〕なのだ。その弥七が棍棒《こんぼう》をつかんで待機していたのだからたまったものではない。  二人の浪人は、脳天に弥七の一撃を受けて、たちまちに気をうしなってしまった。  雇われ浪人四人は、この夜のうちに、町奉行所によって逮捕された。      ○  浅岡鉄之助と、西山団右衛門の娘・千代乃《ちよの》との婚礼がおこなわれたのは、この年の初秋の或《あ》る日であった。  婚礼の式は、六郷|兵庫頭《ひょうごのかみ》・藩邸内の団右衛門の長屋においておこなわれ、江戸家老・六郷伝助が出席した。  ついで、翌日の午後。  これは秋山小兵衛の肝煎《きもい》りで、披露《ひろう》の宴が浅草・橋場の不二楼《ふじろう》でおこなわれた。  そのころは、すでに、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅の新築成って、秋山小兵衛とおはる[#「おはる」に傍点]は新居に引き移っていたのである。  披露の宴には、六郷家の藩士や、金子孫十郎。それに小出信濃守の家来なども出席し、にぎやかであった。  新郎新婦は、いかにも幸福そうであった。  招かれていた秋山小兵衛・大治郎父子に、西山団右衛門が、よろこびの昂奮《こうふん》を押えかね、 「いや、よき聟《むこ》どのを得て、それがし、これほどのうれしさを、かつて味おうたことがござらぬ。かの、赤穂《あこう》義士のうち、堀部弥兵衛《ほりべやへえ》が中山|安兵衛《やすべえ》をわが娘の聟となしたるときのよろこびが、それがし身にしみてわかり申した」  声をふるわせて、いったのである。  宴が終り、小兵衛は鐘ヶ淵へ、大治郎は道場へ帰ったわけだが、橋場の大川|辺《べ》りに小舟をつけて小兵衛の帰りを待っていたおはるのところまで、大治郎は父を送って行った。 「それにしても、あの、髪の毛のうすい聟どの。おのれのいのちをつけねらう浪人者どもがいたことなど、すこしも知らずに、幸せそうだったなあ」 「はい。よい婚礼でしたな、父上」 「うむ。花聟が達磨《だるま》さんで、花嫁が大仏さまのようだったわい」 「は、はは……」 「うむ……ときに、大治郎」 「は……?」 「お前、何と見た?」 「何をですか?」 「もしも……もしもだ。その、平山市蔵と浅岡鉄之助が真剣で斬り合ったとき、どちらが勝つ、とおもったな?」 「五分五分でしょう。平山が病んでいなければ、平山が勝つと見ました」 「ふうむ。平山という奴《やつ》、さほどの奴だったか……」 「はい」 「うむ、うむ……」  さも満足げに秋山小兵衛が、この一人息子を打ちながめ、 「なればこそ、お前がおもいきって、あのようなまね[#「まね」に傍点]を為《し》てのけたのじゃな」  大治郎は、こたえぬ。 「よし、よし」  何度もうなずき、小兵衛は小舟に乗って、 「ときに、三冬さんから借りた金は返したのか?」 「はい。田沼様からのお手当より、月々、差し引いてもらい、半分ほどは返済いたしました」 「ふうん。そうかえ」  おはるが竿《さお》を岸辺へ突き立て、 「若先生。明日は来て下さいよう。私が鰻《うなぎ》を焼いて食わせますよう」  と、いった。  暗い、ひんやりとした大川(隅田川)の川面《かわも》へ出て行く父とおはるを乗せた舟を、秋山大治郎は、いつまでも見送っていた。  月が冴えている。     深川十万坪      一  それは、まだ、梅雨《つゆ》が明けぬうちのことであった。  だから秋山大治郎が、好人物の剣客・浅岡鉄之助をつけねらう平山市蔵と闘い、 「まったく、当の鉄之助が知らぬうちに……」  平山一味の始末をしてしまった、あの事件[#「あの事件」に傍点]が終って十日ほどのちのことになる。  いうまでもなく、この時点においては、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の秋山|小兵衛《こへえ》隠宅も完成していない。 「おはる[#「おはる」に傍点]。うす日《び》が射《さ》して来たな。これなら、日暮れまでは保《も》つだろう。どうだ、ちょいと深川の八幡《はちまん》さまへでも、お詣《まい》りに行ってみようか」  五日も、雨にふりこめられ、〔不二楼《ふじろう》〕の離れに無聊《ぶりょう》をかこっていた秋山小兵衛が、昼飯をすまし、庭へ出て空を仰ぎつつ、こういった。 「あれ、うれしいよう」  むろん、おはるに異論があるはずはない。  間もなく、小兵衛とおはるは、連れ立って不二楼を出た。小兵衛は、いつものように茶色の単衣《ひとえ》の着ながしに脇差《わきざし》一つを帯したのみで、竹の杖《つえ》をついていた。  橋場の船宿へあずけておいた自家用の小舟に乗り、たちまちに、おはるが〔女船頭〕となる。  梅雨のはれ間[#「はれ間」に傍点]というので、大川(隅田川)を行き交う大舟小舟の数も多い。  この日の外出《そとで》で、小兵衛は、 「かつて見たこともない……」  女を、見ることになるのだが、小舟へ乗りこみ、のんびりと煙草《たばこ》を吸いながら、大川の川面《かわも》へ出て行ったときには、そうした事件が、行手に待ちうけていようとは、むろん、おもってもみなかった。 「おはるよ。新大橋をくぐって……ほれ、万年橋の柾木稲荷《まさきいなり》の舟着き[#「舟着き」に傍点]へ着けるがいいな」 「あいよう」 「いつもながら、うまいものだ。わしと夫婦になってから、船頭ぶりもあがったぞ」 「そうですかあ」 「そうとも。腰の入れぐあいが、見ちがえるようだよ」 「先生のばか[#「ばか」に傍点]」  などと、いやもう他愛《たわい》がない。  大川が、新大橋の先から東へ流れ入る小名木《おなぎ》川は川幅二十間。その川口に万年橋が架《かか》っている。この川は、むかしむかし、徳川家康が江戸入国と同時に通じさせたもので、長さは一里十町。千葉の行徳《ぎょうとく》の塩を舟で江戸へ運ぶため、掘り通させたものだそうな。  万年橋の北詰、大川と小名木川が合する角地に柾木稲荷の社《やしろ》がある。  小さな社だが、大川のながめをほしいままにする場所で、わら屋根の風流な茶店があり、この下が〔舟着き〕になっている。  小兵衛は、この茶店へ、以前からよく立ち寄るし、かねてから〔こころづけ〕をわたし、自分の小舟をあずけておくのに利用しているのだ。 「帰りに寄って、ゆっくりするからな」  と、小兵衛が茶店の老爺《ろうや》にいい、おはるをつれて稲荷社の境内をぬけ、万年橋の北詰へ出た。  そのとき、橋をわたって来た若者が、 「あっ……大先生」  よろこびの声をあげた。 「おお……又六ではないか」  まさに、去年の〔悪い虫〕事件で、秋山父子から十日間の急|稽古《げいこ》をうけ、性根がすわった鰻《うなぎ》売りの又六である。  例のごとく洗いざらしの盲縞《めくらじま》の筒袖《つつそで》の裾《すそ》を端折《はしょ》り、粗末な風体《ふうてい》ながら、いささかも垢《あか》じみていない又六であった。 「大先生と若先生に食ってもらおうとおもって、いま、浅草へ行くところでした」  こういって又六は、水を張った桶《おけ》を出して見せた。 「ほう……いい鰻だな。や、泥鰌《どじょう》もいる」 「あれ、ま。うまそうだよう」  と、おはる。 「又六。せっかくの梅雨のはれ間に、商売の手を休ませて、まことにすまないな」 「いえ、先生。梅雨のうちは魚だの貝だのをとって、売りに出るから心配はねえです」 「そうか。ふむ、ふむ……元気そうじゃな。おふくろも達者か?」 「へい。お蔭《かげ》さんで」 「よいところで会《お》うた。いっしょに八幡さまへお詣りをしてから……そうだ、熊井町の翁蕎麦《おきなそば》へでも行こうじゃないか」 「あれ、うれしいよう」 「おはる。よう食べるのう」  こうして三人が万年橋をわたりかけた、そのとき、事件が起ったのである。      二 「なんだろう、あれは……?」  と、秋山小兵衛が、橋の中程を指した。  人集《ひとだか》りがしている。  その人集りが、ゆれうごいている。  人集りの中に、三人の侍が立ちはだかっていた。  見ると……。  その侍たちの前に、両手をついた五十がらみの大柄な、でっぷりと肥《こ》えた婆《ばあ》さんが、しきりに白髪《しらが》頭を下げ、 「どうか、まあ、ゆるしてやって下さいまし。おねがいでございます、おねがいで……」  あやまっているのであった。  婆さんのうしろに、十か十一ほどの男の子供がちぢこまっている。粗末な風体で、右手に釣竿《つりざお》と魚籠《びく》をしっかりとつかみ、泥だらけの跣《はだし》であった。おそらく深川の漁師の子でもあろうか……。  男の子は真青になった顔を鼻血だらけにし、婆さんの背中へすがりつくような恰好《かっこう》をしているけれども、利《き》かぬ気らしい眼は侍たちをにらみつけているのだ。 「おのれは、こやつの知り合いの者か?」  と、侍のひとりが居丈高《いたけだか》にいう。 「いいえ、通りがかりの者でございます」 「ならば、退《ど》けい!!」 「いいえ、それは……」 「何が、それは[#「それは」に傍点]だ!!」  侍たちは浪人ではない。ひと目で主人持ちと知れる。  一人は三十前後。二人は、それよりも少し若く見えた。  三人とも満面に血をのぼせ、年嵩《としかさ》の一人が婆さんを詰《なじ》っている間に、二人が人集りを睨《ね》めまわし、 「見世物ではない!!」 「行け。行けい!!」  怒鳴りつけている。  人集りが散った。散って、遠巻きに見物しようとするのだが、せまい橋の上のことだから、かえって騒ぎが大きくなるばかりだ。 「早くしろ、早く」  と、年嵩の侍がわめいた。 「婆《ばば》あ。退けというたら退け!!」  侍のひとりが、いきなり婆さんの頭を蹴《け》った……と、見えた、その瞬間に、ひょい[#「ひょい」に傍点]と白髪頭をあげた婆さんが、蹴りつけてきた侍の右足をつかみざま、肥《ふと》った体ですっくと立った。 「あっ……」 「うわ……」  人集りが、いっせいにどよめいた。  足をつかまれたまま婆さんに立ちあがられた侍は、必然、仰向けに橋板へ倒れた。 「ほう……」  見ていた秋山小兵衛が驚嘆の声を発したとたん、さらに、もっと驚くべきことが起ったのである。  婆さんが両手につかんだ侍の足を、そのまま、ぐいと引きつけ、今度は侍の袴《はかま》の紐《ひも》のあたりへ手をかけたかと見る間に、侍の体がふわり[#「ふわり」に傍点]と宙に浮き、橋の上から小名木川へ落ち込んで行ったのだ。  老婆《ろうば》も、土地《ところ》の町家の者らしい。木綿|筒袖《つつそで》の、まるで男のような仕事着に紺の前かけをしめ、素足に藁草履《わらぞうり》。白髪頭はむぞうさに引きつめ、ふくよかな老顔は日に灼《や》けている。  それにしても、この婆さん。恐るべき大力女《だいりきおんな》といわねばなるまい。 「お、おのれ……」 「こやつが……」  残る二人の侍が驚愕《きょうがく》し、同時に、こうなってはぬきさしもならぬ激怒を押えきれなくなり、腰をひねって大刀を引き抜いた。  婆さんは、別に武芸のたしなみがあるわけではないらしい。  顔から、さっ[#「さっ」に傍点]と血の気が引いた。  だが屈せず、必死の面持で、 「悪いのは、お前さん方だ。あたしは、みんな、見ていたぞ」  叫んだものである。  その婆さんの声が尚更《なおさら》に、侍ふたりを煽《あお》り立てたようだ。 「斬《き》れ!!」  人集りの非難の声にもかまわず、侍たちが婆さんに斬りつけようとするのへ、 「わあっ!!」  おめき声をあげた婆さんが、なんと我から体をぶつけて行ったではないか。  婆さんの体当りをくらった侍のひとりが大刀を放り出し、はね飛ばされて胸を押え、 「むうん……」  うめいたかとおもうと、ぐったり倒れ伏した。  見物が歓声をあげた。  残るひとりが、もう、めったやたらに刀を振りまわしているのへ、婆さんが飛びつき、侍の胴体を抱え、これもまた川へ投げこんでしまった。 「ほう……ほほう……」  小兵衛は、讃嘆《さんたん》の声を発し、何度も手を打ち鳴らした。 「大先生よ……」  と、鰻《うなぎ》売りの又六が、 「あの婆さんは、三好《みよし》町の大島屋という枡酒《ますざけ》屋の金時《きんとき》婆さんですよ」  ささやいてよこした。  枡酒屋とは、小売りの酒屋のことである。 「なに、金時婆……おもしろいな」 「土地では、よく知られているですよ」 「ほう、そうか……」  婆さんが、男の子に何かささやき、男の子は、 「お婆さん、ありがとう」  はっきりと礼をのべ、人集りを掻《か》きわけて何処《どこ》かへ走り去った。  金時婆さんも、その後から姿を消した。 「すまぬがな、又六」 「へい?」 「あの婆さんが、ちゃんと家へ帰るまで、見とどけて来ておくれ。わしらは、熊井町の翁蕎麦《おきなそば》で待っている」 「合点です」  又六が、鰻の入った桶《おけ》をおはる[#「おはる」に傍点]へ渡して駆け去った後で、小兵衛は万年橋をわたり、散りかける人びとの中へ入って行き、その中の一人をつかまえ、 「いったい、いまのさわぎは何だね?」  と、尋《き》いた。  侍二人は、川岸へようやくにすがりつき、橋上の一人は胸を押えつつ、ほうほうの態《てい》で、橋を北へわたり、姿を隠してしまった。 「なさけない奴《やつ》どもよ」  それを見て、小兵衛は舌打ちをもらした。  秋山小兵衛が、あの騒ぎを目撃していた人びとから聞いたところによれば……。  酒気をおびていた三人の侍どもは、大川に面した清住町の河岸道《かしみち》で、通りかかった町家の娘にふざけかかり、その臀部《でんぶ》へさわったり、前へまわって胸もとへ手を差し入れたりして、昼日中から、まことに怪《け》しからぬまね[#「まね」に傍点]をはじめた。  男の子は、そこへ通りかかったのである。  十か十一の子が、まことによい度胸で、見ず知らずの娘を助けようとし、手に持った釣竿で侍たちの顔を打ちはらった。  釣竿の先というものは意外なはたらきをするもので、一人は眼を突かれ、一人は鼻のあたりを叩《たた》かれた。  侍どもが娘を捨てて、男の子へ飛びかかり、男の子は牧野|豊前守《ぶぜんのかみ》・下屋敷(別邸)前まで逃げ、万年橋へかかったところで侍どもにつかまってしまった。  その隙《すき》に、いたずらをされた町娘は、動転し、逃げてしまったようだ。  男の子は鼻血が出るまでに撲《なぐ》りつけられ、尚《なお》も蹴倒されかかったところへ、かの〔金時婆さん〕なるものがあらわれ、男の子をかばった、ということになる。  その〔金時〕とは、むかしむかし、大江山の酒顛童子《しゅてんどうじ》を退治したという源氏の武将・源頼光《みなもとのよりみつ》の四天王の一人、大力の武者・坂田金時のことをさしたものであろう。  深川|八幡《はちまん》へ参詣《さんけい》をすませ、熊井町の〔翁蕎麦〕の二階座敷へ、おはるをつれて入った小兵衛が、先《ま》ず、酒をのみながら、 「それにしてもおどろいたな、おはる。わしも、あんな婆あを、はじめて見たよ。大力も大力だが、あの年をして、大変な度胸だ。武芸の心得もない婆さんが、侍ふたりへ体当りを食わせたところなぞは、いやまったく、見あげたものだ。ふうむ、おどろいた。えらいものだ」  しきりに感心をするものだから、おはるがくやしがり、小兵衛の腕をつねった。 「な、何をする」 「あたしにも、剣術を教えてくれれば、いいのですよう」 「な、なんだと……ははあ。お前、嫉《や》いているのかえ?」 「先生のばか」 「冗談じゃあない」  そこへ又六があらわれ、金時婆さんが無事に、我が家へ帰ったことを報告した。 「そうか、御苦労。さ、又六。こっちへおいで。いっしょに蕎麦を食べようではないか」  いいさして小兵衛が、ふっと真顔《まがお》になり、 「このままで何事もなく、すむとよいが……そうだ、しまった。婆さんを見とどけるよりも、こそこそと姿を隠した侍どもの後をつけて、奴どもの居所《いどころ》をつきとめておいたほうが、よかったかも知れぬ」  と、つぶやいた。      三  深川の今川町に、 〔仙台堀《せんだいぼり》の政吉〕  という御用聞きがいる。  まだ四十そこそこの男だが、亡父・清五郎の代から、お上の御用[#「お上の御用」に傍点]をつとめてい、深川では評判のよい〔親分〕だそうな。  その政吉が、三好《みよし》町の枡酒《ますざけ》屋〔大島屋〕へあらわれたのは、翌日の午後であった。 「あれ、仙台堀の親分じゃあございませんか」  店先にいて、あいさつをしたのが、かの金時|婆《ばあ》さんであった。  政吉は、婆さんを見上げるようにして、 「昨日は万年橋で、大変だったとなあ」  と、いった。  婆さんが眼を伏せ、大きな体をちぢめるようにした。  何か、昨日のことで、 (咎《とが》めでも受けるのじゃあないか……?)  そう、おもったらしい。 「おいおい、おれはお前に咎め立てをしているのではねえ。昨日のうわさを小耳にはさんだとき、ひょいと、おもいついたことがあってな」 「何の事《こっ》てございましょう?」  婆さんは、鳩《はと》の目のように、小さくてまるい両眼を不安そうに瞬《またた》かせた。 「お前なら、きっと親切に、面倒を見てくれるとおもってなあ」 「へ……どなたの面倒を見るんでございます?」 「おれが、むかし世話になったお人でな。老人《としより》の独り者だ。なんでも越後《えちご》・長岡の浪人だときいているが、そりゃもう品のいい、おとなしい人でね。そのお人の家が、つい二、三日前に火事で焼けてしまったのさ」 「あれまあ、気の毒に……」 「まあ、小金《こがね》は持っていなさる人だから、その焼跡へ、また隠居所を建てることになったのだが、その間だけでいい、礼は充分にするそうだから、ひとつ面倒を……」  政吉が、いい終らぬうちに、 「ようございますともね。おやすい御用で」  婆さんは、こころよく引き受けてくれた。  婆さんの、こうした気性の発揮は、いまにかぎったことではない。  困っている他人の面倒なら、できるかぎり引きうけてやろうという気組みがあって、その異常な剛力ぶりと共に、深川では評判の親切者だと知られている。  婆さんの名は、おせき[#「おせき」に傍点]。当年五十四歳。  今年二十三歳になる伊太郎という一人息子と共に、枡酒屋をいとなんでいるわけだが、近所の人びとには、おせき婆さん、伝法な口調で、 「いまのおれ[#「おれ」に傍点]は、せがれと二人で、こんな小せえ店でも世帯《しょたい》を張って行ける。それもこれも、ずいぶん、たくさんの人から世話になったおかげ[#「おかげ」に傍点]というものだ。だからおれは、そのお返しをするつもりでいるのさ」  と、いったことがある。  現に、鰻《うなぎ》の辻《つじ》売り・又六が、秋山小兵衛にこう語っている。 「はじめて辻売りをやったころ、ちっとも鰻が売れねえのですよ、大先生。そのころ、おれは、三十三間堂の裏河岸《うらがし》に出ていたんですが、あの金時婆さん、毎日のようにやって来ては、鰻を買って行ってくれました」  当時の鰻は、まだ下等の食べ物とされていた。鰻料理が大流行となり、価《あたい》も高く、それこそ「うなぎのぼり」になるまでには、あと二、三十年を待たねばならぬ。  また、こんなこともあったという。  荷を積んだ荷車が、扇町の北側の堀川へ落ちこんだ。  ちょうど通りかかったおせき婆さんが、荷車ごと、川の中へ落ちこもうとする車引きの腕を荷車の舵柄《かじづか》ごとつかみ、 「よいしょ!!」  と、かけ声を発し、ほとんど川の中へ沈みかけた荷車を、軽がると岸の道へ引きもどしてしまった。  また、伊勢崎《いせざき》町の米屋の店の前で、暴れ馬に突き当られた荷車から、米俵《こめだわら》が七つ八つ、道へ転げ落ちたとき、 「あれまあ、あれまあ……」  通りかかった婆さんが、右に左にひょいひょい[#「ひょいひょい」に傍点]と、片手で米俵をつかみ、ぽんぽんと荷車の上へ放り投げ、何事もなかったような平気な顔で、すたすたと去ったのを見送って、車引きの若者が、気をうしなってしまったそうだ。  その若者は、 「化けものが通ったとおもった……」  そうである。  さて……。  仙台堀の政吉が、件《くだん》の老人を案内し、ふたたび大島屋へあらわれたのは、その日の夕暮れであった。 「このお方が、秋川小左衛門さまだよ。婆さん、それでは、万事たのんだぜ」  と、いい置き、政吉は、すぐに帰って行った。 「いや、どうも、とんだ迷惑をかけてしまって……」  秋川小左衛門なる老人が、おせき婆さんにあいさつをした。腰を屈《かが》め、まことに丁重なあいさつぶりであった。  これぞ、秋山小兵衛である。  小兵衛は、四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》の引き合せによって、仙台堀の政吉へたのみ、変名をつかい、うまく金時婆さんの家へ寄宿《きしゅく》することになったのだ。  秋川小左衛門……いや小兵衛は、風呂敷《ふろしき》包みを一つ持ったきりの姿であったが、すぐに金二両を婆さんに差し出し、 「これを、とりあえず……」  そういうと、婆さんは、こころよく、 「さようでございますか。それでは、たしかに、おあずかりしておきますでございます」  と、受けてくれた。  すぐさま、 (こいつ、ほんもの[#「ほんもの」に傍点]だ)  小兵衛は、そう直感した。  当時の金二両は、現代の二十万円にも相当しよう。  それを、 「まあ、そんなことは、あとでも……」  などと、妙に遠慮をしたり、 「そんなつもりでは……」  と、親切ごかしを見せつけたりせず、婆さんが、さっぱりと受け取ってくれた。これが先《ま》ず、小兵衛には、 (気に入った)  のである。  おせき婆さんも、ひと目[#「ひと目」に傍点]で、小兵衛が気に入ったらしい。 「せがれがいま、病気で寝ついておりますんで、この婆《ばば》あが店のことも煮炊《にた》きも掃除も、一人でやっております。それで、行きとどきませんこともございましょうが……」 「なあに、そんなことは、かまいませぬよ」  中二階に六畳の部屋が一つあって、そこが、小兵衛の塒《ねぐら》となった。  そして……。  異変は、早くも、この夜のうちに起った。      四  大島屋は、間口二|間《けん》半の小さな店であった。  土間の片側に、薦《こも》かぶりの酒樽《さかだる》を三つほどならべ、その下の受け桶《おけ》へ漏斗《じょうご》と一合|枡《ます》を置き、日中は店先へ菅笠《すげがさ》や草鞋《わらじ》も出し、おせき[#「おせき」に傍点]が病弱の一人息子を助け、一所懸命にはたらきぬいているのだ。  土間の奥に六畳と三畳の二間。  店の土間からつづく通路が、台所と裏口へ突きぬけている。  日が暮れると、おせきは裏手へ大盥《おおだらい》を出し、小兵衛に行水《ぎょうずい》をつかわせてくれた。ゆきとどいたことではある。  さっぱりとして小兵衛が、中二階の部屋へあがると、すぐさま、おせきは夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》を運んで来てくれた。  お手の物[#「お手の物」に傍点]の冷酒を大きな茶わんへなみなみと汲《く》み、 「こんなもので、お口に合いますか、どうか……」  と、おせきがいいながら、膳の上のまっ白[#「まっ白」に傍点]な布巾《ふきん》を取りはらうと、胡瓜《きゅうり》もみに、串刺《くしざ》しの手長蝦《てながえび》を味醂醤油《みりんじょうゆ》の付焼《つけやき》にしたものなどがならべられていた。 「や……これは、ごちそうだね」  冷酒をすすり、手長蝦の付焼を口へ入れてみて、 「む、こりゃあ……」  おもわず小兵衛が感嘆の声を発したのは、粉山椒《こなざんしょ》がふりかけてあったからだ。まことに気が利《き》いている。 「こりゃあ、うまい」 「おや……さようで」 「こんなものを毎日食べさせてくれるなら、死ぬまで、この家に住みついてしまいたい」 「まあ、御冗談をおっしゃいます」 「いやいや、冗談ではない」  おせきの給仕をうけながら、小兵衛が、 「店番は、いいのかね?」 「せがれが、出ておりますから……」 「病気ではなかったのかね?」 「いえ、大丈夫でございますよ」  先刻、小兵衛のところへあいさつに来た婆《ばあ》さんの一人息子・伊太郎は、なるほど、蒲柳《ほりゅう》の質《たち》と見うけたが、おとなしく、まじめそうな若者であった。 「こんなことをきいては、わるいかな?」 「何の事《こっ》てございましょう?」 「お前さんは、大層な力もちだそうだねえ」 「ま……おはずかしいことで……」 「なんの、なんの。わしがききたいのは、生れつき、そのような力もちだったのか、ということなのだ」 「へえ、まあ……」 「ほほう、そうか……」 「私は、下総《しもうさ》・小金村の百姓の末娘に生れたのでございますが……へえ、もう、貧乏暮しの上に、子だくさんなものでございましたから、十の夏に、売られましてねえ」 「売られた……?」 「はい。見世物師へ売られました」 「ふうむ……」 「生れつきの大女で、飯は人の二倍も三倍も食べますし、そりゃもう、とても、親たちには養いきれなかったので……」  だが、子供のころのおせきは、大人が顔負けをするほどに、野良《のら》仕事に立ちはたらいたそうな。  それからの苦労ばなしを、おせきは語らなかった。  若いころのおせきは、上方の銭割弥太夫《ぜにわりやだゆう》一座の見世物で、力もちの芸を見せた。  たとえば、大八車に五斗五俵の米俵を乗せたものを両手に高々と差し上げたり、仰向けに寝た腹の上へ玄米入りの大臼《おおうす》を乗せ、三味線や太鼓の伴奏で、男二人に米|搗《つ》きをやらせる。  または、碁盤を扇子《せんす》がわりに片手でつかみ、百目蝋燭《ひゃくめろうそく》の火を煽《あお》いで消したりというようなことだ。  大坂でも名古屋でも、江戸でも、おせきは大評判をとり、三十をこえるまで、見世物に出ていたという。  そうしたことは、別に悪びれもせず、秋山小兵衛にはなしたおせき婆さんも、伊太郎の父親のことや、十年前に、この場所で枡酒屋を開くに至った事情などは、語らなかった。 「一度、故郷《くに》へ帰ってみたいと、このごろはよく、おもうんでございますが……やっぱり、小さいときに親たちから見世物へ売り飛ばされたということが、いまも胸につかえていましてねえ」  と、おせきは苦笑しながら、いったん階下へ去り、油揚げと葱《ねぎ》の汁に茄子《なす》の漬物、飯を運んで来てくれたのである。  夜がふけた。 (はなしにきかぬでもなかったが……生れつきの怪力……力もちというものがあるのだろうか?……人間が生れついて、その体にそなわったものの恐ろしさ、見事さ……まことに、ふしぎなものだな、われら人間という生きものは……)  そんなことをおもっているうち、妙に寝つけなくなってしまった。  外では、しとしとと雨がふり出して来たらしい。 (おや……?)  うとうととしかけた小兵衛の感応が、はっ[#「はっ」に傍点]と目ざめた。  外に、もの[#「もの」に傍点]の気配が感じられた。 (一人や二人ではない)  のである。  起きあがった小兵衛は、道に面した小窓の障子を、細目に開け、外をのぞいて見た。  道の向うは、堀川をへだてて島崎町の材木置場だ。  その材木置場の番小屋に、四谷《よつや》の弥七《やしち》の子分で〔傘徳〕こと傘屋の徳次郎が、大島屋を見張っているはずであった。 「まあ、今夜ということもあるまいが、念のために、たのむ」  そういって小兵衛が、徳次郎にたのんだ見張りなのである。  それが、図に当ったらしい。  黒い影が四つ。大島屋の表戸口にあつまり、何やら、ささやき合っているのが見えた。  小兵衛は、すぐさま階下へ下り、六畳にねむっていたおせき母子《おやこ》を起し、 「おどろくなよ。大丈夫だ。そっ[#「そっ」に傍点]と二階へあがっていなさい」 「いったい、どうしたので?」 「後ではなす。早く。さ、早く。妙な奴《やつ》らが押し込んで来るらしい」 「ええっ……」 「後は、わしにまかせておきなさい」  おせきと伊太郎を中二階へあげたとき、表戸を、ひそかに叩《たた》く音がして、 「ごめん下さい。ちょいと、戸を開けて下さいまし。連れの者が、夜道で大怪我《おおけが》をしてしまいました。おねがいでございます。お助け下さい。開けて下さいまし」  切迫した男の声がする。  小兵衛は鼻で笑い、土間へ出て行き、 「いま、開けますよ」  いうや、板戸を引き開けた。  その瞬間であった。  何と、白刃《はくじん》を引き抜いた覆面の侍が物もいわずに躍り込んで来たではないか。  だが、むだ[#「むだ」に傍点]である。  身を沈めざま、そやつのひ腹[#「ひ腹」に傍点]へ当身《あてみ》をくらわした秋山小兵衛が、ぱっと外の道へ飛び出し、 「おのれら、泥棒か!!」  と、大喝《だいかつ》した。  外にいた三人が、ぎょっと立ちすくんだ。三人とも覆面をしているが、そのうちの一人は侍でない。裾《すそ》を端折《はしょ》った細い素足が、さっとうしろへ逃げた。  あとの二人は侍である。二人とも大刀を抜きはらっていた。 「斬《き》れ!!」  一人が、わめきざま、小兵衛へ斬りつけて来た。 「ばかもの!!」  ぱっと、つけ入った小兵衛が、そやつの利腕《ききうで》から大刀を奪い取り、別の一人へ投げつけた。 「あっ……」  そやつが飛び退《しさ》ったときには、小兵衛に腕をつかまれた侍が水けむりをあげ、堀川へ投げ込まれていた。 「泥棒だ。泥棒だあ!!」  小兵衛が連呼した。  どうにもならぬ。  切羽つまった三人が、それぞれ勝手な方向へ、仲間を捨てて一散に逃げた。  捨てられたやつ……すなわち、小兵衛の当身をくらって店の土間に倒れていた侍が、 「む……うう……」  それでも必死に起きあがり、よろよろと外へあらわれた。  となり近所の人びとが小兵衛の声に目ざめ、起き出す気配が、はっきりとつたわって来た。  よろめきつつ逃走しようとする侍の前へ、小兵衛が立ちはだかり、もう一度、当身をくわせた。  侍は、くずれるように倒れ、気をうしなった。  傘屋の徳次郎は、逃げた三人の後を追っているだろう。      五  翌朝になって……。 「昨夜、金時|婆《ばあ》さんの家へ泥棒が入ったとさ」 「でも、おじいさんの御浪人が、一人で追っぱらってしまったとよう」 「へへえ、大したものじゃあねえか」 「でも、まだ、婆さんの家の戸が開かねえね」 「ほんとうだ。いったい、どうしたのだろう?」 「行って見ようか……」 「ま、関《かか》り合いになってもはじまらねえ。仙台堀の親分も見えなすったというから、婆さんや伊太郎さんの身に間ちげえはねえよ」 「そうか、それならいいけれど……」  などと、近所の人びとが、うわさをし合った。  昼ごろまで、大島屋の表戸は閉ざされたままだったが、 「おや。戸が開いたよ、おい……」 「婆さん、いるかえ?」 「いいや、お年寄りの浪人さんが、店番をしていなさるようだぜ」  と、ささやき合いながら、となり近所の人びとが、店先へあらわれた。  なるほど、店先の帳場|格子《ごうし》の中に、秋山小兵衛がひとり、のんびりと煙草《たばこ》をふかしているではないか。  人びとが口ぐちに、おせき[#「おせき」に傍点]母子のことをたずねると、小兵衛が、にこにこしながら、こういった。 「いやどうも、お見舞い、ありがとうさん。実は、昨夜の騒ぎで、せがれの伊太郎さんがびっくりしてしまい、急に体のぐあいが悪くなったので、ちょいと余所《よそ》へ行っています。だが大丈夫。すぐに帰って来ます。酒の御用なら、わしがうけたまわる。いつものように買いに来て下さいよ」  近所の連中が、あとで、 「あんなに小さい爺《じい》さんが、泥棒をやっつけたというのは、ほんとうかね?」 「だって、仙台堀の親分が、そういっていなすったそうだぜ」 「それにしても、気さくな浪人さんじゃあねえか」 「あのお人が、どうして金時婆さんのところなんぞに……?」 「婆さんのむかしの情夫《いろ》だとよ」  などと、人のうわさは、とんでもないところへひろがって行くものだ。 「や、見ねえ。凄《すご》いのが来たぜ」 「芝居に出て来る色若衆《いろわかしゅ》そのままだ」 「ああいうのが、ほんとうにいるのだねえ」 「や。大島屋へ……婆さんのところへ、あの色若衆が、入って行ったぜ」 「あれ、爺さんの浪人さんと、はなし合っているよ」  その色若衆なるもの……佐々木三冬であった。  三冬は今朝、秋山大治郎の道場へ立ち寄り、小兵衛が此処《ここ》に移ったことを知った。 「いったい、何事が起ったのでございますか、先生……?」 「ま、こっちへお入りなさい。そこに立っておられたのでは商売の邪魔じゃ」 「まあ……」 「さようさ。三冬どのにも聞かせてあげようかのう。何事も修行じゃ。世の中には、こんなこともある、と、いうことをな」 「はい。拝聴いたします」  四谷《よつや》の弥七《やしち》が、仙台堀の政吉と共に駆けつけて来たのは、このときである。 「どうも、とんだことになりました」  そういった政吉の顔色が、青ざめている。  昨夜、小兵衛が当身をくわせて生け捕った覆面の侍は、政吉が今川町の〔自身番《じしんばん》〕へ引っ張って行き、今朝になってから、茅場町《かやばちょう》の〔大番屋《おおばんや》〕へ連行した。  この侍は、まぎれもなく、万年橋の上で、おせき婆さんに小名木《おなぎ》川へ投げこまれた男である。  政吉が、はじめ自身番で取り調べたとき、侍は、あくまでも、 「盗みに入った……」  と、いい張り、その他のことは頑《がん》として口を割らぬ。むろん、浪人ではない。大身《たいしん》旗本か大名の家来と見てよい。  そうした侍が、選《よ》りに選って、小さな枡酒《ますざけ》屋へ盗みに入るわけがない。これは自分たちの醜態が世間へひろまるのを恐れ、ひそかに金時婆さんを殺害しようとしたに、きまっている。 「たわけたまね[#「まね」に傍点]を……」  と、小兵衛は舌打ちをした。  たとえ、婆さんを暗殺したにせよ、あの事件は、あれだけの見物人が目撃しているのだ。その人びとの口を封じ切れるものではない。むろん、口封じのためと同時に、かの侍たちは、衆人環視の中でさらした自分たちの恥を反省するどころか、おせきに対して強い怨《うら》みを抱き、理不尽な復讐《ふくしゅう》をするつもりだったにちがいない。  小兵衛は、政吉へ、 「とにかく、泥棒だというのなら、そのつもりで、どこまでも問いつめてみるがいい」  と、いっておいたのである。  今朝になって、政吉は、侍の身柄を茅場町の大番屋へ移した。大番屋は暫定的な牢屋《ろうや》であって、町奉行から犯人の〔入牢《にゅうろう》証文〕が出ると、これを伝馬《てんま》町の牢獄《ろうごく》へ送りこむのである。  政吉は、いつも目をかけてもらっている八丁堀の同心・津田文五郎へ、 「お取り調べをねがいます」  と、いったところ、津田は、 「よし。牢屋へ入れておけ。他の用事をすませて、昼すぎに大番屋へ行く」  承知してくれた。  ところが、津田文五郎が大番屋へあらわれる前に、かの侍は牢屋の中で舌を噛《か》み切ったというのである。  舌を噛み切って自殺をはかるといっても、それは出血多量のために死ぬわけであって、手当が早ければ一命をとりとめることができる。  侍が舌を噛んで、苦しみ出したのを知り、牢番がすぐに医者を呼び、手当をした。だが、よほどに深く噛み切ったものと見え、出血が、かなりひどいそうな。 「よし、わかった」  秋山小兵衛は、四谷の弥七と仙台堀の政吉へ、 「お前さん方には、すべてをはなしておいたが、そいつは、いまのところ胸の内へしまっておいて、どこまでも、この枡酒屋へ、白刃《しらは》を抜いて押し込んで来た曲者《くせもの》ということで、調べるなり、始末をつけるなりしておいてくれればよい」 「わかりましてございます」  と、政吉が、 「それにしても先生。金時婆さんは、いま、どこに?」 「なあに、心配するな。わしが、ちゃんと安全な場所へ移しておいたよ」      六  仙台堀の政吉は、四谷《よつや》の弥七《やしち》を残し、一足先に帰って行った。 「まあ、弥七。ゆっくりはなせ。傘徳は首尾よく、逃げた曲者《くせもの》どもの行先を突きとめて来たかえ?」 「はい。先生のおっしゃるとおりでございましたよ」 「旗本屋敷か。それとも大名屋敷へでも逃げこんだか?」 「そのとおりで」  側《そば》できいていた佐々木三冬が、 「秋山先生。これは、いったい、どのようなことで……?」 「ま、わしと弥七のはなしていることを、三冬どのは、知らぬ顔で聞いておればよい」  傘屋の徳次郎が尾行したのは、昨夜、小兵衛に堀川へ投げこまれ、這《ほ》う這《ほ》うの態《てい》で向う岸へ泳ぎ着き、濡《ぬ》れ鼠《ねずみ》の姿で逃走した覆面の侍であった。  傘徳は、昨夜遅く、四谷の弥七のところへ来て、つぎのように報告をしたそうだ。 「その侍は、浅草・鳥越の、松平さまの御下屋敷へ入って行きましたよ。尚《なお》も、見張っておりますと、あとから、もう一人の侍に……こいつはどうも、松平さまの渡り中間《ちゅうげん》ではねえかとおもうのでござんすが、尻《しり》っ端折《ばしょ》りの男が逃げて来て、後から入って行きました。へえ、裏の潜《くぐ》り門から入って行ったので……」 「鳥越に下屋敷がある松平さまというと、勢州《せいしゅう》・桑名《くわな》十万石、松平|下総守《しもうさのかみ》さまだな」 「そのとおりで……」  桑名の松平家といえば、譜代も譜代。藩祖の松平|忠雅《ただまさ》の実母は、初代徳川将軍・家康の女亀姫《むすめかめひめ》である。いわば、徳川将軍の親類すじに当るといってもよい。  その本邸(上屋敷)は、江戸城・西ノ丸下、和田倉門内にある。現代の皇居の二重橋前・広場の一角だ。  ここはもう江戸城の曲輪《くるわ》内で、それだけの格式がなければ屋敷を賜わるわけにはまいらぬ。市中とちがい、江戸城の外濠《そとぼり》・内濠の城門の奥ふかくにある上屋敷ゆえ、夜ふけに濡れ鼠となった家来が、逃げこむわけにはとてもゆかぬ。 「なるほど。それで奴《やつ》ら、鳥越の下屋敷へ逃げこんだというわけかえ」  にやりと笑った秋山小兵衛が、 「ふうむ……こいつは、おもしろくなってきたぞ」  と、つぶやいた。  その低い声には、 「なんともいえねえ凄味《すごみ》があってな。おれも正直、背すじが寒くなったよ」  と、四谷の弥七が後で、女房にもらしたほどだ。 「徳川将軍の縁につながるほどの大名の家来どもが、白昼、酔って市中を横行し、通行中の娘をとらえ、ふざけかかり、それを、枡酒屋《ますざけや》の老婆《ろうば》や漁師の子供にたしなめられたあげく、その婆《ばあ》さんから手痛い目に合い、川へ投げこまれた者もある。こりゃ、どうしたことじゃ。万民の手本ともなるべき武家が、主人の体面も、おのれの身分をもわきまえず、このような狂人じみたまねをし、あきれ果てるほどの醜態を人びとの前にさらけ出すとは……」  小兵衛が何度も舌打ちをもらし、ついで、なんともいえぬ真面目《まじめ》顔で、 「こいつはどうも、徳川の世も末となったようだのう」  つぶやいたものである。  それから半刻《はんとき》ほどもして、仙台堀の政吉の配下で、下《した》っ引《ぴき》の由松《よしまつ》というのが駆けつけて来た。 「あ……四谷の親分もおいでなさいましたか、ちょうどよかった……」 「どうしたのだ、血相変えて……?」 「大番屋で、昨夜の侍の泥棒が、とうとう息を引き取ってしめえましたんで……」 「な、なんだと……」  あわてる弥七へ、小兵衛が、 「それなら、それでよい。こっちにも仕様《しよう》がある」  と、いった。めずらしく小兵衛が意気込んでいる。  町奉行所の与力や同心も駆けつけて来て、いま、大さわぎになっているから、 「どうしたらいいのか、秋山先生にうかがって来い」  と、政吉が由松にいいつけたらしい。 「これはどうも、田沼様に、おちからぞえをねがわねばなるまいな、三冬どの」 「なんなりと、お申しつけ下さい」 「よけいな事は申して下さるなよ。ただ、茅場《かやば》町の大番屋で死んだ怪しき侍の死体を、わしが、もらい受けられるようにしていただきたいことと……それから、な……」  と、小兵衛が佐々木三冬の耳へ口をさし寄せ、 「和田倉御門内へ入るための手つづきをとっていただきたい。この二つじゃ」 「秋山先生のおことばとして、父につたえましても、よろしゅうございますか?」 「むろん、それはかまわぬ。なれど、くれぐれも、よけいなことを申さぬように……」 「心得ました。では、私……」  すぐさま、三冬が立ちあがると、 「弥七もついて行け」  と、小兵衛が命じ、由松には、こういった。 「大番屋へ急ぎ帰り、仙台堀の親分に、こうつたえろ。間もなく、御老中・田沼|主殿頭《とのものかみ》様の御指図があるゆえ、死体をそのままにして、しずかに待っておれ、とな」 「へ、へえ……」  下っ引の由松は、腑《ふ》に落ちかねる表情を浮べた。この枡酒屋の店番をしている老いた浪人と、天下の政治を取りおこなう時の老中・田沼|意次《おきつぐ》とが、どうしても頭の中で、むすびつかなかったからであろう。 「何を、ぼんやりしておるのじゃ。早く大番屋へ突っ走れ!!」  秋山小兵衛に大喝され、由松は飛び上るようにして駆け去った。      七  この日は、朝のうちから薄日がもれ、さわやかな風もあり、三日つづきの梅雨のはれ間[#「はれ間」に傍点]に市中の人出も多かったようだが、夕暮れ近くなると、またしても雨雲がひろがって来た。  秋山小兵衛が、中間姿《ちゅうげんすがた》になった四谷《よつや》の弥七《やしち》と傘《かさ》屋の徳次郎に小さな荷車を曳《ひ》かせ、これにつきそって、江戸城・西ノ丸下の和田倉御門へさしかかったのは、七ツ半(午後五時)ごろであったろう。  小兵衛は、めずらしく袴《はかま》をつけ、大小を帯していた。  ま[#「ま」に傍点]新しい荷車には、舌を噛み切ったのが原因《もと》で死亡した侍の死体を入れた座棺《ざかん》が乗せられ、筵《むしろ》をかぶせた上から白布をもっておおい、これを縄で縛りつけてあった。  和田倉御門は、元和《げんな》七年(一六二一年)に建てられた監門であって、警衛は鉄砲十|挺《ちょう》、弓五張、長柄《ながえ》十筋、持筒二挺、番士は五人で、この門の警備は二、三万石以下の譜代大名が交替で受け持つことになっている。  和田倉御門へさしかかった秋山小兵衛が、懐中から何か出して、警衛の番士に見せた。  番士の顔が緊張した。  小兵衛が出したものは、老中・田沼意次から借り受けた一種の門鑑のようなものだが、単なる門鑑ではない。  小さな、うすい桜材の板へ、徳川将軍と幕府の表徴《ひょうちょう》ともいうべき葵《あおい》の紋どころを銀で彫りあげたものが填《は》めこまれてある。むろん、めったなことでは、この鑑札の使用はゆるされない。  この特別な札のことを、一部の幕府高官たちは、 「御意簡牘《ぎょいかんとく》」  と、よんでいるそうな。  この札を所持するものは、江戸城・大手門の出入りさえも名乗らずしてゆるされるのである。 〔御意簡牘〕を管理するものは、老中の中でも二人か三人ほどだともいわれている。よほどに、幕府にとって非常の役目をもつ者にかぎり、所持をゆるされた、と、見てよい。 「お通り下され」  すぐさま、番士たちは敬礼をもって、小兵衛一行を通してくれた。この西ノ丸下まで荷車などを入れることも、めったにないことではある。  間もなく小兵衛は、勢州・桑名の城主・松平|下総守《しもうさのかみ》の上屋敷の、いかめしい表門の前に立った。  門扉は、閉ざされている。 「ごめん」  と、小兵衛は門番|溜《だまり》の窓下へ立ち、 「それがしは、秋山小兵衛と申す者じゃが、御当家、御家中《ごかちゅう》の士《もの》と見受けられる死体を、おとどけにまいった」  こういって、四谷の弥七に、 「死体を下ろせ」  と、命じた。  このとき小兵衛は、わざと〔御意簡牘〕を門番に見せなかったが、しかし門番は藩士の死体と聞いて、おどろき、 「し、しばらく、お待ちを……」  すぐさま、奥へ通じた。  しかし、門の扉は開けぬ。  小兵衛は、座棺を下ろした弥七と傘徳へ、 「和田倉御門の傍まで、先へ行って待っていてくれ」 「大丈夫でございますか……」 「弥七。わしはまだ、老いぼれてはいないよ」 「おそれいりました」  弥七は落ちついているが、傘徳は、このようなところへ生れてはじめて入ったものだから、顔が青ざめ、座棺を下ろす手が、ぶるぶるとふるえていた。  いまにも、降り出しそうな空模様で、晴れていれば明るい夏の夕暮れなのだが、まるで霧がたちこめてでもいるかのように、あたりが薄暗く、ここは市中ではないから、人も通らぬ。  やがて……。  潜《くぐ》り門が開かれ、でっぷりと肥えた中年の侍が、三名の藩士を従えて姿を見せた。 「そこもとが、秋山小兵衛殿か……」 「さよう。この座棺の中を、おあらためねがいたい」  三名の藩士が、白布と筵をはね退《の》け、座棺を門内へ運び入れたので、つづいて小兵衛が入ろうとすると、中年の藩士が、 「そこもとは、此処《ここ》で、お待ちなされ」  と、いう。 「なんじゃと。人が親切に、そちらの家来の死体をとどけてやったのに、その言種《いいぐさ》はなんだ。それが桑名十万石・松平家の家風か。けしからぬにも程がある」  喰ってかかる小兵衛に、藩士が怒りの色をあらわし、かまわずに潜り門から入りかける小兵衛の腕をつかみ、 「待てい!!」  引きもどそうとしたが、ぱっと、その手を振り払った秋山小兵衛に、 「ばか!!」  ひょいと、肩口を突かれたとおもったら、 「あっ……」  その中年の藩士が、三間も突き飛ばされ、尻餅《しりもち》をついてしまったではないか。 「お、おのれ……」  そ奴《やつ》が、よろめきつつ立ちあがったときには、早くも小兵衛は潜り門の中へ入っていた。  そのとき、門番溜の入口の傍で、座棺の蓋《ふた》を払って中をのぞきこんだ三人の藩士や、門番たちが、 「あっ……」 「大野源蔵……」 「ま、まことに……」  おどろきの声をあげた。  それを聞いた秋山小兵衛が、潜り門から血相を変えて飛びこんで来た中年の藩士をふくめ、一同の顔をじろりとながめまわし、 「どうやら、御家中の人らしいな。この人はな、昨夜、他《ほか》の三人と共に、わしの家へ白刃をぬいて押し込んで来たので召し捕られ、大番屋《おおばんや》の牢《ろう》へ押しこめられたが、今日になって、舌を噛《か》み切り、出血がひどくて死んだのじゃ。他の三人は、鳥越の御下屋敷へ逃げこんだそうな。わしの家はな、深川・三好《みよし》町の大島屋という枡酒屋《ますざけや》だ。用事があれば、いつにても来い」  歯切れのよい口調で、てきぱきといってのけるや、呆気《あっけ》にとられている一同を尻目《しりめ》に潜り門から出て、颯爽《さっそう》と引きあげて行った。  和田倉御門を出たとき、さすがにほっ[#「ほっ」に傍点]とした顔つきになった四谷の弥七が、 「先生。どんな[#「どんな」に傍点]でございました?」 「ばか野郎どもに啖呵《たんか》を切ってやったわえ」  めずらしく小兵衛が気負い立つ感じで、 「これから相手がどう出るか、それが見ものよ」  と、いいはなった。      八  その日の夜である。  雨が、音もなく降りけむっていた。  大戸を閉ざした大島屋の中では、秋山小兵衛が佐々木三冬と共に、豆腐汁で夕飯をすましたところだ。飯も汁も小兵衛がこしらえた。 「三冬どのも女であるなら、このほう[#「このほう」に傍点]も、おぼえておかぬといかぬな」  小兵衛に笑われて、三冬は赤面をした。  小兵衛が松平屋敷へ死体をとどけに行っている間、三冬は此処《ここ》へもどって留守番をしていてくれたのだ。 「さて、そろそろ寝ようかのう。三冬どのは二階でおやすみ。わしは、此処で寝よう」 「はい」  と、そういうことになったわけだが、この小さな家の中で、小兵衛と三冬が二人で一夜を明かすことを、おはる[#「おはる」に傍点]が知ったら大変なさわぎになるだろう。  また以前の三冬ならば、小兵衛に抱いていた慕情ゆえに、かえって泊るようなことをしなかったろう。  いまの三冬の胸の底には、日に日に、秋山大治郎の面影が、ぬきさしならぬものとしてしまいこまれてい、三冬自身、われながらあきれるほどに、小兵衛へは気楽に相対《あいたい》すことができるようになった。 「夜具はのべてある。先へ、おやすみ」 「では、ごめん下さい」  いささかも悪びれずに、三冬が片ひざを立てたとき、ひそかに表の戸を叩《たた》く音がきこえた。 「先生……」 「来たらしいな」  小兵衛の眼が、きらりと光って、表にいる者へ、 「どなたじゃ?」  声を投げた。 「秋山小兵衛殿でござるか?」 「いかにも……」 「松平|下総守《しもうさのかみ》家中の者でござる」 「さようか。それで?」 「卒爾《そつじ》ながら、これより、お出向き下さらぬか」 「どこへ?」 「鳥越の下屋敷にて、江戸家老・生田図書《いくたずしょ》が、今日の御礼を申しのべたく……」  と、表の声は、いや[#「いや」に傍点]におだやかで、落ちつきはらっている。 「この夜ふけにか?」 「いかにも。そこもとも御承知のごとく、何分にも表向きには相ならぬことゆえ……」 「なるほど、な……」 「乗物を仕度してまいった。お出向き下さるまいか?」 「まいりましょう」  立ちあがった秋山小兵衛が、軽袗《かるさん》ふうの袴《はかま》をつけ、大小を腰に差しこみつつ、三冬へ、 「どうじゃ。そっ[#「そっ」に傍点]と、わしがすることを見分《けんぶん》なさるか?」 「はい」 「川向うの材木置場の番小屋に、弥七《やしち》と徳次郎が、この家を見張っている筈《はず》。二人と共に後から来なされ」  いいおいて小兵衛が土間へ下り、戸を開けて見ると、外には立派な駕籠《かご》が待ってい、これに松平家の士《もの》が三人つきそっている。  声をかけたのは三十がらみの藩士で、 「私は、松平家の家来・高橋録太郎と申します」  ていねいに、あいさつをした。 「うけたまわった。この乗物へ入ればよろしいのか?」 「さようでござる」 「では……」  こだわりもなく小兵衛が入った駕籠をまもって、三人の藩士が闇《やみ》に消えた。  深川の此《こ》の辺から浅草鳥越までは、かなりの距離がある。  だが、さほどの時間を要さず、駕籠が地面へ下ろされた。  そこは鳥越どころか、いちめんの葦《あし》の原であった。  此処は俗に〔十万坪〕とよばれている埋立地で、享保《きょうほう》のころに深川の商人が幕府へ願い出てゆるされ、十万坪|築地《つきじ》の新田《しんでん》開発をしたわけだ。だから〔千田《せんだ》新田〕ともよばれているが、人家もほとんどなく、田畑もすくない。ただもう葦の原に松林が点在するといった風景で、これが、深川の木場《きば》(江戸の材木商が集中している町)の、すぐ近くにあるとはおもえぬほど、一種、荒涼たる景観を呈していた。  小兵衛が乗った駕籠が地に着くや否《いな》やに、葦の原の間から、わらわら[#「わらわら」に傍点]と十余人の侍たちが刀、槍《やり》を構えて躍り出し、駕籠を包囲した。  そして、数箇の龕燈《がんどう》の灯《あか》りが、いっせいに駕籠へ集中した。  雨が、まるで霧のようにけむっている。  手槍を構えた一人が、するすると駕籠へ近づき、 「鋭《えい》!」  いきなり、駕籠の戸ごしに中へ槍を突き入れたが、 「あ……」  手ごたえがないのに、あわてて槍を引きぬいた、その瞬間であった。  駕籠の向う側に刀を構えていた二人が絶叫をあげて転倒した。  突き入れた槍よりも早く、駕籠の向う側の戸を開いて飛び出した秋山小兵衛が藤原国助が鍛えた愛刀ぬく手も見せずに、二人を斬《き》って倒したものである。 「あっ……」  刺客《しかく》どもが、おどろきの声をあげた。 「ばかもの。こちらが血を見ずにすませようとすれば、おのれらのほうから、たわけたまね[#「まね」に傍点]をする。いま、わしが、さるお方の名前を、きさまらの耳へ聞かせたなら、否《いや》も応《おう》もなく、そこにひれ[#「ひれ」に傍点]伏さずばなるまい。だが、わしも怒った、怒ったぞ。いいか。相手になってやる。束《たば》になって、かかって来い!!」  いいざま、小兵衛の老体が野鹿《のじか》のごとく跳躍した。 「うわ……」 「ぎゃあっ……」  またしても二名、葦の中へのめりこむように倒れる。 「うぬ!!」  猛然と左右から肉薄して来た二人が、手槍を突き込んで来た。  槍の柄が二つに切り飛ばされ、宙に飛んだとき、この二人もまた、伏し倒れている。  たちまち六名、事もなげに秋山小兵衛が斬って捨て、 「まだ、来るか!!」 「応!!」  前へ走り出たのは、今日の夕暮れに松平屋敷で小兵衛から手痛い目に合った中年の藩士であった。 「きさまか……」  小兵衛が凄《すご》い笑いを笑った。 「たあっ!!」  捨身に斬りこむ一刀が、むなしく空間を切り裂いたとき、その刀をつかんだ彼の腕は、小兵衛の藤原国助によって、草むらの中へ切り飛ばされていた。  中年の侍が、悲鳴を発して倒れ、ころげまわって苦しむのを見やった小兵衛が、 「手当をしてやれ」  茫然《ぼうぜん》と立ちすくみ、もはや完全に闘志をうしなった数名の刺客に声をかけ、さっさと葦の間の道を消え去って行った。 「先生。拝見をいたしました」  どこからか、佐々木三冬があらわれた。 「見たかえ?」 「はい。いずれも、手足を切断なされたのみにて……」 「そうさ。いのちは、とらなかったよ」 「三冬、感嘆いたしましてございます」 「すこしは、目の薬になったかえ?」 「は、はい」 「それなら、よかった。おや……傘徳が狐《きつね》につままれたような顔をしているではないか。うふ、ふふ……」      ○  それから七日後。  ふりつづいていた雨が今朝から激しくなり、昼すぎになって、いくらか弱まったとき、秋山大治郎が不二楼《ふじろう》の離れへ、父・小兵衛をたずねて来た。 「おう、大治郎か。いま、三冬どのが帰ったところじゃ」 「さようでしたか」 「始末がついたらしい。あの一件は、松平侯や家老たちも、すこしも知らぬうちに、家来どもがな、御家の恥になるというので、勝手に事をはかり、わしへ仕掛けてまいったらしい」 「ははあ……」 「金時|婆《ばあ》さんや漁師の子供や、通りがかりの町娘に無体なまね[#「まね」に傍点]をした家来たちは、切腹させられたとよ」 「なるほど……」 「そのほか、大分に罰を受けた家来どもがいるらしい。松平家では非常なさわぎだったらしいぞ。これは内密のことだが……松平侯みずから、田沼様御屋敷へひそかにあらわれ、頭を下げられて、事を穏便にと、たのまれたそうだ。田沼様もわしに、ゆるしてやれ、ということでな……ま、ゆるしてやることにしたが、ほんらいならば松平侯が、金時婆さんのところへ行って、わび[#「わび」に傍点]をしてもらいたいところよ」 「は、はは……」 「いや、本当のことだぞ、大治郎。世の、人の手本ともなるべき大名・武家がこのざまでは、行先がおもいやられるわえ。田沼様も、そういっておられたそうな」 「それにしても父上。あの婆さんには、おどろきました」 「婆さんの怪力を見たかえ?」 「私の家に、婆さんと息子をあずかっておりましたときに……」 「どうした?」 「雨漏りがして来たので、飯田粂太郎《いいだくめたろう》が屋根へあがろうとして梯子《はしご》を借りに出ようとしましたら、婆さんが粂太郎をひょい[#「ひょい」に傍点]と片手でつかみ、屋根の上へ放り投げてやりました。屋根を直して粂太郎が飛び下りるのを、これも片手で受けとめまして……これにはどうも、おどろきましたな」 「あは、はは……」 「それが、いささかも見せつけがましいところがないのです。ごく自然に、いつもしていることをしているまでだ、という顔つきなので……」 「ふむ、ふむ……」  雨が熄《や》み、すこし空が明るんできたとおもったら、どこかで雷《かみなり》が鳴った。  酒を運んで離れに入って来たおはる[#「おはる」に傍点]が、 「あれ、雷《らい》さまだ。梅雨が明けるよう」  うれしげにいった。     解説 [#地から2字上げ]常盤新平  行きつけの酒場でひとりで飲んでいたら、となりの客が話しかけてきた。もちろん、酒場ではこういうことはべつに珍しくない。はじめて会った客同士が意気投合し、肩を組まんばかりにして、つぎの酒場へと出かけてゆく光景もときどき見かける。逆に先刻まで仲よく話しあっていたのが、口ぎたなく罵《ののし》りあい、つかみあいの喧嘩《けんか》をしていることもある。  その夜、私に声をかけてきた、まだ三十代はじめのひょろひょろした内気そうな青年はひとりでオン・ザ・ロックスを飲んでいた。彼とはおたがいに顔も職業も知っていたが、それまで言葉をかわしたことはなかった。酒場で顔を合わせれば、目で挨拶《あいさつ》してきたにすぎない。それに、いつもおたがいに誰かといっしょだったから、カウンターにとなりあわせにすわっても、口をきく機会がなかった。  彼もひとり、私もひとり、ほかに客がカウンターのすみにいるだけだったからだろう、青年は親しげに、僕は池波正太郎のファンですと自己紹介して、私に名刺をくれた。ファンというより池波キョウかなと彼が言ったのをおぼえている。キョウは「狂」でもあり「教」でもあります、と彼はひとりで笑った。釣られて、私も笑いだした。青年が私に話しかけてきた理由がわかった。おたがいに、どこに住んでいるか、何を食べているか、子供が何人いるかはわからないけれども、池波正太郎は共通の関心事であり、共通の話題である。  青年は、あなたのような翻訳者が池波正太郎のファンであるとはじつに意外だ、と言った。私が年の暮から正月にかけて、また四月末から五月はじめの連休に『鬼平犯科帳』や『剣客商売』を読みかえすことを彼は知っていた。  気障《きざ》だとは思ったが、池波正太郎を読むのは、私は、楽しみと勉強のためですと彼に言った。たとえば、「雨がや[#「や」に傍点]んだ」は「熄んだ」と池波先生は書く。少なくとも翻訳小説を読んでいて、「雨が熄[#「熄」に傍点]んだ」という訳文を見かけたことがない。では、ひとつ、そういう英文が出てきたときは、このおれが「雨が熄んだ」と訳してみようかと思ったし、実際にやってみたこともある。しかし、池波正太郎の文体をひそかに仕事に生かしている翻訳者がそれこそ意外に多いのではないか、と私は青年に言った。池波文学を読むことは翻訳者にとって文章の勉強になる。  それから一時間ばかり、私たちは『剣客商売』の作者の話をした。話は『剣客商売』から『食卓の情景』にまで及んだことはいうまでもないだろう。『食卓の情景』についていうならば、あのエッセー集に出てくる神田の〔まつや〕という蕎麦《そば》屋、あの店に来るお客の大半は池波さんのファンだと思いますよ、と青年は私に言った。私もときどき夕方にのぞいてみるが、たいていほぼ客でいっぱいで、すると、親切な女店員が席をつくってくれる。その席にすわって、店のなかを見まわしながら、客はたぶん先生のファンだろうと思う。そして、『食卓の情景』のほか、先生のエッセー集が多くの人に読まれれば読まれるほど、この東京も少しはよくなるのではないかと思うのである。  その一時間ばかりのあいだに、私は青年にアメリカの雑誌でちょっと流行していることがらをしゃべった。それはエシックスという言葉である。ある雑誌にはエシックスというコラムの連載があるほどで、それがまとまって、二年ほど前に一冊の本になった。エシックスとは、倫理のことである。倫理というとこむずかしく思われるけれども、しかし、池波先生のエッセーの数々は、実は倫理を語っているのではないかと思う、と私は青年に言ったのである。英和辞典を引いてみると、エシックスには倫理、道徳原理の体系、倫理学、道徳学といった堅苦しい言葉が並んでいる。しかし、やさしく解釈すれば、日ごろの身だしなみ、心がまえとそして生き方といったことだろう。  青年は私の話に賛成してくれて、僕は酒の飲み方や刺身の食べ方などを池波さんのエッセーで学びましたと言った。こういうこともエシックスのなかにはいってくるのではないだろうか。青年が「池波教」と言ったのも十分に理解できる。  先生は、何ごともからだでおぼえた、とあるエッセーに書いておられる。それを読んだとき、なるほどと思ったし、それならば自分にもできると思った。若い女性が『食卓の情景』を楽しく読んだと言ってきたので、思わず、なんど読みましたかと訊《き》いたことがある。もちろん一回ですという彼女の返事に、私は、一回だけでは読んだことにならないとおとなげないことを口にしてしまった。  なんども読むというのは、からだでおぼえることである。先生の小説を私がなんども読みかえすのは、素晴しい日本語で書かれてあるからである。読むたびに、新しい発見があるからである。それは楽しみであり勉強である。  その夜、私は酒場にカンバンまでいて、青年と話をした。私は先に酒場を出たが、青年は便所にでもはいったのか、なかなか出てこなかったので、私はタクシーをひろって帰宅した。珍しくよい酒を飲んだという気のする一夜だった。ベッドにはいって、この解説を書くために、『辻斬《つじぎ》り』を途中まで読んで、そのあと熟睡した。 『剣客商売』はいわば秋山ファミリーの物語である。第三集にあたる『陽炎《かげろう》の男』はこのシリーズの人気が定着して、作者の筆がいよいよ冴《さ》えわたっている時期の七編で、読者にとっても秋山|父子《おやこ》やおはる[#「おはる」に傍点]、佐々木|三冬《みふゆ》、四谷《よつや》の弥七《やしち》、そして料亭〔不二楼《ふじろう》〕などはすっかりおなじみになっている。  秋山|小兵衛《こへえ》は鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を安永八年のあの「妖怪《ようかい》・小雨坊」(『辻斬り』所収)の事件で焼失し、橋場の料亭〔不二楼〕に仮住まいである。隠宅の全焼が佐々木三冬を通じて老中、田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》の耳にはいると、意次はすぐさま三冬に金百両(約一千万円)を届けさせた。秋山小兵衛と親しい、亀沢《かめざわ》町に住む町医者、小川宗哲は小兵衛に言う。 「あんたは金を手に入れるのもうまいが、つかうのもうまい。つかうための金じゃということを知っていなさる」 「そこへ行くと、さすがは秋山小兵衛先生。大金をつかんでも、たちまちこれを散らし、悠悠として、小判の奴《やつ》どもをあご[#「あご」に傍点]で使っていなさるわえ」  秋山小兵衛はからだこそ小さいが、小川宗哲先生が感嘆するように、人間がじつに大きい。はじめに佐々木三冬が小兵衛に夢中になり、おはる[#「おはる」に傍点]にやきもちを焼かせたのも無理はないし、私たちはそれを羨《うらやま》しく思うのである。逆に、「小判の奴ども」にあご[#「あご」に傍点]で使われる現代の私たちは小兵衛の悠々たる生き方を羨しいと感じ、この老剣客に生き方のお手本を見るような思いがするのである。  しかし、秋山小兵衛は完全無欠の男ではない。六十歳を過ぎて、娘ほども年齢のちがう百姓女に手をつけてしまって、この娘にせがまれて祝言《しゅうげん》をするのである。堅物の息子である大治郎もこれについて冗談を言うほどだ。この第三集の第一話「東海道・見付宿」の冒頭、おはる[#「おはる」に傍点]と大治郎の会話がおもしろい。春めいた雨の朝、不二楼に大治郎が訪ねていくと、小兵衛はまだ寝ているが、おはる[#「おはる」に傍点]は起きている。 「あれ、若先生。まだ寝ているんですよう」 「おはるさん、いや母上……」 「母上は、いや[#「いや」に傍点]ですったらよう」 「だが母上は母上だ。父上と祝言をした人ゆえ」 『陽炎の男』はとくにユーモアがあるようだ。全体に春風駘蕩《しゅんぷうたいとう》とした感じがあって、一編一編をゆっくり読みすすみながら、「まんぞく、まんぞく」とつぶやきたくなってくる。この第三集も季節感があふれていることはいうをまたない。「東海道・見付宿」は「その朝、いかにも春めいた雨が降りけむっていた」し、棟梁《とうりょう》、富次郎の手で隠宅の工事が順調にすすむ「赤い富士」では、「桜《はな》もほころびかけ、どんよりと生《なま》あたたかい曇り空の何処《どこ》かで、しきりに都鳥《みやこどり》が鳴いている」  表題作品の「陽炎の男」の時期は「桜も散ってしまい、日ごとに闌《た》けてゆく春の或《あ》る日」である。ここでは佐々木三冬は恋する女であり、どこかで鶯《うぐいす》が鳴いているとき、深いためいき[#「ためいき」に傍点]とともに、ききとれぬような声で「大治郎どの……」ともらすのである。 『剣客商売』の魅力の一つは、大治郎と三冬がしだいに成長してゆく姿が各編であざやかに、そしてほほえましく捉《とら》えられていることだ。大治郎と三冬の運命やいかにといった興味をもって、読者は読みすすむはずである。というのも、この二人は秋山小兵衛も驚くほどに純真で不器用であるからだ。 「嘘《うそ》の皮」では、小兵衛が「今年はじめて、苗売《なえう》りの声をきいた」。真青な空、「頬《ほほ》を掠《かす》めて燕《つばめ》が一羽、矢のように大川(隅田川)の方へ飛んで行くのを見送り」小兵衛は「もう、すぐに夏か……」とつぶやいている。そして、この一編からも、秋山小兵衛の人生哲学、いやエシックスが読みとれる。「真偽《しんぎ》は紙一重《かみひとえ》。嘘の皮をかぶって真《まこと》をつらぬけば、それでよいことよ」 「兎《うさぎ》と熊《くま》」の季節は初夏である。小兵衛は小川宗哲と小口茄子《こぐちなす》に切胡麻《きりごま》の味噌《みそ》吸物や、鰹《かつお》の刺身などで酒を酌《く》みかわしている。このように、『剣客商売』には季節感がある。その季節感は『鬼平犯科帳』ほか池波先生のすべての作品にうかがわれる。これが、読んでいて、不思議に懐《なつか》しい、ほのぼのとしたものに感じられるのは、季節がエシックスと同じく現代から失われつつあるからだろう。 『陽炎の男』をはじめ、このシリーズを八年前に夢中で読んでいたことを私は思い出す。不幸なことを忘れたいために読んでいた。ちょうど八月の暑いさかりだった。そのころ、『剣客商売』は慰めであり励ましだった。 [#地から2字上げ](昭和六十一年八月、作家) [#地付き]この作品は昭和四十八年十二月新潮社より刊行された。 底本:剣客商売三 陽炎の男 新潮文庫 平成十四年十月二十日 発行 平成十六年二月五日 五刷 [#改ページ] このテキストは、 (一般小説) [池波正太郎] 剣客商売 第03巻 (修正版).zip 涅造君VcLslACMbx 38,129,780 a34696641e3f443d6d2a254d68b7e712d8fdf885 を元にe.Typist v11と読んde!!ココ v13でテキスト化し、両者をテキストエディタのテキスト比較機能を利用して差異を修正した後、簡単に目視校正したものです。 画像版の放流者に感謝。 ------ 底本の間違いと思われる箇所 ----- 33行 富次郎へわたしたりする。 02巻〜03巻にかけて登場する大工の棟梁は、他の表記は「富次郎」ではなく「富治郎」となっている。 ---------------------------------------